※2023年5月撮影

トップ画像は、千歳烏山駅の北、松葉通りにある白鳥山西蓮寺。このお寺は筆者が住んでいた頃と同じ重厚な佇まい。

西蓮寺は、慶長2年(1597年)武家から出家した宗誓上人が開きました。最初は、江戸桜田(現在の桜田門)辺りに造られました。その後西久保天徳寺門前(現在の虎ノ門)に移転。明暦元年(1655年)に麻布領三田村(現在の三田)に移転。内務省都市計画事業の為、道路に敷地の大半が収用されることとなり、昭和14年1939年)烏山に移転しました。

※各お寺の紹介は、世田谷区「寺院通り区民集会所」の紹介文などを参照しています

寺町お寺巡りの最後は順正寺。22軒目のお寺です。

※2023年5月撮影

実家では、このお寺で撞く鐘の音がよく聞こえました。たしかに直線距離では200mも離れていないのです。

亡くなった父親が「このお寺が千歳烏山駅と久我山駅のちょうど真ん中辺りかな」と言っていたことを思い出しました

順正寺の南側、道路をはさんで八百屋さんがありました。1998年平成10年)の写真です。現在は新しい住宅が並んでいます。

1998年6月撮影

八百屋さんのならびに魚屋さんもありました。ソコのお兄さんが犬好きで、実家で飼っていた柴犬をよく散歩に連れていってくれました。

幾星霜。

中央高速道路を越えて南下します。これは北側の高速の高架をふり返ったショット。

※2023年5月撮影

「並木農園」・・・昔あらあったかしら・・・覚えていません。

※2023年5月撮影

もうすぐ甲州街道バイパス)です。

※2023年5月撮影

甲州街道の手前、西側の墓地に庚申塔があります。

※2023年5月撮影

大きな地蔵と右の小さな地蔵。どちらも18世紀の念仏講中が建立したものでした。

※2023年5月撮影

筆者が見たかった庚申塔。剥落が激しく辛うじて青面金剛が判別できる程度です。側面は比較的良い状態で、享和二年十月が読めました。1802年、江戸開府から200年が経とうという時代。明治維新まで半世紀ほどです。

※2023年5月撮影

甲州街道を渡って千歳烏山駅の方に戻ります。

(写真・文/住田至朗)

※駅構内などは京王電鉄さんの許可をいただいて撮影しています。

※鉄道撮影は鉄道会社と利用者・関係者等のご厚意で撮らせていただいているものです。ありがとうございます。

※参照資料

・『京王ハンドブック2022』(京王電鉄株式会社広報部/2022)

・京王グループホームページ「京王電鉄50年史」他

下記の2冊は主に古い写真など「時代の空気感」を参考にいたしました

・『京王電鉄昭和~平成の記録』(辻良樹/アルファベータブックス/2023)

・『京王線 井の頭線 街と駅の1世紀』(矢嶋秀一/アルファベータブックス/2016