2002年から始まったいわゆる「ゆとり教育」を受けた最初の世代、彼らが主人公のドラマ『ゆとりですがなにか』(日本テレビ系)。宮藤官九郎が脚本を務め、2016年に放送された本作は、社会問題や恋愛に振り回される3人の主人公のリアルな姿が話題を集めた。2017年には特別編ゆとりですがなにか 純米吟醸純情編』が放送、現在でもファンの多い作品だ。そして本日、映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』がついに公開される。本作の主人公たちより少し後に生まれた、いわゆる“さとり世代”の筆者は、放送当時と今とではこのドラマについてかなり感じるものが変わったところがある。今回は、あまりにリアルなドラマが何を描いていたのか、そして映画ではなにが描かれるのか、深掘りしてみたい。

【写真】“ゆとり”3人組も30代半ばに 映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』場面写真

 『ゆとりですがなにか』は、1987年生まれの主人公・サラリーマンの坂間正和(岡田)、小学校教師の山路一豊(松坂桃李)、そして路上で「おっぱいいかがっすかー!」と客引きしている道上まりぶ(柳楽優弥)を中心に、坂間の恋人の宮下茜(安藤サクラ)や、後輩の山岸ひろむ仲野太賀・当時の芸名は太賀)、山路の学校へ教育実習にやってきた佐倉悦子(吉岡里帆)など、キャラの濃い面々が社会問題や恋などに振り回される様子を描いた社会派コメディドラマだ。ドラマ放送終了から映画まで間に世の中の状況は大きく変化したはずなのに、今ドラマを見返してもそのリアリティには驚くものがある。まずは、連蔵ドラマで描かれたあの頃の“リアル”を見ていこう。

 ちなみに、“ゆとり世代”とは1987年~2004年生まれの人たちのこと。「脱・ゆとり教育」も経験した1990年代半ば生まれ以降の世代を“さとり世代”と呼ぶ場合が多い。特にさとり世代ははっきりとした線引きは難しいが、ゆとりさとりも“生まれたときから不景気”そして“社会問題山積み”な世の中を生きてきたことは共通していると言えるだろう。


■「これだからゆとりは」でもただの“失敗作”ではない

 2016年、ゆとり第一世代と呼ばれる坂間・山路・茜は、社会人生活も長くなり、なんとなく仕事とプライベートとの間でモヤモヤしていた(同い年のまりぶは“規格外の男”なので一旦置いておく)。競争を好まず個性を活かしたいのがゆとり世代の特徴といわれるが、肝心の“個性”がいまいちつかみきれていないような気も。そんな彼らは、自分のことはよく分からないけど、お互いに本質を突き合いもがきながら前に進んでいく。時には、周囲に迷惑をかけながら。

 本作はゆとり世代を“負の遺産”とするだけではない。第4話から山路が担当する4年2組に加わる生徒・大悟は、「LD児」つまり学習障害を持つ少年だ。山路によれば、ゆとり教育以前はLD児は認識されておらず、「努力ではどうにもならない」ことが分かったのはゆとり教育の功績だという。この大悟が4年2組にすんなりと受け入れられていく様子は、ゆとりさとり世代の次の世代の子どもたちならではの柔軟性の高さゆえだろうか。

 そしてもう1つ、本作で舌を巻くのは“女性”の解像度の高さだ。2023年現在も、女性のキャリアや社会進出率などについてSNSで意見が飛び交う。ゆとり第一世代は、男女雇用機会均等法が施行された1986年よりもあとに生まれた世代。社会が女性の社会進出になんとか慣れようともがくなか育った世代だ。そんな彼らが社会に出るころには、(表面上かもしれないが)雇用条件や仕事内容において男女は平等に。そして坂間と茜が所属する会社「みんみん」では、茜は女性でありながら、恋人・坂間の上司であり、仙台への栄転の話まで。一方の坂間はパワハラ疑惑をかけられ末端店舗の店長に押し込められている。国の一声によって無理やり“新世代”にならざるを得なかった坂間にとっては、これがまたプライドを傷つける。

 無理やりアップデートさせられた結果、失敗作として「これだからゆとりは」と蔑まれるゆとり世代。そして、そんなゆとり世代を見て世の中に諦めを抱くさとり世代。しかし本作では彼らを悲観的に見るばかりではなく、出世した瞬間に「結婚するから辞めます!」と夫婦連名で辞表を出す坂間・茜カップルに対しても、「まあ、こういう世代だからね」となんとなく周りは温かいというか、受け入れている。『ゆとりですがなにか』で描いているのは世代間の対立ではなく、良くも悪くも“受け入れあう”姿だ。

■SP版でもやっぱり“女性”の描き方がすごかった

 SP版が放送された2017年といえば、コロナ禍がやってくることなど誰も知らず、2020年に開催されるはずだった東京オリンピックに向けて国内が浮足立ち始めていた頃。『ゆとり』の世界でもその足音は迫っていて、せっかく坂間が会社を辞めて継ぐこととなった坂間酒造は、モノレール建設のために立ち退きを迫られている。まりぶの父・“バブル世代”麻生(吉田鋼太郎)は再びの不動産バブルを前にギラついている。

 そんな中で注目したいのは、やはり今回も“女性”の話。レギュラー放送時には、出世株として期待を背負い、バリバリ働いていた茜だったが、結婚を機に坂間家に入った。坂間と2人でゆっくり話す時間もなく、すれ違っていく。そんな折、久しぶりに会った山路から坂間が言われたのは「茜ちゃんにとって、坂間家は家族じゃなくて“社会”なんだよ」という一言だった。

 女性のキャリア形成が叫ばれて久しいが、生物として、子どもを産むことは女性にしかできないことは過去も未来も変わらない。自分の意思で退職した茜だが、どこかまだ“働きたい”という気持ちは残っているようだった。子育てを経てその気持ちはどうなったのだろうか。その答えは劇場版で明らかになるだろう。

 また、まりぶの中国人妻・ユカ(瑛蓮)の「時給ヨリ延長保育代ノ方ガ高クツクヨ! 日本死ネ!」という、放送当時の流行語を交えたこのセリフにも、子育て支援や女性の社会復帰の難しさがにじみ出る。当時からこれらの問題について状況が良くなった実感は正直ないが、リアルすぎる女性キャラが多い本作。劇場版ではなにか答えを導き出してくれているのかもしれない。

ゆとりさとりも、Z世代も受け入れて――劇場版、そしてその先へ

 本日から公開される劇場版では、働き方改革、テレワーク、多様性、グローバル化、コンプライアンスといった令和らしい時代の波がゆとり世代のもとに。そして新たな“Z世代”も社会の仲間入りをした中、坂間・山路・まりぶはまたも人生の岐路に立っている。“人生の岐路”とは言うが、人生は常に岐路なのかもしれないと、彼らを見ていて思う。これからさらにさまざまな新世代が生まれても、『ゆとり』の主人公たちは一生ゆとり世代だし、筆者は一生さとり世代だ。今回の映画化で、新しい世代を受け入れながら、人生の選択を時に間違えながらも繰り返していく主人公たちの姿をまた見ることができるのはとても嬉しい。欲を言えば、これからも新たな世代がやってくるたびにまたもがく彼らの姿を見られることを願う。(文:小島萌寧)

 映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』は公開中。

映画『ゆとりですがなにか インターナショナル』メインカット (C)2023「ゆとりですがなにか」製作委員会