卵が安くなる日がくるかもしれません。

英国のエディンバラ大学(Univ. of Edinburgh)で行われた研究によって、鳥インフルエンザウイルスに対して高い耐性を持つニワトリを遺伝編集技術で作成することに成功しました。

実験では遺伝編集されたニワトリたちが鳥インフルエンザウイルスを鼻から注入されましたが、感染したのは10羽中1羽のみであり、感染した1羽も他の鳥に伝染を起こすことはありませんでした。

研究者たちはニワトリを特定のウイルスに対する耐性を持たせるように変化させられるという概念が実証されたと述べています。

ただ研究結果の中には、いくつかの懸念すべき事実が含まれていました。

この遺伝編集されたニワトリは、ウイルスの進化を促進する可能性があるかもしれません。

研究結果の詳細は2023年10月10日に『Nature Communications』にて公開されました。

目次

ワクチンを打つ代わりに遺伝子を書き換える

ワクチンを打つ代わりに遺伝子を書き換える
Credit:Canva . ナゾロジー編集部

ここ数年、H5N1として知られる致死的な鳥インフルエンザウイルスが急速に蔓延し、数え切れないほどの野鳥やニワトリをはじめとした家禽が犠牲になっています。

また感染の広がりは鳥類だけでなく、哺乳類にも拡大しつつあり、ここ1週間ではカンボジアで2人の犠牲者を出すなど人間への感染も報告されています。

現在のところ、この致死性のウイルスは主に鳥類間での感染を起こすような進化を続けており、人間社会での流行は起きていません。

しかし報告にある哺乳類や人間への感染例は、鳥インフルエンザウイルスが感染対象を鳥類だけでなく他種へと広めようとする「トライアンドエラー」を実施している明確な証拠です。

このまま流行が続けば、かつて世界人口の27%に感染し1億人にのぼる死者(当時の世界人口は18~19億人)を出したスペイン風邪のような惨劇が繰り返されかねません。

そのため現在、希少な絶滅危惧種ニワトリなどの家禽を対象としたワクチン接種の計画が進められています。

しかし地球上にはニワトリだけで230億羽もおり、世代交代も1年あまりと極めて短い期間になっています。

新型コロナウイルスに対するワクチンを世界人口の80億人分用意するのにも苦労している現状、毎年のように230億羽ぶんの鳥インフルエンザワクチンを生産するのは極めて困難です。

そこで今回、英国のエディンバラ大学の研究者たちは、ニワトリの遺伝子を書き換え(CRISPR)インフルエンザの感染に対抗する新たな方法を考案しました。

遺伝編集によって鳥インフルエンザがターゲットを見失う

遺伝編集によって鳥インフルエンザがターゲットを見失う
Credit:Canva,ナゾロジー編集部

新型コロナウイルスが毎日のようにニュースになっていたころ「ウイルスは私たちの細胞の機能を乗っ取って自己増殖する」というセリフを何度か聞いたことがあるかと思います。

ウイルスはタンパク質の殻の中に遺伝情報が詰まっているだけの簡素な構造をしており、生命活動は行っておらず、単独では自己複製すら行うことができません。

代わりにウイルスの遺伝情報には、生命の細胞機能を乗っ取るための攻略情報と必要なツールの設計図が記載されています。

鳥インフルエンザウイルスの場合も同様であり、これまで確認された全ての鳥インフルエンザウイルスは、細胞内に存在するタンパク質「ANP32A」の機能を乗っ取って自己複製を行わせることが知られています。

このタンパク質「ANP32A」は「生命の設計図であるDNA」から「設計図の部分写しであるmRNA」を作る機能を担っています。

ANP32AはDNAからRNAを作る転写の役割を担っています
Credit:Canva,ナゾロジー編集部

建設会社に例えるならば、設計図を管理する部署の管理者に相当する存在でしょう。

鳥インフルエンザウイルスはそんな「ANP32A」の機能を乗っ取ることで、細胞のためのmRNAではなくウイルスの遺伝子を元にウイルスのためのmRNAを作らせ、新たなウイルス粒子を生産させます。

再び建設会社で例えるならば、ウイルスは設計図の管理者を操作して、ウイルス部品の設計図を細胞内の工場に配ってしまっている状態だと言えるでしょう。

鳥インフルエンザウイルスはANP32AのRNAを製造する能力を乗っ取り、自己複製に利用します
Credit:Canva,ナゾロジー編集部

現場は送られてくる部品の設計図(mRNA)を信じて作業を進めますが、出来上がるのは注文通りの建物ではなく、自分たちを殺すウイルス軍団となるわけです。

そこで研究者たちは「ANP32A」の遺伝子の一部を書き換えて形を変えてしまい、ウイルスが「ANP32A」の機能を乗っ取るのを、邪魔することにしました。

設計図の管理者の顔を変形させ、ウイルスがターゲットとして認識できないようにしてしまうのです。

研究者たちはこの操作をニワトリたちの生殖細胞に対して行い、次世代で遺伝編集されたニワトリたちが生まれると、鼻の部分に自然環境での曝露を模倣した量の鳥インフルエンザウイルスを注入しました。

(※実験で使用された鳥インフルエンザウイルスはH9N2と呼ばれる弱毒性のものです)

すると遺伝子編集を行わなかったニワトリたちは10羽中10羽が感染した一方、遺伝編集を行ったニワトリで感染したのは10羽中1羽だけでした。

また遺伝編集しなかったニワトリたちは他の鳥に伝染を引き起こしましたが、遺伝編集したニワトリは感染しても、他の鳥に伝染することはありませんでした。

この結果は、遺伝編集によってニワトリたちに、鳥インフルエンザウイルスに対する大きな耐性を与えられたことを示します。

特に「感染しても伝染しない」という結果は極めて重要であり、鳥インフルエンザウイルスの流行をブロックできることを示しています。

ただ耐性は完璧ではなく、自然な曝露量の1000倍に相当する大量のウイルスを使った感染実験では、遺伝編集されたニワトリでも10羽中5羽で感染が起こりました。

ただ解剖して気道に存在するウイルス数を測定したところ、遺伝編集されていないニワトリに比べて大幅に低い値となり、伝染する可能性も遥かに低くなっていました。

研究者たちは遺伝編集の感染防止効果が100%ではないことを認めていますが、流行拡大を抑止する有力な方法になると結論しています。

というのも、遺伝編集効果は世代を超えて引き継がれるため、次世代以降は全て生まれつき鳥インフルエンザに耐性を持つ個体になるからです。

毎年のように生まれてくる230億羽全てにワクチンを打つことは不可能に近いですが、遺伝編集を使った耐性獲得ならば、従来通りの飼育を続けるだけで大きな効果が得られます。

遺伝編集されたニワトリたちの健康状態に問題がみられない点も重要です。

ただ今回の研究では成果と同レベルの、無視できない危険な事実も判明しました。

ニワトリの遺伝編集がウイルスの進化を促してしまった

ニワトリの遺伝編集がウイルスの進化を促してしまった
Credit:Canva,ナゾロジー編集部

ウイルスの持つ非常に厄介な能力の1つに、進化の速さが挙げられます。

ウイルス感染を100%ブロックできるならば、ウイルスは全て死滅し「進化」を起こす余地はありません。

しかし今回の研究では、自然環境を模倣した曝露量では遺伝編集したニワトリでも10羽中1羽が感染し、1000倍の濃度の曝露では10羽中5羽の感染が起こりました。

体内のウイルスレベルは低く他のニワトリへの伝染は起こりにくくなっていますが、ウイルスは死滅しない限り、進化を続けることが可能です。

そこで研究者たちは遺伝編集しにもかかわらず感染したニワトリの体内で、ウイルスにどんな変化が起こっているかを調べてみました。

すると驚くべきことに既にウイルスは進化を起こしており、自己複製のために乗っ取るタンパク質の多様化を起こしていました。

進化する前のウイルスは元々の「ANP32A」を乗っ取りターゲットとしており、「ANP32A」を遺伝編集すると、ターゲットを見失ってしまい、増殖できなくなります。

しかし遺伝編集されたニワトリの体内で増殖したウイルスを調べたところ、編集後の「ANP32A」だけでなく類似のタンパク質「ANP32B」や「ANP32E」も乗っ取りターゲットとして利用できるように進化していたのです。

つまり鳥インフルエンザウイルスの細胞機能の乗っ取り経路を1つ潰したところ、進化によって新たに2通りの乗っ取り経路が開拓されてしまったのです。

この結果は、遺伝編集は耐性を高める効果があるものの、副作用としてウイルスの進化を加速させかねないことを示しています。

そのため研究者たちは、遺伝編集でウイルスに対抗するには1つではなく、同時に複数の遺伝子を書き換える必要があると述べています。

実際研究で「ANP32A」「ANP32B」「ANP32E」の全ての遺伝子を欠損させたニワトリ細胞に対して感染実験を行ったところ、ウイルスの複製が完全にブロックされていることが示されています。

複製が100%阻止できるのならば、ウイルスの進化も起こりません。

そのため研究者たちは現在、3つの遺伝子の全てに編集を行った新たなニワトリの作成に取り組んでいます。

しかし複数の遺伝子に編集を加えたニワトリの肉や卵を食べても、人間に影響はないのでしょうか?

私たちが買い物を行うスーパーで売られている、大豆を使用した製品ではしばしば「この商品は遺伝子組み換え大豆を使っていません」という表示がみられます。

この表記は遺伝子組み換え食品表示制度があるために行われています。

しかし表記を信じている人々にとっては悲しいことですが、日本は世界でもかなり上位の、遺伝子組み換え作物の輸入国となっています。

輸入量全体に対してトウモロコシでは91%、大豆でも94%が、油用のナタネも91%が組み換え品であり、多くが人間用の食品材料として使用されています。

もちろん、それで遺伝編集したニワトリの安全性を保障できるわけではありません。

ただ現在も鳥インフルエンザによる大規模な殺処分の影響で、卵の供給不足や値段高騰が起きています。卵の値段が1パック100円のように安くなるならば、多くの人々にとって大きな利益となるでしょう。

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参考文献

Scientists harness CRISPR to make chickens resistant to avian flu https://www.cidrap.umn.edu/avian-influenza-bird-flu/scientists-harness-crispr-make-chickens-resistant-avian-flu

元論文

Creating resistance to avian influenza infection through genome editing of the ANP32 gene family https://www.nature.com/articles/s41467-023-41476-3
遺伝編集で鳥インフルエンザに耐性のあるニワトリを作成!