テリー 僕ね、泉谷さんが出てきた頃、ザ・ブロードサイド・フォーの「星に祈りを」とか、ああいう爽やかなフォークを聞いてたんですよ。

泉谷 いい曲だよね。とってもいい歌です。

テリー そしたら泉谷さんが「季節のない街に生まれ」って「春夏秋冬」で出てきて。すごい歌を作る人がいるなと思ったんですよ。

泉谷 とんでもないこと歌ってるよね。

テリー あの頃、ああいうものの捉え方ができたのは、何だったんですか。

泉谷 いや、それはそういう世の中だったっていうことですよ。60年代後半から日本は高度成長期でしょう。東京オリンピックがあって、田中角栄の「日本列島改造論」があって、日本中がどんどん変わっていったじゃない。町中ゴミだらけでさ。

テリー 騒音もすごかったですよね。

泉谷 すごいよ。あの頃の日本は産業革命状態だから。(神奈川県の)川崎の辺りなんて通ろうもんなら工場のすすで、首とか鼻とかすぐ真っ黒になってさ。目黒川なんかゴミで流れが止まってるんだから。犬の死体も固まってるし。ほんとだよ。

テリー そうですよね。そういう時代だった。六本木も青山通りもホコリだらけ。

泉谷 だから春夏秋冬」はそういう時代に、都市に季節感がなくなったことを歌いたかったんだろうね。あと、あの時は機嫌が悪くて。

テリー 何でですか。

泉谷 風邪を引いてるのにレコーディングに行かなきゃならなかったんですよ。

テリー 「体調が悪いから、今日はちょっと」とは言えないんだ。

泉谷 あの当時のレコーディングって急に決まるんですよ。で、レコード会社が「2日で曲作れ」とか平気で言ってくる。そのぐらい雑なの。だから、その時すごい機嫌が悪くて、「しかたねぇ、1フレーズぐらい作っとくか」って、偶然パッと出てきたのが最初の歌詞の2行。「あとは適当に現場で作ればいいか」ってレコーディングに行ったんだと思うんだよな。

テリー あの曲には当時の泉谷さんの不満というか、こんなはずじゃなかったというような思いが込められてますよね。

泉谷 あの頃は俺たち「団塊の世代」とその上の「戦争世代」との分断みたいなものが始まった時だよね。「戦争も行ってないくせに何が戦争反対だ」「じゃあ、お前らは戦争賛成なのか」みたいなさ。

テリー ありましたね。

泉谷 俺たちは俺たちで、上の世代にいちいち難癖つけるわけじゃない。それは大人の世代が気に入らないからやるわけですよ。

テリー 大人の何が嫌だったんですか。

泉谷 やっぱり高圧的だからでしょう。「俺たちは戦争を体験したんだ」「大変な時代を生き抜いてきたんだ」っていう。で、俺たちにしてみれば、「その結果がこれかよ」っていうね。

テリー なるほどね。昭和から平成、今は令和じゃないですか。泉谷さんにとって今は居心地はどうですか。

泉谷 昔から比べたらすごくいいと思うな。「今の時代がよくない」って言ってるような奴は、何か格好つけてるよね。

テリー 「よくない」って言う人、いますか。

泉谷 いますよ。特に60年代を生きてきた奴は、自慢げに「音楽も最高だった」とかさ。それは「今の時代を生きてる奴をバカにしてるのか」って言いたいよね。今の子供は自分たちの時代を勝手に作っていくんだし、大きなお世話だよ。

テリー 僕も今のほうが全然いいと思いますよね。だって昔なんか家にエアコンなかったし。今みたいに毎日40度近かったら、みんな死んでますよ。

泉谷 そうだよ。町はキレイだし、食い物だって全然うまいしさ。感謝しなきゃダメだよ。

ゲスト:泉谷しげる(いずみや・しげる1948年青森県生まれ。1971年、アルバム「泉谷しげる登場」でデビュー。翌年のシングル「春夏秋冬」が大ヒット。2013年にはNHK紅白歌合戦に初出場した。俳優としても「土曜ワイド劇場『戦後最大の誘拐・吉展ちゃん事件』」(テレビ朝日系)、「金曜日の妻たちへ」「ケイゾク」(以上TBS系)、「Dr.コト-診療所」(フジテレビ系)など多くのドラマ・映画に出演。また「北海道南西沖地震」「長崎・雲仙普賢岳噴火災害」「阪神・淡路大震災」「東日本大震災」などの際に行ったチャリティ活動はライフワークに。現在「泉谷しげる全力ソロライブ90分」を全国のライブハウスで敢行中。

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