インターネットメディアの進化により、コミュニケーションにおける応答スピードの重要性が高まり、結果、時間がより貴重なものとなった現代社会。ビジネスの場面では、簡潔に要点を伝える力が求められています。しかし、昨今はそのような現代社会に適応しすぎて、感情がこもっていない、機械的な会話しかできないことに悩む人もまた増えています。明治大学文学部教授の齋藤孝氏が著書『究極 会話の全技術』(KADOKAWA)から、コミュニケーション力を磨く方法を解説します。

「ゴルゴ13」に学ぶ「簡潔力」を獲得した現代人

とにかく時間が貴重なものとなった現代社会では、モタモタと、外堀を埋めるような話し方をしていてはいけません。本人は相手を気遣っているつもりかもしれませんが、厳しい言い方をすれば、むしろ相手に対する不誠実さになってしまいかねないからです。

実際、仕事上の発表などでは手短に言う能力は重宝されます。それは必要なテクニックです。さらにプライベートでも、ツイッターでつぶやいたりなど、短い文章で表現することを良しとする文化が育ってきています。

ところが、最近では逆にそのような現代社会に適応しすぎて、仕事でもプライベートでも感情が籠もっていない手短な会話しかできない人が多くなっているのです。

多くの人が、まるで「ゴルゴ13」のような状態になってしまっているのです。

ゴルゴ13」は、さいとう・たかを氏の漫画に登場する超一流のスナイパー狙撃手)ですが、仕事の依頼を受けるとき、用件以外の会話は一切受け付けません。

相手が前置きしようとすると、「用件に入ってもらおう」と相手の発言を遮るし、必要な情報を得ると、「わかった。報酬はスイスの銀行に振り込んでくれ」と必要最低限度のことしかしゃべりません。

かつてなら、そんな物言いをする会社員や大学生は変わった人間だとしか見られず、なかなか相手にしてもらえなかったでしょう。だからこそ、漫画の主人公として特徴的で、キャラクターが立っていたのです。

でも、よく考えてみてください。あなたの周りにも、漫画のキャラクターではなく現実世界の人間なのに、ゴルゴ13状態の人がいるのではないでしょうか?

そして多くの場合、ゴルゴ13状態である彼ら自身も自分のコミュニケーション力不足に悩んでいるようです。

実は、用件を手短に述べる能力は、現代社会におけるもっとも基本的な能力に過ぎなかったのです。そこで次の段階として、用件を手短に説明しつつ、人として感情が通じ合うコミュニケーションとはなにかを学んでいくことが必要となります。

そもそも、前述したように、正確でスピード感のあるコミュニケーションが求められているのは、それが相手にとって心地よいことだからです。そこに、さらに感情が通じ合って心がほっとするようなコミュニケーションが加わったら、どうでしょう? もっと心地よいコミュニケーションが実現できるのではないでしょうか?

つまり、基本的には早くて正確なコミュニケーションを心がけつつ、ここぞというところで、感情が乗っている言葉や、人間的でほっとする言葉を加味するという技術を身につければいいのです。

ストレスに満ちた現代社会においては、たとえ短い時間でも、感情が通じ合うことでかなりのストレスが軽減されます。

厳しいビジネスの場であっても、「あ、この人はいつも仕事が速いし、正確だし、それになにかちょっと、ほっとするようなことを言ってくれる」と感じてもらうことができるのです。

実は、この「相手のストレスを軽減させるコミュニケーション力」は、いわゆる営業の仕事だけではなく、あらゆる仕事で重要になってきます。どんな仕事でも、「人間同士の付き合い」は欠かせないからです。

あらゆる仕事は、人と人との間で行われていきます。

AがBに物を売る、というだけの単純な話ではありません。どの商品を何個買うのか、仕入先はどうするのか、発注先はどうするのか、配送業者はどうするのか、それぞれの担当者に誰を選ぶのか、支払いをどうするのかなど、広い意味でみんなが営業をやり、交渉を繰り返して初めてビジネスとして成立するものです。

そのように多くの関係が生じるために、そのやりとりの中で、ややもすればいさかいが起きたり、誤解が生まれたりしがちです。

そんないさかいや誤解を最小限に(とど)め、ビジネスを成功させるためにも、ストレスを軽減させるコミュニケーション力は必要になるのです。

正確さ、速さに加えて必要なのは「雑談力」

では、どのようなコミュニケーション力が必要なのでしょうか?具体的にはおいおい述べていきますが、一つ代表例を挙げるならば「雑談力」です。

たとえば、相手と対面しているような状況なら、気心が知れるような雑談の時間を3〇秒~一分もうけて、人間的な交流を図ります。この、短くて効果的な雑談を行う能力が、「雑談力」なのです。

そのように適切な雑談をこなしてから5~10分ですべての用件をやりとりして、その場を去るぐらいの能力を身につけたいものです。そこで10分以上も時間を取らせるとなると、相手の仕事に支障をきたすことになってしまいますから、注意が必要でしょう。

また、そういう意味では雑談にメールを活用するのもいいでしょう。

私の友人の一人は朝7時台には職場に着いて、メール100件ぐらいに応答して、9時の始業に備えているそうです。このようにメールも一つのコミュニケーションであり、話す、聞くというものの延長線上にあるものです。

メールならば、相手も都合のいいときに見られますから、相手の手間を取らせずに済みます。「そういえば、誕生日が近いですね」などと、雑談的な一言を添えておくだけで効果絶大です。

相手のストレスを軽減すると同時に、相手との人間的な距離をグッと縮める効果があるでしょう。

コミュニケーションの基本には、人間らしいコミュニケーションが必要であることは言うまでもありません。誰もが時間がない中、世の中はどんどんビジネスライクになっています。

実は、そんな時代だからこそ、「人としてちゃんと温かみのあるコミュニケーションをする」、あるいは「コミュニケーションに感情を乗せていく」ということが求められているのです。

コミュニケーション力は訓練しないと鍛えられない

私たちがこの社会でより濃密な人生を送ろうとすれば、相互に密なコミュニケーションを構築し、それをつないでいく必要が出てきます。

たとえると、コミュニケーションはいわば伝言ゲームみたいなものだといえるでしょう。一見、特別な技術など必要なさそうで、人間なら誰でもできそうなのですが、実際にやってみると難しいのです。

伝言ゲームを何回か試してみるとわかると思いますが、5個ぐらいの要素を入れて、4~5人経過すると、必ず1つや2つの要素は抜け落ちてしまいます。

ひどい場合には3つ以上も抜け落ちてしまうケースも出てきます。つまり、私たちがもともと持っている伝言ゲームの能力はそれほど高いものではなく、鍛えないと身につかないものなのです。

仮に「コミュニケーション部」という組織をつくってみたとしましょう。そこで私が部員たちに説明をしたとします。

「きちんとしたコミュニケーションを成立させるには、相手の目を見て、微笑み、うなずくこと。そして相槌(あいづち)を打ちながら、相手にヘソを向けてちゃんと質問を考えながら、同時にコメントも用意しながら、聞くんですよ」と言うわけです。

しかし、次の瞬間には、もうヘソを向けるのを忘れている、もううなずくのを忘れている、質問は考えていない……。みんな言われたことをいちおう耳では聞いていたにもかかわらず、コミュニケーションについては素人なので、実際にはなかなかできないのです。

それは運動部や音楽部の部活で、なかなか先輩の言うとおりにできないのと同じです。コミュニケーション部に入った新入生というのは、ほとんど微笑むこともできないし、相槌も打てない。あるいはメモもとれないし、要約もできません。

そもそも、ほとんどの人はなんとなく社会人をやってきただけで、コミュニケーションのトレーニングなんて受けたことはありません。ですから、それも当然のことでしょう。

だからこそ、コミュニケーションの技術はこうなっているのだと、全体を学んだうえで、一つひとつの要素に分けて、練習して鍛えていく必要があるのです。

そういう意味では、コミュニケーションのトレーニングを積むのは、たとえばテニスのトレーニングを積むのに似ています。

テニスの基本はストロークとサーブです。ストロークにはフォアハンドとバックハンドがあり、サーブにはファーストとセカンドがあり、回転のかけ方を変えます。

それらのテクニックの一つひとつを細分化して、一つずつ技術を練習して磨いていかなければレベルアップしていくことはできません。それらの技術をトータルに高めてこそ、初めて勝利に近づくことができるのです。

まずはどれか一つ、突出した技術を身に着けるのがコミュニケーション力底上げの近道

なお、コミュニケーションの面白い特性として、一つの技術が突き抜けて上達すると、7難を隠すことがあります。

たとえば、会話中に微笑むということを技として身につけただけで、えも言われぬ、その人らしさが出てきたりします。そうすれば、もし相槌を打つのを忘れていたとしても、たいした減点にはならないでしょう。

ですから、細部の技術を全部身につけなければコミュニケーション力が低いままだというわけではないのです。なにか一つ、自分の得意なところを伸ばして突破するだけでも、絶大な効果が出てきます。

まずはどれか一つでいいのです。技術が一つ身につくだけでガラリと風景が変わってくるはずです。

もちろん、全部の技術を兼ね備えるのが理想ではあります。しかし、突然すべてが上達することはありません。

まず自分に必要なものはなにか、そして自分の得意なものはなにかを見定め、それから一つずつ身につけるようにしていただきたいと思います。

「身体論」から展開するコミュニケーションの基盤、ボディランゲージ

私は、身体はわれわれ人間にとっていかなる意味や価値を持つかということを研究する「身体論」を専門にしていますが、コミュニケーションの基盤はまさに身体にあると考えています。

現代社会においてコミュニケーション力がもっとも重要な能力の一つであることは、ここまでも述べてきました。そのような意見に反対する人はめったにいないでしょう。

ところが、そのようにコミュニケーション力を大事に思っている人たちでも、身体という要素を大事にしている人はとても少ないように思われます。

メディアによるコミュニケーションの落とし穴

現実の社会に目を向けると、身体という要素がないがしろにされているようです。放っておくと、みんなパソコンの前で無言のまま、身体とは別次元でひたすらキーボードを打ち続けている……そんな職場も珍しくありません。

ひたすら無言でキーボードを打ち、仕事上の話もすべてメールで連絡し合うというのは、一見、とても省エネで効率的なコミュニケーション方法に見えるかもしれません。ところが、そういう職場では、情報がなに一つ共有されないまま仕事が進んでいってしまいます。

大きな情報が隣の人間にはなにも伝わっていなかったなどという事態が頻繁に起きますし、会社に行ってもなんとなく殺伐としていて、ノイローゼになったり、会社を辞める人が増えていくはずです。

それは結局、会社内で支えあうコミュニケーションができていないということです。

自分の人生にとっても、あるいは会社全体にとっても、コミュニケーション不足というのは非常に大きな問題です。それは「仕事ができる、できない」を超えて、自分が生きている生活空間を豊かにしていくための、最重要な要素になるのです。

つまり、仕事上のコミュニケーション(言葉を換えれば「効率のいいコミュニケーション」)以外にも、居心地の良さをつくるためのコミュニケーションをとっていく必要があるのです。

私たちは、上手にコミュニケーションができたときに幸福感が得られるものです。そういう意味では、いいコミュニケーションこそ幸福の鍵だと言えるでしょう。

家族がいれば家族とのコミュニケーションでほっとするでしょうし、犬を飼っていたら犬とのコミュニケーションで癒やされるでしょう。一人暮らしであっても行きつけの店があって、そこでいいコミュニケーションができれば「今日もほっとした」と感じられるでしょう。

そういうコミュニケーションの積み重ねこそが、人間本来の姿なのではないでしょうか。

コミュニケーション力があればいろいろなトラブルも未然に防げますし、仮にトラブルがあっても修復が早くなります。

それは仕事でもプライベートでも、どちらでも必要となる力です。人間が生きていくために必要不可欠なものとして、ぜひ会話の技術を習得してください。

齋藤 孝

明治大学文学部教授

(※写真はイメージです/PIXTA)