高津監督はどのようにチームを立て直すのだろうか(C)CoCoKARAnext
9月30日のDeNA戦に2-4で敗れ、7月1日以来となる最下位に転落した。同日現在で141試合を戦い、56勝82敗3分けの勝率.406。5位の中日に1ゲーム差をつけられ、10月1日の両軍の結果次第ではヤクルトのシーズン最下位が確定する。
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昨シーズンは7月上旬に史上最速で優勝マジックを点灯させるなど、独走優勝を飾った。リーグ優勝翌年の最下位は過去に5度しかない。1961年の大洋、1979年のヤクルト、1981年の近鉄、2013年の日本ハム、2014年の楽天である。
加えて、ヤクルトは2021年もリーグ優勝しており、リーグ連覇翌年の最下位となる。同様に連覇翌年に最下位というのは、1981年の近鉄だけ。セ・リーグでは初の屈辱となってしまうのだ。
今季のヤクルトは昨季三冠王の村上宗隆の不振に目が行きがちだが、何よりも投手陣の不振が響いた。チーム防御率3.68は12球団ワースト。チーム得点529、チーム本塁打122はいずれも12球団中2位なだけに、投手陣が大きく足を引っ張ったことは否めない。
柱に期待された高橋奎二が4勝9敗と大きく負け越し防御率4.47。村上同様に3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)に参加して難しい調整を強いられたとはいえ、期待を大きく裏切った。
故障者にも泣かされた。奥川恭伸と原樹理は一軍登板なし。吉田大喜もプロ入り後初めて一軍登板がなかった。昨季まで守護神を務めたスコット・マクガフの退団も痛かった。代役の田口麗斗は2勝5敗33セーブ、防御率1.88と抑えとして十分な数字を残したが、これまで田口が担った早いイニングからでも投入できるジョーカー的な左腕という役割を欠いた。
では、連覇から最下位という唯一の前例である1981年の近鉄の内情はどのようなものだったのだろうか。
近鉄は2連覇の立役者であったチャーリー・マニエルがオフの契約更改で球団側と決裂して退団。1979年は打率.324、37本塁打、94打点でMVP、1980年は打率.325、48本塁打、129打点していた大黒柱の退団が痛かった。
2桁勝利投手は10勝の柳田豊のみで、左右の柱の鈴木啓示と井本隆はそろって5勝に終わった。今季のヤクルトは2桁勝利は10勝の小川泰弘だけ。このあたりの変化は両球団に共通しているのかもしれない。
なお近鉄はこの悲劇の1981年を最後に、名将・西本幸雄監督が退団。後に野球殿堂入りを果たしたが、ユニホームを再び着ることはなかった。ヤクルトの高津臣吾監督は、5年目となる来季も続投することが既に発表されている。当時60歳を超えていた西本監督と異なり、高津監督はまだ54歳と若い。一敗地にまみれたが、リーグ連覇を経験したチームを来季どう再建するのか。その手腕にもう一度期待したい。
[文/構成:ココカラネクスト編集部]
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