
◆グローバル南北戦争に発展
―― ロシアのウクライナ侵攻から1年半が過ぎました。白井さんは新著『新しい戦前 この国の〝いま〟を読み解く』(内田樹氏との共著、朝日新書)で、ウクライナ戦争の現段階での総括や今後の展望を論じています。
白井聡氏(以下、白井) 改めてウクライナ戦争がどういう性格のものであるかを振り返ると、ロシアがウクライナに侵攻したという意味では、この戦争はロシアとウクライナの戦争です。しかし、ウクライナの後ろにはNATO(北大西洋条約機構)がおり、特にアメリカが強力にウクライナを支えています。ロシアもウクライナやヨーロッパではなくアメリカこそが真の敵だと考えています。そのため、これは間接的にロシアとアメリカの戦争と言えます。
しかし、この戦争はそれだけに留まらない性格を帯びてきました。
戦争が始まると、アメリカは国際社会に働きかけ、ロシア包囲網を形成しようとしました。しかし、これに同調したのはG7をはじめとする先進国グループだけでした。中南米や中東、アフリカの国々は経済制裁に加わっていません。国の数という点から言えば、制裁を実行している国よりもそうしていない国の方が全然多い。
例えば、中南米諸国からすれば、アメリカが「ロシアの侵攻は帝国主義的で許されざることだから、みんなで粉砕しよう」と言ったところで、「どの口が言うのか」となるに決まっています。これまでアメリカは繰り返し中南米に介入し、クーデターや武力行使まで行って親米政権をつくってきました。彼らはもうアメリカの呼び掛けに対して聞く耳を持ちません。
中東やアフリカも同様です。アメリカがアフガニスタンやイラクでやってきたことは、ロシアがウクライナでやっていることと同じであるか、もっと酷い。アフリカに関しても、ヨーロッパがアフリカを植民地化し収奪の限りを尽くしてきたことは、いまさら言うまでもないでしょう。
こうした中、影響力を拡大しているのが中国です。周知のように、中国はウクライナ紛争に関して、ロシア寄りの中立という立場をとっています。今年3月、その中国の仲介によってサウジアラビアとイランの国交正常化が実現しました。これに一番ショックを受けたのはアメリカでしょう。同盟国のサウジが、自分たちと対立する中国の仲介で、やはり敵対関係にあるイランと手打ちをしたわけですから、面白いはずがありません。詳しくは後述しますが、サウジはアメリカの覇権維持のために、特別に重要な国です。そのような重要なパートナーに対するハンドリングをアメリカは失いつつあるのです。こうした地殻変動的変化がウクライナ戦争の進行中に生じ始めたということが重要なのです。
アフリカの動向にも注目する必要があります。7月にニジェールでクーデターが起き、親仏政権が倒されました。それに先立ち、隣国のマリやブルキナファソでもクーデターが起こり、親仏政権が倒れています。
彼らがフランスの代わりに頼りにしているのがロシアです。ロシアはフランスのようにアフリカを植民地化した過去がなく、ソ連時代にはアフリカの反植民地闘争を支援していました。そうした歴史があったうえで、ここ数年の間、イスラム原理主義組織を掃蕩するために、民間軍事会社ワグネルもこの地域で活動していました。だから、植民地支配を終えて以降もこれらの国々から収奪してきたフランスよりもロシアに親近感を抱く人が多いことに、実は不思議はないのです。
ニジェールのクーデターに対して、ナイジェリアなどから構成される西アフリカ諸国経済共同体が軍事介入を明言する一方、マリとブルキナファソはニジェール側に立って戦うと述べています。これは大規模な紛争に発展する可能性があります。そうなればロシアは何らかのかたちで関与するでしょう。
そしてそれは、ウクライナ戦争がアフリカに飛び火したものと見ることもできます。つまり、もともとはロシアとウクライナの戦いだったウクライナ紛争は、G7対BRICS、さらにはグローバル南北戦争という性格を有するようになっているということです。
◆揺らぐマニフェスト・デスティニー
―― この戦争ではっきりしたのは、アメリカの没落です。なぜアメリカの力はここまで落ちたのでしょうか。
白井 それは思想面と経済面から説明できます。まず思想的な側面から言うと、これまでアメリカの思想的背景にはマニフェスト・デスティニーがあると言われてきました。自分たちは神に選ばれた特別な、例外的存在であり、自由と民主主義を世界に広めるのが使命であるとするイデオロギーです。これに基づき、アメリカは世界各地に介入を続けてきたわけです。
しかし、いまこのイデオロギーが揺らぎつつあります。三牧聖子氏の『Z世代のアメリカ』(NHK新書)によれば、アメリカではアメリカ人であることを「非常に誇りに思う」とする割合が減っており、特に若い世代で減少傾向が顕著になっています。自分たちが例外的な存在だという意識が薄れつつあるのです。
これは経済力の低下と関係しています。もともとマニフェスト・デスティニーは観念だけで成り立っているのではなく、ドルの基軸通貨性によって支えられてきました。第二次世界大戦後、ドルのみが金とリンクすることで基軸通貨としての地位を築いてきましたが、ニクソン・ショックによって金との兌換が停止されたことで、ドルの特権性は失われました。しかし、その後もドルの立場が揺らぐことはありませんでした。それは、ドルでなければ石油を買えない状況をつくったからです。だから各国とも引き続きドルを求めたわけです。アメリカ経済が双子の赤字を垂れ流すことができるのは、石油を介して基軸通貨の地位を守ったからです。これが、いわゆるペトロダラー体制です。
しかし、ペトロダラー体制を維持するためには、中東をはじめ産油国を影響下に置かなければなりません。それには膨大な軍事力が必要になるので、アメリカはひたすらドルを刷り続けてきました。しかし、ここまでドルを刷れば、どこかの時点でドルが崩壊する恐れがあります。それを回避するには、何としてもペトロダラー体制を死守しなければなりません。そこでアメリカは産油国への介入を強め、その結果、膨大な軍事力が必要となり、さらにドルを刷らなければならず……という悪循環に陥っていたのが、この間のアメリカの構図です。
しかし、先ほど指摘したサウジのアメリカ離れからも明らかなように、アメリカにはもはや産油国を掌握する力はありません。また、中国とサウジの接近を考えれば、今後は人民元による石油の取引が増える可能性があります。そうなれば、ドルでなくても石油が買えるので、ドル覇権は大きく動揺することになるでしょう。
ドルの基軸通貨性を支えてきた要因をもう一つあげれば、決済システムです。ドルは最もよく使われる通貨なので、決済システムが高度に発展し、利便性が高く、世界一取引コストが安く抑えられていました。
しかし、ウクライナ戦争を受けて国際社会がロシアをSWIFT(国際銀行間通信協会)から排除したことで、ロシアは他の決済方法を模索するようになりました。これは結果として代わりの決済システムを発展させる可能性があります。いまBRICSが独自の決済システムをつくろうとしていますが、この動きが一気に加速する可能性もあります。これもドル覇権にとって大きな打撃となり、アメリカの国力低下を招くことになるでしょう。
◆中国は覇権を握れない
―― アメリカに代わって中国の台頭が続いていましたが、ここに来て中国経済にも陰りが見え始めています。
白井 一部では恒大の破産申請を受けて中国経済が破綻するといった見方もあります。しかし、中国経済崩壊論はもう何年も前から繰り返し言われてきましたが、当たったことは一度もありません。正直、聞き飽きました。
しかし、ロングスパンで見れば、中国の見通しがそう明るくないことは確かです。このままアメリカが覇権を失い、中国が覇権を握るなら話は早いですが、おそらくそうはなりません。
フランスの人類学者エマニュエル・トッドが指摘しているように、社会の高学歴化、とりわけ女性の高学歴化が進めば晩婚化し、少子化になるのは万国共通です。これに対して、アメリカやイギリス、フランスは少子化対策を行い、ある程度のところで少子化を食い止めています。しかし、中国の出生率はこれらの国を下回っており、とめどない少子化が進んでいます。こうした背景から、トッドははっきりと中国が覇権を握ることはありえないと述べています。
中国と同じく、日本や韓国、台湾も少子化に苦しんでいます。韓国や台湾の出生率は日本をも下回っています。これらの国に共通しているのは、東アジアに属しているということです。どうやら東アジア文明圏と高度資本主義は相性が悪く、ある一定以上に資本主義が高度化すると凄まじい少子化に襲われる傾向があります。トッドは、その原因は儒教イデオロギーにあると言っていますが。
中国の今後については、イタリアの歴史社会学者ジョヴァンニ・アリギの議論も参考になります。アリギはかつて覇権を握ったジェノヴァやオランダなどの歴史を踏まえ、大国は工業生産などの生産拡大を通して覇権を握るが、力を失っていくと金融に依存するようになり、そしてついに覇権を失うと指摘しています。
アメリカは明らかに金融に依存しているので、覇権を失う過程にあります。では中国はどうか。中国がここまで大国化したのは、世界の工場になったことが大きいでしょう。いまも一帯一路構想に代表されるように、工業生産に力を入れています。
しかし、このやり方をどこまで続けられるかわかりません。ソ連型の社会主義、指令経済は、言うなれば、インフラ構築権力です。これは、発展段階が低いときには大変有効に機能する。しかし、一定以上豊かになると、人々の多様化した欲望に応えることができなくなって、不満を醸成し、ソ連は滅びました。ですから、中国の社会主義市場経済なるものはハイブリッドですよね。一方ではソ連型の国家指導のインフラ構築権力の体制を手放せないから、その力を一帯一路構想に振り向ける。他方で、経済活動を自由化することによって、多様な欲望に応えるようにしている。
このバランスがどれだけ維持できるか。もっとも、中国の経済はすでに金融資本主義化しているという観察もあります。いずれにせよ、経済運営に失敗すれば、中国の共産党政権は市民的自由を統制していることに対する不満に直面することになります。
◆日中戦争の危険性
―― 日本はアメリカと一緒になって中国と対峙してきましたが、東電の汚染水放出をきっかけに日中関係が悪化しています。今後、事態が深刻化する恐れもあります。
白井 私は日中戦争が起こるのではないかと懸念しています。こんなことを言えば、「現実的、合理的に考えれば、日中戦争などありえない」と批判されるでしょう。
確かに日中の経済関係を見れば、日本が中国と戦争することなど考えられません。日本の貿易相手国のトップは輸出・輸入とも中国です。日本は食料も中国に依存しており、中国は主要農産物の輸入先としてアメリカに次いで2位です。
しかし、歴史を振り返れば、起こるはずのない戦争が何度も起こってきたという現実があります。その典型が第一次世界大戦です。当時、国際金本位制のもと、ヨーロッパ諸国の経済はボーダレス化し、人・モノ・カネが国境を越えて盛んに行き交っていました。それによって諸国の利害関係は複雑に絡み合い、戦争が起こればみんな大損してしまうので、戦争などありえないと見られていました。それにもかかわらず、戦争は起こったのです。
あるいは、日米戦争もそうです。当時の日本は最も重要な資源である石油をアメリカに依存していたので、アメリカと戦争すれば破綻を免れないことは軍の上層部もわかっていました。それでも戦争になったのです。
近年の日本も合理的に考えればありえない行動ばかりとっています。複数ある選択肢の中で「これだけは選んではいけない」という選択肢ばかり選んでいるというのが実情です。だから、日本が日中戦争という選択肢を選んでしまう可能性は十分あると思います。
―― どうすれば戦争を回避できますか。
白井 戦争が始まれば、一般国民にできることは何もありません。私たちは徹底的に「客体」となり、モノとして扱われます。とうてい「主体」にはなりえません。私たちにできることと言えば、どうにかして逃げるか、その戦争が権力者の利益のためだとわかっていても、戦いに参加するか、どちらかです。どちらを選んでも犠牲は大きくなります。
もし主体性を発揮できるとすれば、戦争が起きる前の段階です。すなわち、いまこの瞬間です。私たちは日中戦争など起きないと高をくくるのではなく、戦争に突き進む政権を打倒することも含め、いまから戦争を招きうる要因を一つ一つ取り除いていく必要があります。
(9月2日 聞き手・構成 中村友哉)
<初出:月刊日本10月号>
白井聡:思想史家、政治学者、京都精華大学教員。1977年東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。一橋大学大学院社会学研究科総合社会科学専攻博士後期課程単位修得退学。博士(社会学)。著書に『永続敗戦論 戦後日本の核心』(太田出版、2013年)など
【月刊日本】
げっかんにっぽん●Twitter ID=@GekkanNippon。「日本の自立と再生を目指す、闘う言論誌」を標榜する保守系オピニオン誌。「左右」という偏狭な枠組みに囚われない硬派な論調とスタンスで知られる。

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