“元マルサの税理士兼僧侶”という異色の経歴を持つ上田二郎氏は「税法には弱点がある」といいます。税法に詳しい専門家などは、その弱点を巧みに利用して、脱税を企てる者もいるそうです。そこで今回、上田氏が統括官時代実際に担当した「後の税法改正にも影響を与えたかもしれない」熾烈な攻防を紹介します。

税法の弱点を突いて“逃げ回る”ターゲット

「マルサ」の正式名称は国税局査察部。刑事告発を目的とする“国税最強の部隊”だ。

告発によって刑事訴訟手続きに直結するため、脱税の首謀者は誰なのかを解明するとともに、脱税の真相や厳密な脱税額を明らかにすることを目的とする。そのため税務調査でみられるような話し合いで追徴額が決まることはなく、調査官が「気合でもぎ取った修正申告」などは存在しない。

税務調査で多額の不正が見つかると「マルサが来ると税金だけではすまないよ」と言って修正申告を迫ることがある。

税理士「帳簿を提出したら強制調査はないよね?」

筆者「マルサの判断を税務署の統括官に聞かれてもわかりません」

税理士「そんなことないでしょう。上田さんはずっとマルサにいたのだから」

トクチョウ(※)の統括官時代、頑強に抵抗する納税者に対して“張子の虎のマルサの影”をちらつかせて総勘定元帳の提出を迫ったシーンだ[著書『トクチョウの事件簿(ダイヤモンド社)』より]。

※トクチョウ(特別調査)班:税務署の調査部門のひとつ、あるいは調査部門のなかに班として存在するシークレット部隊のこと。税務署の案内板にも職員名簿にも「特別調査部門」の記載はない。風俗店や飲食店の他、弁護士、司法書士、医師など、大口の申告漏れが見つかりそうな案件を対象に調査を行っている。

ターゲットは7年間で2億円超の所得を隠す「つまみ申告」をしていた。「つまみ申告」とは正確な所得金額を把握していながら、故意に一部の所得のみを抜き出して記載した確定申告書を提出することだ。

しかし、同業者が同様の手口でトクチョウ班に徹底的に攻め込まれた噂を聞き、怖くなったターゲットが顧問税理士に相談して、前年分だけを自主的に(約3,000万円)修正。直近年分(最終年分)は正しい申告書を提出した。

これは税法の弱点(当時の所得税法の調査限界:仮装、隠ぺい行為がない場合には法定納期限から3年間しか調査をすることができない。現在は5年に改正)を巧みに突いた作戦だった。

租税時効は7年だが、直近3年間の申告に仮装・隠ぺいがなければ、たとえ4年以上前にあっても、さかのぼって調査することが出来ない。

近頃では、所得税の調査は確定申告の処理もあって4~6月はほとんどやらない。そのため、調査のスタートは人事異動後の9月になる。つまり、顧問税理士は最終年分の申告を正しく提出し、前年分さえ修正してしまえば、次の確定申告期限(3月15日)まで忙しいと言ってゴネることによって、前々年分の調査をできなくすることを狙った狡猾な作戦だった。

納税を巡る“税法のスペシャリスト同士”の攻防戦…結末は

ターゲットの直近分の確定申告書を確認すると、これまで年間500万円程度の所得で申告していたのだが、なんと10倍の5,000万円で申告している。前年分は当初申告の500万円に修正額3,000万円を加え、3,500万円の申告額だ。そうすると、前々年分の申告額が500万円であるはずがない。

ターゲットが逃げ切りを狙っていることは明らかで、異例の速さで4月1日に調査着手の宣言をした。すると案の定、仕事が忙しいことを理由に一切調査に応じない。

このまま逃げ切りを許すことは出来ない。そのため大規模な反面調査(取引先の調査)を行うことになったのだが、翌年2月までターゲットに会うこともできない膠着状態が続いた。

それでも次第に反面調査の圧力が効き始めたとみえ、当初の顧問税理士はマルサを恐れて逃げ出した。そして、新たに調査を熟知した国税OB税理士が関与することになり、局面が変わった。

OB税理士はマルサの影がちらつく筆者の経歴(マルサ在籍17年)を調べ上げ、このまま抵抗を続ければ強制調査に発展することを恐れていた。

期限直前の3月9日。突然、OB税理士が総勘定元帳を提示した。これが冒頭の税理士との対峙シーンだ。すると、想定どおり7年間で2億円を越える申告漏れが見つかった。

申告漏れに対する税額が8,400万円。重加算税額が2,700万円。合計約1.1億円におよぶ多額の追徴税額になった。さらに延滞税と住民税が加わる。

OB税理士は「担税力を超えている」とふてくされていたが、「正しく申告していれば住民税を合わせても50%の税率です。担税力は関係ありません」と言うと、苦渋に満ちた顔で筆者を睨みつけていた。

帳簿の提示がなければ、重加算税の賦課要件である『仮装・隠ぺい行為』の認定は困難だ。そして、帳簿がなければ推計課税に頼らざるを得ないのだが、推計課税は認定課税のため、7年間遡ることも重加算税を賦課することも難しい。

完全非協力者に対する税務調査のさまざまな問題点を浮き彫りにした事案で、その後の税務調査に大きな一石を投じ、税制改正に影響を与えたものと自負している。

納税者は強制調査の挙句に刑事罰を食らうより、早く調査を終わらせたいと考えた。一方、調査官は調査日数の制限と調査期限との戦いだ。そのギリギリの妥結点が修正申告額になる。

調査官が言う「マルサが来ると税金だけではすまないよ」は、困難事案を解決する“張子の虎のマルサの影”だ。

上田 二郎

元国税査察官/税理士

※画像はイメージです/PIXTA