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 3,000年以上も忘れ去られていた、失われた言語の存在が明らかとなった。

 トルコアナトリア中央部にあった、ヒッタイト帝国の首都、ハットゥシャの遺跡から出土した粘土板に刻まれていた楔形文字のおかげだ。

 それはこれまで知られることのなかった、インドヨーロッパ語系の言語カラスマ語で、ヒッタイト帝国の歴史や文化を知ることができる貴重な発見である。

【画像】 かつて巨大な勢力を誇っていたヒッタイト帝国

 ヒッタイト王国とそれに続く帝国は、トルコアナトリア中央部を拠点とし、その首都はハットゥシャにある。

 豊富な考古学遺跡と文献情報から、ヒッタイト帝国は紀元前1650年から紀元前1200年の間の東地中海と近東における旧世界の主要勢力のひとつとして認められている。

 その最盛期、ヒッタイトアナトリアの中央部、南部、南東部と、レバント北部、シリア北部を支配していて、アナトリアのほぼ全土がヒッタイトの勢力下にあった。

 この間、ヒッタイト帝国は近東における社会政治的覇権を争って、エジプトと戦っていた。この争いは、紀元前13世紀初頭のシリアのカデッシュ時代に、最大規模の戦闘へと発展した。

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アナトリアにあるヒッタイトの遺跡 photo by iStock

 紀元前1200年頃、ヒッタイト帝国と中央行政システムは、大規模再編によって崩壊し、その影響は近東周辺に広まった。

 ヒッタイト最後の王として知られている、シュッピルリウマ2世の治世は、紀元前1207年頃に始まり、アナトリア内のいくつかのライバル勢力やアラシヤ(キプロス)との陸や海での戦いの勝利はあったものの、その後、ヒッタイトの統治者がの記録に残ることはなかった。

 エジプトの統治者ラムセス3世の碑文(紀元前1188年もしくは紀元前1177年)には、エジプトが攻撃される前に、"海の民"によって一掃された者たちの中にヒッタイトの名が記されている。

 ヒッタイトの首都ハットゥシャは、紀元前1650年頃、ヒッタイト古王国の王、ハットゥシリ1世によって設立された。

 ハットゥシャ、ハットゥサス、ハットゥシュとしても知られるこの古代都市は、トルコのアンカラから東に210キロのアナトリア高原中北部に位置している。

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ハットゥシャ遺跡 / image credit: A. Schachner, German Archaeological Institute, Istanbul

20世紀より発掘が始まり3万枚以上の粘土板を発掘

 ハットゥシャ遺跡は19世紀に再発見され、1930年代ドイツ考古学研究所の考古学者たちによって発掘が始まった。

 「ここは、1986年からユネスコ世界遺産に登録されています」ユリウス・マクシミリアン大学ヴュルツブルグ校のダニエル・シュヴェマー教授らは語る。

 これまでに、楔形文字(くさびがたもじ)が刻まれた粘土板がおよそ3万枚発見されているという。

 2001年ユネスコ世界記録遺産に登録されたこれらの粘土板は、ヒッタイトとその近隣諸国の歴史、社会、経済、宗教的伝統についての豊富な情報を教えてくれる。

 粘土板の文書のほとんどは、ヒッタイト語で書かれている。これは、世界最古のインド・ヨーロッパ語で、この遺跡で主流の言語であったことが証明された形だ。

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ハットゥシャで発掘されたヒッタイト語の楔形文字が記された粘土板の1つ。これは大英博物館に保管されているもので、平和条約が記録されている / image credit:Trustees of the British Museum

未知なる言語が楔形文字で刻まれた粘土板を発見

 その粘土板の中に。かつて使用されていたが、長年忘れ去られていた別の言語が発見されたのだ。

 ヒッタイト人は、外国語で儀式を記録することに独特の関心を持っていたという。

 シュヴェマー教授はこう語る。

ヒッタイト王の筆記者によって書かれたこうした儀礼文書は、アナトリアシリアメソポタミアのさまざまな伝統や言語環境を反映したものです

単にヒッタイト語が話されていたというだけでなく、あまり知られていない青銅器時代後期のアナトリアの言語背景を垣間見る機会を与えてくれる貴重なものです

 ハットゥシャの楔形文字文書には、ヒッタイト語にかなり近いアナトリアインドヨーロッパ語であるルヴィ語やパライ語、非インドヨーロッパ語のハッティ語の文章も含まれている。

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トルコ、ハットゥシャにあるアンバリカヤ山麓の遺跡で、未知のインドヨーロッパ言語が発見された / image credit:Andreas Schachner / Deutsches Archaologisches Institut.

カラスマ地域に住んでいた人が話していた言語の可能性

 新たに見つかった言語は、おそらく現在のトルコ、ボル州の、ヒッタイト中心部の北西端地域、カラスマに住んでいた人たちによって話されていたのではないかと、専門家は考えている。

カラスマの文書は、まだほとんどが未解読です」フィリップ大学マールブルグ校のエリザベス・リーケン教授は言う。

 これは、アナトリアインドヨーロッパ語系の言葉だそうで、地理的には、パライ語が話されていた地域に近いが、文章はルヴィ語との共通点が多いようだ。

 カラスマ語が、青銅器時代後期のアナトリアの方言であるルヴィ語と、どの程度密接に関連しているのかが、今後の研究テーマとなるそうだ。

References:3,000-Year-Old Cuneiform Tablet Reveals Previously Unknown Language / 'Ritual text' from lost Indo-European language discovered on ancient clay tablet in Turkey | Live Science / written by konohazuku / edited by / parumo

 
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トルコの古代遺跡から未知の言語が記された粘土板が発見される