冬将軍:音楽ライター)

JBpressですべての写真や図表を見る

90年代から現在までの、さまざまなヴィジュアル系アーティストにスポットを当て、その魅力やそこに纏わるエピソードを紹介していくコラム。今回は、多くのヒット曲を生み出し、誰もが知る“国民的バンド”の地位を確立したGLAY。来年2024年に迎えるメジャーデビュー30周年の軌跡と現在形を探る。 (JBpress)

“国民的バンド”の地位を確立

 来年2024年にメジャーデビュー30周年を迎えるGLAY90年代、誰もがそのメロディを耳にしたことがあるだろう多くのヒット曲を生み出し、“国民的バンド”の地位を確立した。であるからこそ、硬派なロックバンドというよりも、歌モノのポップなバンドという見られ方をされることが多いのかもしれない。

「HOWEVER」(1997年

BELOVED」(1996年8月リリース)、「HOWEVER」(1997年8月リリース)など、バラードのヒットや、北海道函館市出身のメンバー4人の絆といったバンドに対する実直な姿勢も、不良的なロックバンド然としたものとは違ったイメージを生んでいる。

 正式ドラマーを迎えずに活動してきたことも従来のロックバンドセオリーとは異なるものである。YOSHIKI主宰のエクスタシーレコード出身であったが、ヴィジュアル系バンドとしては見られていない時代があったのも事実だ。

 であるから、LUNA SEA主催『LUNATIC FEST.』(2015年6月)への出演、そして『VISUAL JAPAN SUMMIT』(2016年10月)をX JAPANLUNA SEAと共に先導していく姿を見て、GLAYはヴィジュアル系バンドなのだとあらためて思った人間は多くいた。それだけ彼らが枠にとらわれない活動と作品づくりをしてきたということでもある。

 GLAYBOØWY影響下のビートロック系譜にいることは言うまでもないが、彼らが奏でる抒情的なメロディはそこに特化することなく、より普遍的な日本の歌謡性を大きく昇華し、新たなロックバンドの形を提示してきた。無論、それは現在進行形である。

 今年前半に行われたツアー『HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2023 -The Ghost of GLAY-』東京ガーデンシアター公演のライブ中、ステージ上にて新曲のプリプロダクション的なことが始まり、メンバーが関係者席に居たサウンドプロデューサー、亀田誠治に呼びかけて確認を取るという一幕があった。GLAYらしい肩肘張らないアットホームなライブを象徴するような出来事であったと同時に、メンバーだけで完結せず、外部プロデューサーによる第三者としての目線を大事にするという、彼らの楽曲制作に対する姿勢が垣間見えた場面でもあった。

 そう、彼らはあくまで楽曲の世界観を重視し、より良い作品づくりのために多くのバンドが避けてきたような方法と手段を選んできたのである。

メジャーデビューと外部プロデューサーがもたらしたもの

 X JAPANといえば、YOSHIKIの流麗なピアノと激しいドラムのコントラスト、HIDEとPATAによる綿密に構築されたツインギターが思い浮かぶ。LUNA SEASUGIZOのどこまでも続くような咽び泣くロングトーンとINORANの幻想的なアルペジオ……そういったようにロックバンドを語るときに連想されるバンドサウンドがあるものだ。

 しかし、GLAYの名前を聞いてまず浮かべるものは、HISASHIのリードギターよりもTERUの歌声であり、美しい日本語が並べられた詩であり、その普遍的なメロディではないだろうか。

 私は著書『知られざるヴィジュアル系バンドの世界』で、GLAYのことを「ロックバンドであることをやめた」と書き記した。誤解を招くような乱暴な言い方ではあるが、決して悪い意味ではない。正式ドラマーを迎えることなく活動し、メンバーだけで作り上げる音にこだわらずに楽曲で勝負していくという彼らの意志を、当時の同シーンのバンドと比較してそう評した。

 当時のシーンを見渡せば、セルフプロデュースを貫くバンドが多かった。その中で外部プロデューサーを迎え、きっちり歌モノポップスとして完成度の高い作品づくりを目指したのが GLAYだった。わかりやすく言えば、GLAYの楽曲にはピアノや鍵盤、ストリングス打ち込みのシーケンス……と、“メンバー以外の音”が多く入っているのである。楽曲が求めるのであれば、他バンドが避けていたことも厭わないのがGLAYだった。

 結果として、このシーンの出身バンドでダントツのCDセールスとライブ動員を誇り、国民的バンドとしての確固たる人気と地位を確立したのだ。

 1994年5月にエクスタシーレコードからインディーズアルバム『灰とダイヤモンド』と、YOSHIKIが新たに設立したメジャーレーベル「プラチナム・レコード」からメジャーデビューシングル「RAIN」が同時リリースされた。インディーズ盤とメジャー盤を2作同時リリースするというデビュー形態のインパクトのみならず、作風もそれぞれまったく異なっている。

「RAIN」(1994年

「RAIN」はメジャーらしいゴージャス感を漂わせるアレンジが施されている一方で、『灰とダイヤモンド』はインディーズらしく荒削りであり、ソリッドなサウンドを軸にビートパンクで攻撃的な要素が強い作品だ。「RAIN」は『灰とダイヤモンド』にも収録されているが、ストリングスアレンジや英語のセリフが入った、YOSHIKIプロデュースらしい仕上がりのメジャーシングルバージョンとは方向性の異なる装飾的要素のないシンプルなアレンジである。

 両極端な聴き心地を持ちながらも、『灰とダイヤモンド』もノークレジットだが実はYOSHIKIがプロデュースを務めていたことは興味深い。インディーズメジャーという作品の差異をつける狙いがあったのだろう。

 こうした“メジャー感”は、「RAIN」以降にリリースされたシングルも同様であった。「真夏の扉」(1994年6月リリース)は土屋昌巳プロデュース、「彼女の “Modern...”」(1994年11月リリース)は佐久間正英プロデュースと、『灰とダイヤモンド』収録曲が外部プロデューサーの手によってリアレンジされてリリースされた。

「真夏の扉」はリアレンジのほかに楽曲構成の見直しが施されており、よりすっきりとした聴きやすい印象を受ける。「彼女の“Modern...”」も鍵盤を取り入れるなど、より柔軟にリアレンジされていることが窺える。

「真夏の扉」(1994年

 こうした外部プロデューサーによる、メジャーらしい洗練されたアレンジが、GLAYをロックシーンだけにとどまらせないメインストリームへの訴求力となっていったのである。

優等生ロックバンド

 GLAYといえば、佐久間正英プロデュースという印象が強いだろう。4枚目のシングル「Freeze My Love」(1995年1月)は当時のヴィジュアル系ロックテイストの正攻法な楽曲であるものの、同氏プロデュースによるシーケンス&シンセサイザーを多用したアレンジが耳に残る。それによって、無機的でクールな印象に仕上がっている。

「Freeze My Love」(1995年

 当時のロックバンドの多くはメンバー以外の音を入れることに抵抗を持っていたし、シンセサイザーは特に敬遠されていた節もある。かつて、英国バンドのクイーンが用いた“No Synthesizer”クレジットは、LUNA SEAインディーズアルバム『LUNA SEA』にも記されている。しかし、GLAYはあくまで楽曲の世界観を突き詰めるためにシンセサイザーを大きく導入したと思われる。

 そうしたGLAYのロックバンド然としていないところは歌詞にも表れている。退廃的、耽美的なものが好まれていたヴィジュアル系黒服シーンで堂々と「真夏の扉」という燦々と照りつける季節感を出していたし、《歴史の徒花「真夏の扉」》や《夢の轍 「グロリアス」(1996年1月)》といった、どこか日本文学的な雰囲気を漂わせる言葉選びは、中二病的なヴィジュアル系世界観からは出てこないものだろう。

 歌詞を手がけるTAKURO尾崎豊からの影響を受けていることは有名であるが、当時長渕剛といった人生を赤裸々に歌うシンガーソングライター作品を「自分の目指すスタイルとは違うが」と前置きした上で、フェイバリットとしてあげていたことをよく覚えている。そうしたところからも横文字混じりの“詞”より、日本語の美しさを綴った“詩”を重んじていることがわかる。

 当時のヴィジュアル系バンドの多くが、破滅の美学や自虐的な死生観を歌っていた中で《生きてく強さを重ね合わせ 愛に生きる 「生きてく強さ」(1995年11月)》と声高らかに歌っていたのがGLAYである。“お前”ではなく、“あなた”と呼びかけるなど、彼らの優等生的でスマートな佇まいはヴィジュアル系どころか、従来のロックが持っていた不良性とはかけ離れたものであった。

「生きてく強さ」(1995年

 だからこそ、GLAYはロックファン以外の一般層、老若男女幅広く受け入れられた。ゴールデンボンバー鬼龍院翔が『関ジャム 完全燃SHOW』(テレビ朝日系列)にて、GLAYを「親に紹介できるヴィジュアル系バンド」と評したことがあったが、言い得て妙だ。

 現にGLAYは先輩であるX JAPANLUNA SEAをも凌ぐセールスと動員を誇っている。それどころか、単独アーティストによる有料コンサートとしては世界最大級の20万人を動員した『GLAY EXPO ’99 SURVIVAL』(1999年8月)、487万枚を売り上げたベストアルバム『REVIEW -BEST OF GLAY』(1997年10月)など、名実ともに国民的バンドの地位を獲得したのである。

ライブバンドGLAY、現在のGLAY

 先日リリースされた『HC 2023 episode 2 -GHOST TRACK E.P-』、そして前作の『HC 2023 episode 1 -THE GHOST/限界突破-』では、彼らの音楽性の鋭さと、長きにわたり活動してきたバンドとしての懐の大きさを見せる作品を立て続けにリリースしている。

Pianista」(2023年)

Pianista」は幾何学模様のようにストリングスとマリンバが折り重なっていく、マスロック的なアプローチが印象的だ。「限界突破」で感じるドラマー不在を逆手に取った令和的デジタルビートのアプローチを取ってみても、彼らの音楽探究はさらに加速していることが窺える。

限界突破」(2023年)

 ここまで作品づくりの面からのGLAYについて書き連ねてきたが、昨今のライブを観て、「現在のGLAYが一番ロックバンドしている」と感じている。あえて「ロックバンドであることをやめた」と書いたからこそ、現在の彼らを見てそう思うのだ。

 GLAYはライブバンドである。デビュー以来、楽曲制作と同様にコンスタントなライブツアーを行い、多くの熱狂を生み出してきた。オーディエンスがステージに向かってリズムに合わせて腕を翳す光景は、俗に“GLAYチョップ”と呼ばれるほど多くのロックファンにも知られている。

「誘惑」 (『GLAY x HOKKAIDO 150 GLORIOUS MILLION DOLLAR NIGHT Vol.3』)

 コロナ禍においては「エンターテインメントの逆襲」と題して様々な取り組みを行ってきた。規制のあるライブ環境を逆手に取り、観客全員が着席というツアー『GLAY Anthology presents -UNITY ROOTS & FAMILY,AWAY 2022-』では、ストリングスやゴスペルクワイア隊を迎え入れ、普段とは違ったライブ空間を作り上げた。

 先述の『HIGHCOMMUNICATIONS TOUR』は2003年にスタートしたもので、 “あえてコンセプトを決めない自由度の高いライブパフォーマンスを行う”という内容で過去6回行われており、約6年ぶりに行われたものだ。

 派手なパフォーマンスと奇抜な機材を駆使してトリッキーなプレイで魅了するサイバーHISASHIと、50年代のギブソンレスポールを始めとしたマニア垂涎のヴィンテージギターを惜しげもなく使用し、極上のトーンを奏でるオーセンティックなTAKUROという、正反対のギターヒーロースタイルのコントラストは歳を重ねていくごとに深みを増している。いつまでも変わらぬ自由闊達さを見せながらも不意に攻撃的な素振りを見せるJIRO。そして、TERUは変わらぬ伸びやかな歌声を響かせながら、MCでは時折天然(?)な発言も飛び出す。バンドとしては進化しながらも変わらぬ4人が歩んできた30年。きっとこの先も4人は変わらぬまま、進化を遂げていくのだろう。

[もっと知りたい!続けてお読みください →]  今が一番ロックバンドしている、メジャーデビュー30周年を迎えるGLAYの現在形

[関連記事]

“名古屋系”を切り開き、最強のライブバンドへ進化し続けた「黒夢」の軌跡

ゼロ年代以降の筆頭格the GazettEが貫く、ヴィジュアル系バンドとしての誇り

GLAY『HC 2023 episode 2 -GHOST TRACK E.P-[The Ghost Hunter limited edition]』ジャケット写真より