京都の冬の恒例行事『吉例顔見世興行』が2023年12月1日(金)〜24日(日)まで京都・南座で行われる。今年は、十三代目市川團十郎白猿襲名披露、八代目市川新之助初舞台の公演となり、例年にも増して華やかな舞台になるだろう。今回、昼の部は襲名披露狂言として團十郎とぼたん親子が共演する「男伊達花廓(おとこだてはなのよしわら)」、さらに「景清(かげきよ)」、新之助初舞台として「外郎売(ういろううり)」、夜の部は襲名披露「口上」、襲名披露狂言の「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」が並び、昼夜にわたり、團十郎襲名に相応しい狂言立て。興行を前にした10月11日(水)、都内で会見があり、團十郎が思いを語った。その様子を写真とともにお伝えする。

ーー團十郎を襲名されてまもなく1年。そろそろ名前に慣れてこられたのか、まだ慣れていないのか、率直な思いを教えてください。

團十郎という名前に慣れたかというと、ちょっと慣れてきました(笑)。よくお店や町を歩いていると「海老蔵さん」と言われますが「いえ、團十郎です」というような会話がまずできるようになった。娘も息子も、特に娘は「海老蔵さん」「違います、團十郎です」というような空気になってきて、私自身も團十郎としてお店を予約したりして(笑)、少しずつ自分の中では意識が変わっています。

いわゆる歌舞伎の中の團十郎というのは、やはり重みがある。その認識は自分が子どものときから持っていますので、そういう面ではまだなりきれていない部分もありますけど、徐々に慣れてきているのかなと思います。

ーー南座の『吉例顔見世興行』では「まねき看板」が上がります。そのことに対する思いは?

私は前回の顔見世が7年ぶりで、南座では8年ぶりの出演らしいです。そのとき父はもういなかったので、「海老蔵」という名前でまねきが上がったと思うんですね。今回は「團十郎」という名前でまねきが上がるので、すごく意義があるなと思います。

......私も子どものときに顔見世の興行は、父・團十郎のときに度々舞台に立ったり、もしくはプライベートで父の芝居を観に行ったりしていました。南座の前にお邪魔した際に、「團十郎」と上がっていると「そうなんだ」と思ってましたが、「團十郎」のまねきが上がること自体が11年ぶりですから。当然、私もそれ以来見ていません。「團十郎」という名跡が南座のまねきで上がるということで、自分のことではないような、どこか懐かしい感覚で見るのではないかな。楽しみにしています。

ーー新之助さんの「外郎売」や、ぼたんさんとの「男伊達花廓」での共演もあります。やはりお子様の成長を感じられるのでは?

まず麗禾(ぼたん)のことから話しますと、やはり「歌舞伎の世界で自分は生きていけないのかもしれない」という認識はもう数年前から明確にある。しかしながら、私は今までの環境とは違う、先輩たちとは違って、女の子が活躍できる環境をずっと作ってきて、一つずつ積み重ねてきた。

という中で、歌舞伎座で「團十郎娘」を一人で踊った。歌舞伎座で女性が主演をするというのは60年ぶり。そういうようなことを積み重ねて、彼女は希望を持ちつつも、やはり現実を見る力もつけ、他のこともやってみたいということで、事務所と契約をしました。今日も1人で大阪の方で仕事をしているんですけど、やはり1人の人間として、市川ぼたんさんはもう尊敬に値するほど、人との関係性の築き方、また接し方、礼儀、気の配り方。どこをとっても、私が勝てるところはもはやない。それくらいしっかりしたなと思ってます。まぁ、しっかりしすぎることは果たしていいかどうかはまた別の問題ですけども、そこまで育ってきたなと思います。

そして、勸玄くんは非常に特化した人物に育っていて。歌舞伎座の「外郎売」を私の代役でやったときは、貴甘坊としてやったんですね。結果、襲名披露、初舞台では1人で「外郎売」をやった。(尾上)菊五郎のおじさま、(市川)左團次のおじさまといった錚々たるメンバーの中で、あのような大きな舞台ができたことは、今思えば成長なんだろうと。

博多座での「外郎売」は、歌舞伎座でやった「外郎売」とは比べ物にならないほどの成長を遂げていた。これは先輩たちも同じように言っていたので、自分の依怙贔屓ではなく、役者として見て「大したもんだな」と思うぐらい変わった。あの年齢の子どもで、襲名披露もしくは初舞台で全国を回ることは恐らく彼が初めてでしょう。やはり「外郎売」という一つの武器をとにかく磨き上げる作業に対して、彼は突出した気持ちがある。それをバックアップする、環境を整えることを、親父としてやる。他のことに関しては私は何も言わないので、非常に楽しい人生を謳歌しているんじゃないかなと思っています。

ーー「助六由縁江戸桜」では、三浦屋揚巻を中村壱太郎さんと中村児太郎さん、髭の意休を市川男女蔵さんが演じられますね。

やはり大先輩とやることが念頭にあったんですけれど、体調面などさまざまなことで、難しい部分がある。ではどうしていくか。この「助六由縁江戸桜」は歌舞伎十八番のうち市川宗家のみ許されることが多く、題名も市川宗家しか使ってはいけないんですね。他のうちがなさる場合は題名が変わるほど。

ですから私が次、いつ「助六〜」をやるか考えた。そうすると多分3~5年はやれないと思うんですね。3〜5年後に先輩たちに頼んだ場合、先輩たちが次の世代に渡すという作業ができるのか。もしかすると次の世代に揚巻と意休を渡せない可能性が出てくるのではないかと考えをフォーカスしたのです。そういう意味で児太郎くんも壱太郎くんも(坂東)玉三郎の兄さんに習っているし、男女蔵さんはずっと左團次さんをずっとそばで見ている。今のうちに習えることをやっていただいて、僕の次の世代も揚巻等を身につけていかないといけない。襲名披露では大先輩たちに囲まれるという認識があるからこそ、そのようなことを思われると思うんですけど、次の世代に役を渡していくという作業に考えをフォーカスした結果です。

ーー「景清」や「男伊達花廓」などについては。

夜の部は古典で固めようというのが私どもの考えの一つです。関西の大先輩と、團十郎となる若い人間のーーもう若くはないけども(笑)、歌舞伎の世界の若い人間を披露していくという世界観。もう歌舞伎が好きでね、やはり顔見世に毎年行っていて、古典で......というような空間を作ろうと。

夜は夜で十分面白いと思うんですけど、(昼は)初めて歌舞伎を観るんだぞという方に向けて。皆さん日常生活の中で、海外からの渡航者が最近また増えてきたと肌身で感じていると思うんですね。私も京都に何人も友人がいるんですけど、京都は、日本人とともに海外の渡航者が増えてきて、ごった返していると。そういうこともあって、昼の部は初めて観る方が楽しめる環境作りを。つまり、あまり長くなくて「歌舞伎を観たぞ」と思っていただけるような環境づくりを整えようと。

外郎売」についてはもう彼(※新之助)に「外郎売」をひたすら磨いてもらう。もう皆様方に親の気持ちになっていただいて、勸玄と「外郎売」の成長を見てほしい。これは一つ見どころだと思います。

そして「男伊達花廓」というのは、2020年の襲名披露興行がコロナ禍で延期されなかった場合、七月興行の一部か二部に入れる予定でございました。チラシを見ていた方が「これ、どうやってやるのかな?」という気持ちも残っていたと思いますし、そういう意味で“残っている演目”である「男伊達〜」を入れて、ぼたんを参加させることを考えて。大変短い演目ですが、「曽我綉侠御所染(そがもようたてしのごしょぞめ)」御所五郎蔵と皐月のスピンオフという形で、私が作った作品でございます。自分が作った作品が團十郎襲名披露にかかることは非常に名誉なことでございます。その斬新さも味わってもらいたいですね。

「景清」も実は私が作った作品でございまして。短い作品ながら、「景清」は平家の御曹司でありながら不老不死であって無敵の人間が心が変わり転生・解脱していくさまを荒事で見せる。まさに市川團十郎の荒事の創始者の家の演目として構成して作った演目。六波羅が舞台のものを京都の顔見世でご覧いただくということは非常に意義があるんだろうなと思ったので、福岡と同じものにはなりますが、ここはあえてこの演目にしました。

ーー今後歌舞伎の世界でやっていきたいこと、あるいは日本の文化のために歌舞伎というジャンルを超えて何かやっていきたいことはありますか?

難しい質問ですね。歌舞伎に関しては、既存のスキームをちょっと変えたいかなと思いますね。抜本的に、というやつかな。具体的に何かと問われるとちょっと角が立つので言いづらいんですけど、こうあるべきじゃない。この時代はそういう時代だと思うので、やはり時代に合った設定に変えていく。そういったことを歌舞伎に対しては関わっていきたいなと思っています。

そして歌舞伎以外のことで言うと、私は麻央(※小林麻央さん)の助言もあって、2014年から約10年間、植樹をやってたり、環境問題に取り組むNPO法人で代表をやっていたりしています。我々は地球という家に住まわせてもらっていて、自分の家が雨漏りしたら自分で直せますけど、地球の温暖化ということが起こったとき、1人じゃとても直せないですから。そういったようなことにも邁進していきたいです。環境問題に向き合える環境を歌舞伎でも作れるように、またそういったその行動を世界でできるような團十郎になれるように考え出していますかね。

取材・文・撮影=五月女菜穂

市川團十郎 撮影=五月女菜穂