フィリピン在住17年。元・フィリピン退職庁(PRA)ジャパンデスクで、現在は「退職者のためのなんでも相談所」を運営しながら、仕事のパートナー一家と一緒に暮らす志賀さん。孫のような存在であり、友人でもある4歳半のKIANとの生活のなかで見つけた生きがいとは?

 ずいぶん前のことだが、日本人が経営する孤児院を訪問した際、思いがけず感動して、自分もいつか孤児院を運営しようと思った。現役を引退したら、ビコールの農場の一角で孤児院を運営するつもりでいた。人生の終盤にさしかかると、「人は他人(ヒト)のために生きる」と思うようになってくるようだ。

 その後、息子が農場を継ぐと言いはじめた。フィリピンを基盤にして、日本へは1年の半分ぐらいを出稼ぎに行くという。いずれはフィリピーナと結婚して、子どもは3人つくると宣言してもいる。そのころには私も現役を引退して、農場で余生を送ることになっているだろう。そうなると、孫たちを面倒見るのは第一は母親だろうが、息子は日本に出稼ぎに行くのだから、父親代わりは私しかいない。

 たとえ父親が日本人でも、フィリピン人の母親やその家族と暮らしていたのでは、瞬く間に現地人化して、日本人としてのアイデンティティーを失ってしまう。日本に行っても、たどたどしい日本語では「変なガイジン」になってしまうので、日本語はネイティブでなければならない。

 英語、そしてタガログ語、さらに地元のビコール語は、放っておいてもこなすようになるだろう。だが日本語だけは私の役割なので、家では日本語しか使わないというルールのほか、テレビの日本語放送など常に日本語に接する環境を用意するつもりだ。日本語の読み書きもインターネットで自習させなければならないだろう。

 そんなことを考えていると、子育てが私の引退後の生きがいとなるだろうと、喜んでいる自分を発見した。子育ては両親だけで行なうものではなく、家族全員がをれぞれの役割を担うべきだ、というのが私の持論だ。

 仕事の相棒のジェーンの息子KIANとの4年半の暮らしで学んだものは、たとえ他人の子どもであっても、子育ては楽しいということだ。べつに何の 見返りを期待するものではないが、KIANと一緒にいるだけで人生の充実感を覚え、与えるというより、受け取るもののほうが多い。

 KIANの喜びが私の喜びであり、幸せだ。カラオケでGRO(ホステス)を相手にしているよりも、KIANを相手にしているほうがよほど楽しい。今やKIANは私のベストフレンドだ。

 甘やかしすぎるという感は大いにあるが、KIANの母親(ママ・ジェーン)あるいは姉(アティ・キム)がきびしく対応しているので、良いバランスだと思っている。

他人の子どもであっても、子育ては楽しい

他人の子どもであっても、子育ては楽しい

 おじいちゃんおばあちゃんが甘いのは古今東西共通だ。問題なのは、同居しているKIANのいとこたちには、申し訳ないが何の感情もわかない、ということだ。不公平といわれるかも知れないが、公平にしなければならない理由も見当たらないし、私は神ではないから、自分の感情をコントロールする気にもなれない。

 最近、退職者の方から「子育ては何のためにもならない」という話を聞かされた。老後の面倒をみてもらえるわけでもないし、結婚するとさっさと家を出て、たまに孫を連れて遊びに来るくらいで、子育ての苦労に見合うものではないと。しかし、それには異論がある。

 知り合いの40代の男性は、40歳で子どもをもうけ、猛烈なやる気が出たという。「だから60歳になって、その子が20歳になったら、また子どもをつくってがんばるのだ」と語っていた。彼にとっては子育てそのものが人生の目的であり、人生そのものなのだ。

 自分が20代から30代にかけての時代は仕事に無我夢中で、子育ては生きがいだなんて悠長なことを言っている余裕はなかった。その後は自分の子どもが自立して、生きている目的を見失っていたような気がする。そして今、KIANと出会って、私にとっても子育てこそが人生の永遠の目的であり、人生そのものなのだと悟った。

 動物は、子育てが終わって、自活できるようになると、子どもを巣から追い出してしまう。いわゆる巣立ちだ。そして次の子どもの子育ての準備にはいる。そして子どもがつくれなくなると死んでいく。これが自然界の厳然たる仕組みだ。人間も動物である限り、この原則から逃れることはできない。

 いずれにせよ、私の老後の目標は、フィリピンで孫を立派な日本人、そして国際人に育てあげることだ。そして子どもたちが巣立つころは、私もこの世から巣立っていく時だ。


(文・撮影/志賀和民)

KIANの得意な寝姿は、まるで椅子に座ってパソコンを操作しているような格好だ【撮影/志賀和民】