ジャズミュージシャンで、エッセイストとしても才能を発揮する南博の「白鍵と黒鍵の間に-ジャズピアニスト・エレジー銀座編-」を冨永昌敬監督が映画化した『白鍵と黒鍵の間に』(公開中)。昭和末期の夜の街、銀座を舞台に、未来に夢を見る“博”と、夢を見失っている“南”という2人のピアニストの運命が大きく狂いだす一夜を描く本作で、池松壮亮1人2役にチャレンジ。“南”と“博”が直面する葛藤や岐路、選択を演じきっている。2人のピアニストと、彼らのそばでニヤリと笑うお調子者のバンドマスター、三木(高橋和也)のやり取りも大きな見どころとなり、ドラマを一層盛り上げている。そこでMOVIE WALKER PRESSでは、池松と高橋にインタビューを敢行。お互いから受けた刺激や、自らの抱く夢について語ってもらった。

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■「この企画を好きになる理由がたくさんありました」(池松)

――欲望渦巻く夜の銀座の裏側、ミュージシャンの理想と現実など複数のエピソードを同時進行させながら、予測不可能なクライマックスへと突き進んでいきます。観客を巻き込んでいくようなエネルギーに満ちた映画となりましたが、脚本を読んでぜひ参加したいと思ったのは、どのような理由からでしょうか。

池松「僕がこの企画に参加したのはかれこれ5年ほど前だったと思います。冨永さんといつか一緒にやりたいと思っていたこと、ジャズピアニストを題材にしたとても魅力的な企画だったこと、その当時から脚本はだいぶ変化しましたが、目指していたところは一貫していました。この企画に大きな可能性を感じていました。人生が浮かびあがってくるようなこの映画の類を見ない試みに、ぜひともチャレンジしてみたいと思いました。また『音楽映画をいつかやってみたい』と思っていたことも大きな理由の一つでした。自分がこの企画を好きになる理由がたくさんありました」

高橋「“南”と“博”がどのように存在するのかということも含め、脚本を読んだだけではわからないところがたくさんあって。監督はこれをどうやって映像化するんだろうと、興味が湧きました。同時に、80年代の銀座の持つきらびやかさやいかがわしさが描かれている点にも、とても惹かれて。池松くんと同じように、音楽映画をやれるということもうれしかったですね。キャスティングを見てみると、本物のミュージシャンがたくさんいたりして。『これは本気で音楽映画をやろうとしているな』と感じました」

――高橋さんはミュージシャンでもいらっしゃいます。やはり本気で音楽映画をやろうとする試みには、ワクワクするものがあったのですね。

高橋「そうですね。すごい音楽映画になるんじゃないかという、期待感がありました。僕はギタリストでバンドマスターというキャラクターを演じることになりましたが、いつも弾いているギターと、ジャズギターとは違うので『これは練習しないと大変だぞ』と思って。撮影前に講師の方を呼んで、教えていただいたんです。実際現場に行ってみたら、池松くんが完璧にピアノを弾くので、『おいおいおい!』と(笑)。『いつ練習したんだ』と聞いたら、『半年前からです』と言うんですよ。『気合、すげえな!』と思いましたよ」

池松「あはは!精一杯、なんとかギリギリ間に合ったのか?…という感じです。弾きますとは言ったものの、弾くなんて言わなきゃよかったと何度も思いましたよ。半年間、伸び悩みました(苦笑)。当たり前ですよね、素人にはレベルが高すぎました。アレンジがとにかく難しくて、かっこよくて、大変でした」

■「池松くんの才能に、脅威を感じた」(高橋)

――そういったご苦労もありながら、やはり“南”と“博”を演じるうえでは、ご自身の身体にピアノを染み込ませる必要があると感じていらっしゃったのですね。

池松「そうですね。自らピアノを弾くことなしに、この役を引き受けることはできなかったと思います。映像でいくらでも誤魔化せるものですが、そのような態度でこの作品に臨むことは僕のなかでは当然ながらあり得ませんでした。とはいえ半年やそこらでその道のプロになれるわけでは決してないので、技術はもちろんですが、ピアノの前に座ること、鍵盤に触れること、音を聞くこと、そこにいる人の風情のようなものがほんの少しでも馴染んでくることを目指していました。冨永さんがこの作品をやる上で、自分がその主人公であるジャズピアニストを演じる上で当然のことだったと思います。ピアノを触っているすべての時間が、この役に近づくためのプロセスとなってくれました」

高橋「僕はいかにピアノを弾くことが大変かということもわかっているので、ピアノの前に座ろうなんてなかなか思えない。池松くんがピアノを弾いている姿を見ていると、一芸に秀でている人というのは、集中力と想像力でしっかりと弾きこなしてしまうんだと感じて。彼の才能に脅威を感じました。それくらい、すごかったです。また、“南”と“博”の演じ分けもすごかったですね。銀座に飛び込んできたばかりの若い“博”と、夢を見失いかけている“南”。その差を見事に演じていて驚きました」

――高橋さんの演じる三木は、お調子者でありつつ、その佇まいから哀愁と音楽への愛情がにじみでてくるようなキャラクターです。池松さんは、高橋さんのお芝居から刺激を受けたことはありますか?

池松「いつも刺激だらけです。僕は個人的に高橋さんのお芝居が昔からとても好きで、共演としては『宮本から君へ』のドラマ版で、長くご一緒させていただいていました。そこで高橋さんが演じていたのが、(自分が演じる)宮本にとってお節介でいろいろダメな人なんだけど、憎めない、そして肝心なところで身をもって助けてくれる恩師のような存在でした。今作で久しぶりに再会できて、なんだか本作の三木さんも、“南”や“博”にとってダメな愛すべき恩師のような存在で(笑)。高橋さんの心底愛情深いその目と、心の奥深さを見つめていれば、今回も自ずと博と南と、三木さんとの関係が成立すると確信していました。三木役を高橋さんが演じられると聞いて、とてもうれしかったです」

――“南”や“博”と、三木さんのやり取りも大きな見どころになりますね。

池松「人生を映しているこの映画は、非常にメタ的な仕掛けが多く、三木さんは“南”や“博”のあるかもしれない“その後”を体現しているようなキャラクターだといえます。きっと三木さんも当時は博のように夢に憧れ、南のように現実にのまれながらも抜けだしたいと葛藤し、そして今の三木さんがあるのだと思います。だからこそ、あんないい加減な人だけど、懐がものすごく深い。この映画の持つユニークさや哀愁や小気味の良さを、高橋さんが三木さんとして作ってくれたと思います。ノンシャラントを地でいきすぎているようなキャラクターでした。僕の周りで本作を観てくれた人は、三木さんファンが多いんですよ」

高橋「そうなの?」

池松「三木さんは、心のなかで様々な葛藤を殺して生きてきた人でありながら、いつもヘラヘラしている人。そんな三木さんの奥行のある魅力を、高橋さんが見事に表現されていました。そういえば高橋さん、三木さんを演じるために歯を黄色くしていましたよね(笑)。数日間知らずに、高橋さんなんか歯、黄色いなあって思っていました」

高橋「そうなんだよね。衣装合わせでは、監督からいきなり『ヒゲがあったらおもしろいですよ!』と言われて。それが撮影の1週間前だからね(笑)。一生懸命伸ばしましたよ!伸びるのが速いほうで、よかったです」

■「この世界には、映画や音楽で埋められる間がある」(池松)、「夢とは追いかけて、破れるもの」(高橋)

――ジャズピアニストとしての未来に夢を見る“博”と、夢を見失っている“南”を通して、自分は夢に向かってどのように歩んできたのか、いったいどこに行き着いたのかと考える人も多いと思います。お2人は、本作を通して夢について考えたことはありますか?

池松「人生というものは、破壊の時期もあれば、創造の時期もあります。まるで宇宙の法則のようにそれを繰り返しているものだとも思っています。本作は、夢を追い続けることや、夢をこうして叶えました、あるいは夢を持とうよというような教訓めいた映画ではなく、現実と夢、あるいは現実と理想という人の営みのなかで必ず起こるもの。いつだって人生というのはままならないもので、そういった人生の不完全性を受け入れたうえでまたピアノを鳴らし始めるということに、この映画の真の意味があるような気がしています。そして私たちには“映画がある”と思ってもらうこと。コロナや今なお続く戦争、世界が大きな転換点を迎えている今、“この世界には、映画や音楽で埋められる間がある”ということを感じてもらえたら、心から幸せです」

高橋「夢って、追いかけて、破れるものじゃないですか。そして『人生なんてクソだ!』と絶望するところから、もう1回、諦めずに、自分は夢に向かって情熱を燃やし続けられるのかと考える。それってとても難しいことだけれど、それでいてとても楽しいことですよね。ぶっ倒れてもいい。廃人のようになってもいい。夢が破れても、地獄の底に突き落とされても、まだなにかを探して、夢想できるというのは、人間のすばらしいところだと思うんです。こんなにぐしゃぐしゃな世の中で、訳のわからないことが毎日起こるなかでも、『自分はまだ、なにかに向かって挑み続けられる』という気持ちがあること。それが僕にとっての夢です」

――博にとって、大学時代のピアノの恩師、宅見先生(佐野史郎)はとても大事な存在です。お2人にとって「この人のことを思いだすと励まされる」「この言葉に支えられた」と感じるような存在、ご経験がありましたら教えてください。

高橋「僕の身の回りには、長い間この業界で生きてきて、無名のまま亡くなっていった先輩たちもたくさんいます。その人たちの存在は、いまだに自分を励まし続けてくれています。彼が遺した音楽、彼が遺したパフォーマンスなど、僕の記憶のなかではしっかりと生きています。ありがたいことに、そうやって自分を励ましてくれるすばらしいミュージシャン、俳優の先輩がたくさんいます」

池松「すばらしいですね。僕もたくさんそういった人たちがいます。僕が一番思い出すのは、15歳の時に亡くなった祖父のことかもしれません。亡くなる前に病室で何度も何度も、当時公開を控えていた僕が出演する映画のタイトルを口にして、はやく観たいと言ってくれました。『それを観るまでは死ねん』と楽しみに待ってくれていましたが、結局それを最後に亡くなってしまいました。おじいちゃんのことを思い出すと、励まされるような想いがします」

取材・文/成田おり枝

『白鍵と黒鍵の間に』池松壮亮&高橋和也に独占インタビュー!夢や自身を励ます存在について語り合った/撮影/興梠真帆