年金を繰り下げて受給すると、1ヵ月あたり0.7%増額された年金を受け取ることができます。しかし、場合によっては「受給額の一部減額」または「全額受給できなくなる」ことがあると、牧野FP事務所の牧野寿和CFPはいいます。「もらえるはずだった年金がもらえなくなる」という悲劇を起こさないためにも、年金制度について事例を交えてみていきましょう。

年金の繰下げ受給、いくらもらえる?

Sさん(66歳)は、56歳の妻と2人暮らしです。高校を卒業後、製造業の会社に入社して30歳で独立。事業も順調に発展させて38歳で法人化。取引銀行の窓口だった妻を見初めて、Sさん40歳、妻30歳のときに結婚しました。

結婚後は妻が経理を担当し、数人の従業員とともに会社を発展させました。しかし、S夫婦には子供がおらず、後継となる人も見つかりません。そこで、会社の身売り(M&A)を考えたこともありました。

そのようななか、よく遊びに来ていた甥っ子(40歳)が、突然「自分に会社を引き継がせて」といってきたのです。S夫婦は半信半疑であったものの願ってもないこと。よく話し合い、Sさんが70歳になるまでに会社を引き継ぐことにしたのです。

また、Sさんはもう1つ悩みがありました。妻との年齢差が10歳、日本人の平均寿命は男性が81.47歳、女性が87.57歳と女性が約6歳長生きする分、計16年間妻が1人暮らしをするかもしれない、ということです。

※ 厚生労働省の「簡易生命表(令和3年)」より

そんなこともあり、Sさんは役員報酬があるあいだは年金受給を繰り下げ、期間の限度である75歳から受給しようと考え、現在は、繰下げ待機期間中でした。Sさんは、繰り下げると受給額がどのくらいになるか、顧問の社会保険労務士に尋ね、在職老齢年金制度で受給額が調整されることを知ります。

急に年金制度と老後の生活が心配になったSさんは、筆者のところに相談に訪れました。Sさんは、社労士には聞いたけど、あらためて年金制度について教えてほしいとのことでした。

年金の繰下げ受給とは

年金の繰下げ受給とは、老齢基礎年金(振替加算を除く)と老齢厚生年金(加給年金を除く)を、本来の65歳から年金を受給せず、66歳以後75歳までのあいだに繰り下げて、1ヵ月に0.7%ずつ、最大75歳まで84.0%増額した年金を受け取ることです。

老齢厚生年金を受給する場合は、「老齢基礎年金」と「老齢厚生年金」を一緒に、または別々に繰り下げて受給することもできます。

在職老齢年金とは

厚生年金の加入年齢は70歳未満です。それまで保険料を納付して厚生年金に加入している人や、70歳以上の人でも、会社員など厚生年金保険の適用事業所に勤めている場合、加給年金を除く老齢厚生年金の受給月額(基本月額)と、勤務先の給与や賞与を12等分した額(総報酬月額相当額)に応じて、年金の一部または全額が支給停止になります。これが在職老齢年金制度です。

<在職老齢年金による調整後の年金支給月額の計算式>
  • 基本月額と総報酬月額相当額との合計が48万円以下の場合 :全額支給
  • 基本月額と総報酬月額相当額との合計が48万円を超える場合:在職老齢年金による調整後の年金支給月額=基本月額-(基本月額+総報酬月額相当額-48万円)÷2

繰下げ受給も在職老齢年金の対象…月収48万円を超えると減額に

在職老齢年金の制度は、繰下げ受給する年金にも適用されます。しかし、Sさんはこのことは社労士が教えてくれるまで知らず、75歳まで繰り下げて受給したときの受給額を毎月2万円ずつ多く計算していました。

なお[図表2]は、Sさん65歳時点の役員報酬と厚生年金受給額で計算しています。実際にはSさんは75歳まで勤める予定なので、繰下げによる増額分は繰下げ加算額に平均支給率を乗じて算出しました([図表3]を参照)。

※平均支給率=月単位での支給率の合計÷繰下げ待機期間

 月単位での支給率=1-(在職支給停止額÷65歳時の老齢厚生年金額)

65歳から受給した場合の年金受給額

参考までに、Sさんが本来の65歳から受け取り始めた場合の年金受給額を記載します。

繰下げ受給すると加給年金“約400万円”が受給できない

加給年金とは、20年以上厚生年金に加入した方が、65歳から年金を受給するとき、扶養する配偶者が65歳になり自分の年金を受給するまで、また子供は18歳で高校を卒業する3月末日まで加算される年金のことです。

加給年金は、老齢厚生年金といっしょに受給しますが、繰り下げての受給はできません。したがって、Sさんのように年金を75歳まで10年間繰り下げて受給すると、加給年金の受給額397,500円(令和5年度の額)×10年間=3,975,000円、約400万円受給できなくなるのです。

年収が一定額を超えると、年金が減額されてしまう

Sさんの毎月の役員報酬を、月額37万円まで引き下げれば、在職老齢年金の調整はされません。

このように筆者が一般的な納税額を含めさまざまなケースで試算した結果を、Sさんは「せっかく納めた年金なのに……みすみす手放すのももったいない」と、腕を組んで思案し始めました。

もっとも、S夫婦はすでに計画的に資産を形成をしており、役員報酬や年金に在職老齢年金の調整がされても家計支出にはあまり影響はなく、夫婦が100歳まで人生を謳歌しても、1,000万円以上の貯蓄が残り、ゆとりある老後が過ごせそうです。

牧野 寿和

牧野FP事務所合同会社

代表社員

(※写真はイメージです/PIXTA)