大阪あべのハルカス24階の大阪芸術大学スカイキャンパスにて対談イベントを行なったゆでたまご中井先生(右)とイラストレーターの中村佑介さん、そしてキン肉マン
大阪あべのハルカス24階の大阪芸術大学スカイキャンパスにて対談イベントを行なったゆでたまご中井先生(右)とイラストレーターの中村佑介さん、そしてキン肉マン

現在、大阪あべのハルカス24階の大阪芸術大学スカイキャンパスで好評開催中『アニメ放送40周年記念 超キン肉マン展』10月15日まで)会場内にて、将来のクリエイターをめざす学生たちに向け、同作の作者であるゆでたまご作画担当・中井義則先生による特別講演会が9月23日(土・祝)開催された。

ステージには聞き手として、作品の大ファンであり、かつ大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒でこの日に集まった学生たちの先輩にもあたるイラストレーター・中村佑介氏も登壇。ロックバンド「ASIAN KUNG-FU GENERATION」のCDジャケットなど、数多くの作品を生み出しているプロのクリエイターとしての目線を備えつつ、『キン肉マン』に対しても並々ならぬ愛情を示す中村氏から、中井先生に様々な質問をぶつけていく形でこの日の会は進行していった。

まずは本講演のきっかけともなった『超キン肉マン展』に絡め、40年前に初めてアニメ化された時の感想を求められた中井先生。

1980年代初頭の『少年ジャンプ』編集部は今と違って、掲載マンガをアニメにしようという方針があまりなかったこともあり、連載4年目にしてそれが決まった時はまさかという思いもあってものすごく嬉しかった。

超人のカラーリングなど原作と設定が異なるところも多々あったが、当時の僕たちはまだ駆け出し22歳の新人漫画家。それに対してアニメスタッフは、『タイガーマスク』など錚々たる作品を手がけてこられたベテランの方々が集結されていたので、顔合わせの際は緊張もしたし、あまり作者側から口出しすることもなく信頼してお任せすることにしたが、その気持ちに応えてうまくヒットにつなげてくれた」と当時の舞台裏を披露。

また、キン肉マン役を務めた声優・神谷明さんの声の印象に関しては

「ここだけの話、アニメ化以前の僕の中では、今じゃすっかりおなじみのダミ声のイメージは全くないまま描いていて、最初に聞いた時には衝撃を受けた。

でも、神谷さんがあの声でアドリブも加えてどんどんギャグを披露して、積極的に明るい要素を押し出してくれたおかげで、あれほど当時の子供たちに愛されるキャラクターへと成長していったとも思うから、やはり神谷さんの存在は大きかった」 と、その独特の声がキン肉マン人気をいっそう押し広めてくれたことへの感謝を述べた。

そして、今もコンビを組み続けるゆでたまご原作担当・嶋田隆司先生との分業制が決まった経緯についての質問には、

少年時代にはお互い別々のマンガ作品を描いていたふたりが、中学生の時に初めて合作をしてみたのがはじまり。その時は交互に頭から3ページずつ順番に描いてつなげていく、という流れでやっていた。その後もふたりで相談して話を考え、ペン入れも分担して完成原稿にするという方式でやっていたが、ある頃からペンタッチの違いが気になってきて、それで原作と作画、各々の得意分野を任せあう形で完全分業化することにした」 と、ゆでたまごの歴史をひもとく話にまで発展。

思わぬそのエピソードに、自身もイラストレーターとして広く活躍される中村氏は深く頷き、

「かねてから中井先生の描かれる線は、太さのメリハリ、力の強弱などがしっかりあるにもかかわらず、特に曲線は全て閉じていく形になっていてものすごく綺麗。簡単にマネできるものではないと思っていた。

それだけにペン入れに対してのこだわりの強さも感じるし、ペンタッチの質の違いが気になって分業されたという今の話はものすごくよくわかる。

それを証明するかのように『キン肉マン』はこれほどの大作品なのに、絵の面でその流れを汲むフォロワーをほとんど見たことがない。理由は単純明快。マネしたくてもできないからです」 と、その画力を大絶賛。

これに対しては当の中井先生も、「そんな誉められ方をしたのは初めてで戸惑う(笑)。しかし、こと『少年ジャンプ』時代に関しては今の僕から見ても絵が未熟すぎて、単にマネしてみようとまで思ってくれる人がいなかっただけではないか?」と謙遜。

しかし、これだけのキャリアを積まれて今なお、新刊が出るたびその画力が更新され続けている、と食い下がる中村氏。そのバイタリティの秘訣はどこにあるのかとの質問に対しては

「単純にもっとうまくなりたいと思ってやっているだけ。もっともっと勉強しないといけないことがあるのはまず見えていて、描き方を勉強すればするほど、それまで自分がごまかしていた部分が明確に見えてくる。それをクリアしたと思って周りを見たら、もっとすごいことをやってらっしゃる人がいて、いつまで経っても果てがない。自分なんてまだまだだと思い知らされることの連続で、慢心できる暇がない(笑)。

常にいつ人気がなくなって過去の漫画家になってしまってもおかしくないと思ってやってるので、デビューから毎年、今年一年、今年一年、というつもりで、それがこの歳まで続いている。それだけのこと」と話した。

約1時間にわたるそのような質疑応答が続くなか迎えた最後の質問、「今回ここに集まったのはクリエイターを目指す学生たちということで、どういう心構えで自分の作品づくりに取り組んでいくのが良いか?」という問いへの答えは、

「自分が楽しむ気持ちを忘れないことが大切。そういう作品でないと、人にも楽しんでもらえない」。

そして、そのための極意として、

「自分だけのオリジナリティを......という考えにとらわれすぎないこと。僕らもそうだったけど、最初は好きな作品のマネから始めてもいいので、最も大事なのはひとつの作品を途中で投げ出さずに最後まで完成させること。

モノづくりをしてる以上は煮詰まることも必ずあると思うけど、そういうことをしっかりと続けていけば、たとえ最初はマネから入っても自分だけのオリジナルの部分が必ず出てくるし、見えてくる。

そこまでたどり着いて、またその後も続けていくためにも、楽しみながらやっていくという姿勢が大事だと僕らは思う」

と話した。さらに印象的な話として

「僕ら全然売れてないデビュー直後の頃は、描いてるマンガが『キン肉マン』っていうとそのタイトルだけで笑われ、さらにペンネームゆでたまごだというともうひと笑いされるような立場だった。最初はみんなそう。

でも、それがだんだん笑われなくなってきて、むしろ「あの『キン肉マン』の人!」と驚かれるようになってきた頃にようやく一人前の作家になれたような気がした。それもそこまで続けられたからこそ」

と伝えた。こうして繰り返し作品を生み出し続けることの大切さを伝えつつ、この日の講演会は幕を閉じた。

講演中は熱心にメモを取り続ける学生も散見され、故郷・大阪の若い才能たちも確実に何かを学んだであろう、充実の約1時間。 あくまで謙虚に、しかしモノ作りの核心を突く様々なエピソードが飛び出す、中井先生の人柄あふれた特別講演となった。

取材・文/山下貴弘 撮影/榊 智朗