2016年4月期に日本テレビ系列で放送され話題を博し、2017年にはスペシャルドラマやスピンオフドラマも製作された宮藤官九郎脚本の「ゆとりですがなにか」。その待望の劇場版となる『ゆとりですがなにか インターナショナル』が、10月13日より公開中だ。

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岡田将生松坂桃李柳楽優弥演じる、坂間正和、山路一豊、道上まりぶの3人が、仕事や家族、恋や友情に、時に迷い、あがきながらも、人生に立ち向かっていく姿を描く本作。30代半ばを迎え、それぞれ人生の岐路に立たされていた彼らの前に次々と試練が立ちはだかり、さらにZ世代や働き方改革、コンプライアンスに多様性、グローバル化といった新時代の波も次々と押し寄せる。ドラマ版から引き続きメガホンをとる水田伸生監督と岡田将生に、映画化までの舞台裏や、本作の見どころについて語り合ってもらった。

■海外ロケなし、派手さも求めていないけど、それこそが「ゆとり」の世界観

――連続ドラマから7年、スペシャルドラマから6年。松坂桃李さんが「ゆとりの3人で『ハングオーバー!』シリーズみたいなことがやりたい」と脚本家の宮藤官九郎さんに直訴されたのが、映画化実現の発端だそうですね。

岡田「ドラマの撮影後、ことあるごとに『ゆとりの3人はずっとやり続けたいよね』なんていう話をみんなでしてはいたんですが、それが6年間もの長い間ずっと立ち消えにならずに続いていたということ自体が、僕はすごいことだなと思っていて。ほかの作品でたとえそういった話が出ても、どこかで途切れてしまいがちなので」

水田「『いだてん〜東京オリムピック噺』の打ち上げで、出演者みずから直接交渉するなんてね。まさに“別班”ならではの不思議な動きですよね(笑)」

岡田「そもそも監督のなかには、ドラマの放送終了時から映画化の構想があったんですか?」

水田「僕のなかにはあったけど、正直言うと宮藤さんは乗ってこなかった」

岡田「あ、そうなんですね」

水田「『映画的なダイナミズムとか派手さみたいなものを入れたくない』という想いが、宮藤さんとしては強かったからね。なにしろ、宮藤さんがドラマ版を書いていた当時、『水田さんやばいよ!俺、いま山田太一降りてきてるよ!』と言っていたくらいだから」

岡田「へえ、それはすごい」

水田「僕は『そうだよね』って言いながら、内心『いや、全然宮藤官九郎脚本だよ。山田太一先生とは全然違うよ』って思っていたんだけど(笑)、それぐらい宮藤さんのなかでは 、『ゆとり』はいままで自分が書いてきた脚本のなかで、一番生活に対するリアリティがあるニュートラルな作品で、ケレン味とかギミックみたいなところからもっとも遠いつもりでお書きになっていらしたから、『映画化でそういう派手さを求められるのは、僕はちょっとなあ……』っていうような空気を、宮藤さんと話している時に僕は感じていたんですよ。で、しばらく封じ込めていたんですけど、 それを“別班”がこじ開けたんだよ(笑)」

岡田「ものすごい風穴をあけましたね」

水田「『それも任務だったのか?』っていうくらい(笑)」

――そもそも映画版の仮のタイトルが『ゆとりですがなにか インターナショナル(仮)』になったのは、まりぶがエビチリ事業に目をつけて中国に行くという流れからですか?

水田「そうそう。これは実に単純な発想からで。『あ、中国にいるまりぶを訪ねればいいのか!』って宮藤さんが言ったの。もちろんそのほかにも、坂間酒蔵の中国進出という一大プロジェクトがあって、日本酒を持って中国の品評会みたいなところへ正和が乗り込んでいく。 で、そこにどうにか山路や山岸も参加することにすればいいんじゃないかと。『そうすればなんとなく映画っぽくなるなあ』なんてことを言いながらね。でも、途中で宮藤さんは気づくわけですよ。『海外行くから映画なの?そんな安易な発想が“ゆとり”の世界観に合うの?』って。で、結局コロナで撮影が中断される前に、すでに中国ロケはやめているんですよ」

岡田「そんな流れがあったんですね」

――そこから「八王子から高円寺間で起こる国際問題を描く」という設定になったんですね。

水田「『そもそもこの国に描くべき要素が十分あるから発想した企画でしょ』って。さらにコロナ禍でこれまで見て見ぬふりをし続けてきたありとあらゆる問題が、宮藤さんと我々のなかに浮かび上がってきたんです。それこそ経済発展が人々の幸せの指標になっていた時期は、いろんな問題に対して耳を塞いだり目をつぶったりしながらとにかく前へ前へと突き進んできたわけですが、コロナによって経済活動がパタッと止まったことで、問題の輪郭がどんどんはっきりしてきた。その一つが、女性の生きづらさの問題でもあって」

――なるほど。岡田さんは映画版の脚本をお読みになり、どう感じましたか?

岡田「普段、実際にニュースで見聞きしているような、現実の日本社会で起きている様々な問題が“宮藤さん節”で描かれていたので、さすがだなと思いました。それを僕たちがどう受け止めて、どうしていくべきかというのが、正和のパートにはある程度示されていたので、それに真摯に取り組もうと思ったんです。僕としては『今回はゆとりの3人の話というより、木南晴夏さん演じるチェ・シネさんのパートを一番描きたかったのかな』と感じていたので。監督もおっしゃっていた“女性の生きづらさ”を大きな柱の一つとしながら、これまでのゆとりの世界観を崩さずにやれたらいいな、という想いもありました」

■「ゆとりの3人の関係性は、まさにノンフィクション」(水田)

――台本にない空白の期間に関しては、水田監督や宮藤さんとすり合わせたりされたんですか?

水田「特に、なにも話さなかったよね?」

岡田「はい。もちろん多少不安はありましたけど、現場に入ると自然と空白が埋まっていくような、そんな不思議な感覚でしたね。やっぱり連ドラ10話にスペシャルドラマまでやっているので、土台が出来上がっていて。思いのほか、スっと入って行けました」

水田「そうだね。衣装合わせまでは多少手探り感があったけれども、セットやロケに行ってしまえば、本当にすぐでしたね」

――あっという間に時間が巻き戻ったような感じですか?

岡田「いや、巻き戻ったわけではなくて。ちゃんと坂間家のメンバーとして6年という歳月が経過している感覚があるんです。監督はどう感じていらっしゃるかわからないですが、この6年でキャストそれぞれがいろんな現場を経験されてきたからなのか、現場の居方が以前とは少し変わったのが、僕のなかではすごく印象的でした」

水田「連続ドラマを始めた時点では、社会の入口に立っているぐらいのところから、いきなり山岸みたいなとんでもない後輩ができてしまって、もうビックリ仰天して。でも令和5年の今となってはそんな彼らも世の中全体を動かす社会の中心に近いところまで行き始めている。それが実生活ともリンクしていて、それぞれの現場の居方も変わってきたということじゃないかな。 ドラマの時は、同世代だけで芝居ができる喜びに溢あふれていて、みんなでスクラム組んで『行くぞ!』って突き進んでいく印象があったけど、やっぱり7年経つと自分たちのことだけじゃなくて、スタッフに対する目線みたいなものもそれぞれがちゃんと持てるようになってきているよね」

岡田「そうですね。特別なにかを意識的にやっているというわけではないのですが、自分の目に見えている景色が、以前とは明らかに変わってきているような感じはしました」

――映画版で初めて「ゆとり」の3人と出会う方もいらっしゃると思うので、岡田さんの考える坂間正和と“ゆとり像”をお聞かせいただけますか?

岡田「僕が演じる正和は、一見頼りなさそうで優柔不断な夫なんですが、ドラマ版を通して観ると実はちゃんと人を叱れる人でもあるんですよね。本当に嘘がない人間というか、その時その時、純粋に思っていることを自分の言葉で周りの人たちに伝えられる人間だと捉えていて。基本的にはダメダメなヤツなんだけど、正和はいずれなにかしらの中心に立つような人物になるんじゃないかなと思っているんです。正和だけじゃなく山路もまりぶも含めて、ゆとりの3人はとても正直な人間の集まりのような気が僕はするので。桃李さんや優ちゃんとプライベートで会う時も、できるだけ嘘がない付き合い方をしたいなぁと」

――映画の中での関係性と実生活が、互いに“いい感じ”に影響し合っているんですね。

水田「まさにノンフィクションなんだよね。俳優というのはすごい能力の持ち主で、フィクションをノンフィクションに見せるのが彼らの仕事なわけなんですよ。ところが、仕事を超えてさらにそこに実もあるとするなら、さらに不思議なものが生まれてくるはずじゃないですか。それが楽しくて、僕はどんどん撮りたくなってしまっているんですよ」

■「新しい風を吹き込んでくれたキャラクターたちに刺激されました」(岡田)

――映画版には、「みんみんホールディングス」を買収した韓国企業のスーパーバイザー、チェ・シネ(木南)以外にも、吉原光夫さん演じる「坂間酒造」の杜氏の服部など、新たなキャラクターも多数登場しますね。

岡田「皆さん、新しい風を吹き込んでくださいましたよね。服部役の吉原さんが現場に入ると坂間家の空気がガラッと変わるので、僕は毎回ドライ(リハーサル)が楽しみで仕方なかったです。吉原さんには、なにをしだすかわからない魅力があり、吉原さんの芝居を横目で見ながら『俺ももっと自由にできる!』って刺激されたんです。特に、最後の坂間家の居間のシーンでの吉原さんの動きがあまりに予想外すぎて、『え!?吉原さん、こんな動きするんだ!だったら、僕もこうしたい!』みたいな感じで、ものすごいセッションがあの場で生まれたんですよね。しかもそれを監督が『ワンカットで行こう!』とおっしゃるから、僕としてはめちゃくちゃ緊張していたんですが…(笑)。でも、結果的にあの感じが今回の映画版ならではの空気感になったような気が僕はしています」

水田「そうか。これまでも立ち位置すら決めずにかなり自由にやってもらってきたつもりだけど、将生くんは今回、吉原さんの芝居に触発されて、『まだまだできる!』と思えたわけなんだね」

岡田「そうなんです」

水田「じゃあ、こうなったら次は、もっと既成概念を壊してみよう。知らず知らずのうちに身体に沁みついた、経験則すら全部取っ払うっていうのもありだな(笑)」

岡田「もちろん、ドラマ版の時から相当自由度は高かったんですが、今回の映画版の衣装合わせの時に『今回は本当に自由にやってほしいんです』という言葉を、改めていろんな部署のスタッフさんからかけていただいていたんです。やっぱり、その“制限をかけない自由さ”が『ゆとり』の世界なんだろうなって思いましたね。ここまで自由にやらせてもらえる現場というのは、僕のなかでは本当に珍しいので」

――突発的な動きに対応できるスタッフとキャストの技術力あってこそ、見られるお芝居とも言えるわけですね。

岡田「スタッフさんたちのフレキシブルな対応力が本当にすごいんですよ。でも、考えてみたら坂間家の人たちも、基本的に“来るもの拒まず”の精神で、誰でも迎え入れる柔軟さを持ち合わせている。僕自身は割と自分のやり方に固執してしまう意固地なタイプで、つい新しいものを拒絶してしまいがちなんですが、坂間家のようにどんどん異物も取り入れていかないとアップデートしていけないんだなってことに最近気づき始めて。できるだけ未知のものも拒絶しないように心がけているんです」

水田「あのセットに象徴されるように、坂間家には寛容の精神があるんですよ(笑)」

■シリーズ続編に期待!「山岸には、3人で嫉妬していました」(岡田)

――となると、まだまだ「ゆとりですがなにか」シリーズの続編が楽しめそうですね。

水田「映画版の仕上がりをご覧になった宮藤さんが、無理やり映画にしていないことがわかって安心されたわけですよ。しかも俳優たちの芝居によって、自分の脚本がさらにおもしろくなっているわけですから。おかげで宮藤さんの続編に対する心持ちが、映画化前とは180度変わりましたよ。いまでは『ぜひ次も書きたい』とおっしゃっていますからね」

岡田「それは嬉しい!やっぱり3人のバランスがいいんでしょうね。監督はインタビューなどで『3人ともみんなオフェンス』だとおっしゃってくださるんですが、僕の中では『ゆとり』における自分のポジションは、ディフェンスだと思っているんです。桃李さんと優ちゃんを『どんどん行っちゃって!』と焚きつけることで、逆に僕自身もさらに自由に動けるようになる気がして」

水田「なるほどね」

――「山岸ですがなにか」のような、遊び心あるスピンオフ企画にも期待したいです。

水田「『山岸ですがなにか』の脚本は、確か、宮藤さん一晩で書いているんですよ」

岡田「え? あれを1日で書いたなんて、本当にすごいなあ…。いま思い出しましたけど、あの企画の話を聞いた時、僕ら3人で嫉妬していたんです。『結局監督と宮藤さんは山岸を描きたかったんじゃん!なんなんだよ!』って(笑)。しかも、台本を読んだらめちゃくちゃおもしろいじゃないですか!」

水田「ごめん(笑)。嫉妬してた?」

岡田「嫉妬してましたよ(笑)」

水田「いや、編成から『スピンオフを作れ』と要請があって。『さすがにこのタイミングで本線のスピンオフは無理だけど、“山岸ですがなにか”ならできるかも…。それでもいい?』って、僕が自分でタイトル案まで考えて提案したんだよ。そしたら『じゃあ、それで行きましょう!』と即決で。要は、単なるノリで作っただけなんですよ(笑)」

岡田「で、いざ作ってみたらスピンオフまで傑作になっちゃった、というわけですね(笑)」

水田「おもしろいもんだよね」

岡田「いやあ、本当におもしろい(笑)」

取材・文/渡邊玲子

お揃いの「ゆとりですがなにか」ポーズを披露した水田監督と岡田将生/撮影/河内彩