たとえば仕事上のやりとりをしているとき、同じような場面で同じようなやりとりをしていても、相手によって仕事の出来・不出来や、やりやすさ・やりにくさが出てくるのはなぜでしょうか。その違いは、感情的なレベルでの信頼関係のあるなしで生じていると指摘するのは、明治大学文学部教授の齋藤孝氏です。著書『究極 会話の全技術』(KADOKAWA)から、コミュニケーションにおいて大切なことについて詳しく解説します。

コミュニケーションとは情報のやり取りではない

忘れられがちなことですが、コミュニケーションには必ず相互性が必要です。たとえば、テレビでニュースを見ている行為はコミュニケーションとは言えません。またインターネットでいろいろなサイトを覗いたからといって、それでコミュニケーションがとれたことにはなりません。

相互性の中で、意味や感情をやりとりする行為こそが、コミュニケーションなのです。一方的に情報を受け取るだけの関係はコミュニケーションとは言えません。では、相互に情報をやりとりすればコミュニケーションと言えるのでしょうか。……いえ、それでも、まだまだコミュニケーションとは言えません。

そもそも「情報」には感情は含まれていません。その情報に、意味と感情が加わって、初めてコミュニケーションが成立するのです。

たとえば仕事上のやりとりをしているとき、一見すると情報交換だけをやっている場面は多々あります。ところが、同じような場面で同じようなやりとりをしていても、相手によって仕事の出来・不出来や、やりやすさ・やりにくさが出てきます。それはいったいなぜなのでしょう。

相手の感情の揺れ動きをキャッチする、アンテナが大切

その差が生まれた理由は、実は簡単です。感情的なレベルでの信頼関係のあるなしで生じているのです。お互いに信頼関係がないまま仕事が進んでいくとトラブルが起きやすくなりますし、もしトラブルが起きてしまうと、挽回が困難になります。

とくに人間は、立場や周囲の環境によって価値観や優先順位が異なります。

自分にとっての正義が相手にとってはまったく理不尽なことだったり、逆に相手の主張することが自分にとってはどうにも理解できないことだったりします。

ここで重要なことは、どんなに意見が合わない相手でも、コミュニケーションを諦めてはいけない、ということです。相手の立場になって考えることで、折り合いがつくことは多いはずです。

また、人間がなにか物事を判断するときには必ず感情が働きます。ですから、相手の感情の揺れ動きを十分につかんでおく必要があります。相手の感情の揺れ動きをキャッチすれば、相手の言動も理解できるようになるのです。

では、どうやって相手の感情の揺れ動きをキャッチすればいいのでしょうか。

コミュニケーションを「人間理解のゲーム」ととらえる

一つの方法として、2つのワードを活用して人間関係をゲームとしてとらえてみることをお勧めします。

誰かとの関係がこじれた場合、「なぜこんなことに……」とあまり深刻に考えても、解決の糸口が見つからずに苦しくなるばかりです。それより、コミュニケーションを「しょせんは人間理解のゲームだ」と考えるのです。そうすれば、意外と相手の心の動きが見えてくるものです。

理解に苦しむ他者の行動心理は、2つのキーワードで説明がつくことが多い

たとえば、会社の中でやたらとあなたとぶつかる相手がいたとします。ことあるごとに嫌味を言うし、あなたの足を引っ張ろうとしてきます。

あなたは「身に覚えもないのに、なぜ、この人は私に対してそんなことばかりを言うのだろう」と途方に暮れてしまうこともあるでしょう。

そんなとき、「これはもしかして保身というやつなのかもしれないな」と思って見てみるのです。すると、あっという間にあなたの戸惑いは氷解するでしょう。

実は、現代社会においては、この保身という二文字で、大概のことはわかるものなのです。「いろいろ難癖をつけてくるけど、これは巡り巡っての保身だな」「なんか変だと思っていたけど、ああ、なるほどそういうことか」ということになるのです。

あるいは、それに嫉妬(しっと)という言葉を付け加えてもいいでしょう。あなたの力を評価しているからこそ嫉妬して、邪魔をしようとしているのです。

この保身と嫉妬という2つのワードで、自分を取り巻く人間関係を見直してみましょう。一見、複雑に絡み合っているように見える人間関係も、そのほとんどの原因が明確に見えてくるはずです。

原因がわかれば、それにどう対処すればいいのか見えてきます。さらに、人間関係を理解することで、あなた自身の中にあった反発心や嫉妬心、あるいは競争心や偏見もなくすことができ、公明正大な判断が下せるようになるはずです。

そして実は、この公明正大という資質は、出世への早道となるケースが少なくないのです。

もちろん出世街道を走れるか否かにおいては、自分が誰の下につくかということが非常に大きな要素となります。それは運に大きく左右されますから、自分ではどうしようもないと思われるかもしれません。

ところが組織の中では、そういう派閥問題よりも重要な要素があります。公正無私な人、中立的な人が、なんとなくみんなから信頼され、いつの間にかポジションがアップしていくというケースが多々あるのです。

実際、組織のトップの人々と会話する際に「組織にとって必要な人材、大切な資質とはなんですか」と聞くと、「公明正大なことじゃないかな」という回答がとても多いのです。

つまり、組織においては、自分のことを勘定に入れず冷静かつ客観的に物事を見て、全体に配慮して判断できる人が求められているのです。そしてまた、そのことを周りの人も見ています。

別に「聖人君子のようであれ」と言いたいわけではありません。冷静であったり、客観的であったり、あるいは自分中心に考えないで判断できるということを示していくことによって、人から信頼を受けるということです。

生き馬の目を抜くような現代社会において、もちろん運、不運という要素は間違いなくあります。しかし、いろいろな人を見てきた結果、私はこうも思っています。

「実は案外、課長、部長、あるいは取締役、副社長、社長、会長、さらには国を代表するようなレベルの人まで、組織の上に行くほど、けっこう人間的にもちゃんとしているな」と。

組織の舵取りを任される人たちは、やはり人間として真っ当な人が多いのです。

ですから、日頃から他人とコミュニケーションする際にも、まずは人間として真っ当であることを大事にしてください。

そしてまた、組織を動かす素晴らしい人と出会うことができたら、その言動から大いに学んで自分のコミュニケーション力を向上していってください。

コミュニケーション力をアップさせるには、今話を聞いているという気持ちで本を読もう

実社会でいろいろな人を意識的に観察し、そこから学ぶことでも、コミュニケーション力をアップさせることが可能です。さらに、ある「コツ」をつかめば、本を読むときにもコミュニケーション力をアップさせることができます。

その「コツ」とは、ただ読むのではなく、「意識して読む」ことです。それによってあなたのコミュニケーション力は劇的に変わるでしょう。

100年前、あるいは1,000年前に亡くなった人間の本でも、今、その作者が目の前にいるのだと思って、聞くように読むと、よりリアルに感じられるようになり、血肉になっていきます。

「読んでいるのではない。聞いているんだ」と想像しながら読むことが大事なのです。

とくに聖書や仏典、論語などは、そもそもキリストやブッダ、孔子が話した言葉を弟子たちがまとめたものです。だからこそ、聞くように読むことによって、よりパワーを感じることができるでしょう。

ゲーテと交流のあったエッカーマンが記した『ゲーテとの対話』を例に

具体的な例を挙げてみましょう。エッカーマンが残した『ゲーテとの対話』は、まさに聞くように読みたい一冊です。同書は、晩年のゲーテと深い交流をもったエッカーマンが、ゲーテとの対話を事細かに記録したもので、いかにも、ゲーテが話してくれているという感じで読むことができます。たとえば、次のような内容です。

ときには、死について考えてみないわけにいかない。死を考えても、私は泰然自若としていられる。なぜなら、われわれの精神は、絶対に滅びることのない存在であり、永遠から永遠に向かってたえず活動していくものだとかたく確信しているからだ。それは、太陽と似ており、太陽も、地上にいるわれわれの目には、沈んでいくように見えても、実は、けっして沈むことなく、いつも輝きつづけているのだからね。 (『ゲーテとの対話上』山下肇訳・岩波文庫より)

この本を読んでいくと、「ほうほう、ゲーテはエッカーマンを私たち人類を代表する聞き役にして、私たち人類に叡智のプレゼントをしてくれたのだな」と思えること請け合いです。

そして、本を読みながらそういう「聞く構え」を身につけておくと、普通の人の話を聞くときにも、ちょっと深く聞くということができるようになり、より高いコミュニケーション力を養っていけるようになるのです。

「パワハラ」「セクハラ」「差別」には要注意!現代のパブリック空間はとても広い

最近、とくに気をつけなければならないのが「パワハラ」「セクハラ」発言です。

もちろん、「パワハラ」「セクハラ」問題は以前から存在していました。とくに近年はそれに対する問題意識が高まっていき、現在では社会人として絶対に許されざる発言となっています。

さらに、性別や性的指向、人種その他への「差別」発言も大きな問題となります。そのあたりへの意識が低い人は、すぐにでも意識改革していかないといけません。

私もよく出演しているテレビのような公共電波の世界では、こうした問題に対して非常に厳しい基準を持っています。しかし、「自分はテレビに出ない普通の会社員だから……」などと思っていると、とても危険です。会社でも、一流企業ほどこうした問題については厳しくなってきています。

パワハラ、セクハラ、差別に関してルーズな人は、周りに迷惑というだけではなく、時代遅れになっています。そして、これからますます生きづらくなっていくでしょう。場合によっては、それらが原因でクビになってしまうことさえあります。

もう一つ、とても重要なことがあります。

世の中には打ち解けて話しても大丈夫なプライベートな空間と、そうではないパブリックな空間があります。このプライベートな空間とパブリックな空間を、常に意識しておかなくてはなりません。

さらに、この世界のほとんどすべての空間はパブリックな空間だということを、いつも忘れないようにするべきです。

家族や本当に仲のよい人たちが相手で、閉じられた空間であればプライベートな空間だと言えるでしょう。しかし、それ以外の場は、たとえ会話相手がいない場所でもパブリックな空間なのです。

また、インターネットの普及により、現代人はパブリックな空間に常時接続するようになっています。

その典型が、ツイッターでしょう。自室でやっているときには、ついつい忘れがちですが、それらはもちろんパブリックな空間であり、安易につぶやくと危険です。

どんなことをつぶやくにせよ、世界中に発信しているのだという意識を持つことが必要です。

とくに「パワハラ」「セクハラ」「差別」発言をはじめとする、人を攻撃する表現をネットに発信するという行為は、多くの車が猛スピードで走っている大通りを、信号無視して渡るようなものだと認識しなければなりません。

自分は仲間内でのやりとりだと軽い気持ちでつぶやいたつもりでも、それが誰かの目に留まり、反感を持たれた時点で、あっという間に負の情報として拡散していきます。その結果、社会人として失格の烙印(らくいん)を押されてしまう可能性さえあります。

私たちは、もはや、そういうことが起こり得る社会に生きているのだということを忘れてはいけません。

コミュニケーションでの便利さ、快適さ、快楽というものもあると思いますが、それに伴うリスクや、あるいはストレスというものを考えたときに、手段をある程度セレクトしていく必要があるでしょう。

コミュニケーションツールの選択でライフスタイルが左右される時代

さらに言うならば、今や、ツールセレクトによってコミュニケーションのあり方そのものが変わるということを認識してほしいと思います。

たとえばネット系のコミュニケーションツールの活用に膨大な時間をとられてしまい、リアル世界で身動きがとれなくなっている人がいます。そういう意味では、コミュニケーションの手段をいかにセレクトするかによって、自分のライフスタイルが左右されかねない時代になっているのです。

現代社会は、お互いの時間を奪い合う社会です。その中で、自分らしく生きるにはどうすればいいのか。一度、自分のコミュニケーションツールを見直すことも必要だと思います。

齋藤 孝

明治大学文学部教授

(※写真はイメージです/PIXTA)