1975年4月から1986年3月まで11年間放送されていたバラエティ番組「カックラキン大放送!!」の西城秀樹さん出演回をCS放送「衛星劇場」にて、4カ月に渡って放送する。同番組は、コントあり、歌ありのお茶の間バラエティ。坂上二郎、研ナオコと共に、新御三家の1人、野口五郎が放送開始当初からレギュラー出演していた。70年代後半から西城秀樹さん、郷ひろみも出演するようになり、新御三家揃い踏みの回もあった。歌だけでなく、出演者のキャラクターや、パーソナリティーも伝わってくる番組だったので、これをきっかけにその人柄に惹かれてファンになる人も多かったようだ。西城さんも同様に、番組内の刑事シリーズで「名探偵ミスター西!!」「刑事サイジョー」といったキャラを演じ、新たな一面を見せてくれた。時を経ても多くの人の心に息づいている西城秀樹さんの魅力について振り返ってみる。

【写真】バラエティ番組ではアイドルとは別の顔を見せる西城秀樹

キャッチフレーズは「ワイルド17歳

西城さんがシングル「恋する季節」でデビューしたのは1972年3月25日。60年代後半からのGS(グループサウンズ)ブームも沢田研二を擁するザ・タイガース1971年に解散するなど終焉を迎え、日本の音楽界・歌謡界に新たな潮流が生まれようとする時期だった。

1971年5月に「博多みれん」でデビューした野口五郎1972年8月に「男の子女の子」でデビューした郷と共に“新御三家”と呼ばれることになるが、野口は甘い歌声で演歌路線、郷は少し高めの歌声でアイドル然としたポップス、それに対して西城さんはワイルドで力強い歌声で聴かせるロック系ポップスといった感じが特徴であり大きな魅力だった。同時期にデビューしながらも、それぞれタイプが違っていて、ライバルでありながらもそれぞれの個性を認め合う関係性だったからこそ、3人一緒にスターへの階段を駆け上がることが出来たのだろう。

1970年代は“アイドル”が広い層に支持され始めた時期でもあった。1980年代はアイドルの人気が高く黄金期とも呼ばれるが、それは70年代の新御三家、女性では山口百恵、桜田淳子、森昌子の“中三トリオ”、キャンディーズといった存在があったからこそだと言える。

さて、昭和の歌手・アイドルはデビュー時にキャッチフレーズが付けられることが多かったが、西城さんにもキャッチフレーズがあった。それは「ワイルド17歳」。デビューシングルの曲調や当時のルックスなどを見ると、その言葉がピッタリ。シングル曲は“ワイルド”で“パワフル”なものが多く、常にかっこよさを前面に押し出していた。そういう流れの中でリリースされた5枚目のシングル「情熱の嵐」は、アクションの大きな振り付けとコール&レスポンスの出来る曲ということで、曲に合わせて「ヒデキー!」とファンが名前を呼んだりして歌番組でも視聴者に強烈なインパクトを与えた。オリコンランキングで初のトップ10入りを果たし、さらに勢いが増して、次のシングル「ちぎれた愛」で1位を獲得している。

■日本人ソロアーティストとして初めてとなるスタジアムでのワンマンライブを達成

1974年は西城さんにとってさらなる飛躍の年となった。「激しい恋」「傷だらけのローラ」といったシングルを発表し、いずれも大ヒットを記録。大晦日の「第25回NHK紅白歌合戦」に初出場している。この年、日本人ソロアーティストとして初めてとなるスタジアムでのワンマンライブを大阪球場で開催。この公演で、巨大クレーンを使ったゴンドラでの歌唱やヘリコプターを使った演出、日本初導入のレーザー光線など、ライブにおけるパイオニア的存在でもあった。

西城さんのステージパフォーマンスを見ると、“アイドル”的な人気があるけれど、表現としては“ロックスター”という方が似合っていたように思える。1975年日本武道館でリサイタルを開催し、1976年にはハワイ公演も実現。1978年には「ブーツをぬいで朝食を」「ブルースカイブルー」などで音楽性の幅を広め、1979年2月発売の「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」はミリオンヒットを記録。

シングルとして洋楽の日本語カバーを多くリリースしている西城さんだが、ライブではさらに多くの洋楽のカバーも行っていた。1978年後楽園コンサートを収めたライブアルバム『BIG GAME ’78 HIDEKI』にはビートルズの「ドント・レット・ミー・ダウン」、アニマルズの「朝日のあたる家」、エルヴィス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」など、1980年の『BIG GAME ’80 HIDEKI』にはレインボーの「ロスト・イン・ハリウッド」、フォリナーの「待ちくたびれて」などが収められている。それ以降もライオネル・リッチーやボブ・ディランの楽曲を取り上げるなど、ロックスター、ロックシンガーとしての真価を発揮していた。

そういう部分が、のちに日本の音楽シーンを担うバンドやアーティストが西城さんをリスペクトする理由にもなっているのだろう。1997年にリリースされた西城さんのトリビュートアルバムに参加していたSOPHIA松岡充ZIGGYの森重樹一、西城さんのシングル「moment」をプロデュースしたX JAPANYOSHIKI、同郷・広島出身の奥田民生も西城さんからの影響を語っていたりする。まさに時代を超えて、令和の今も「西城秀樹イズム」が多くのアーティストに継承され続けている。

■アニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマに起用

一方で、新しいオリジナルのヒット曲を生み出すことも忘れていない。1991年4月にリリースした「走れ正直者」の大ヒットは西城さんにとっての一つの大きな記念碑的作品となった。人気アニメ「ちびまる子ちゃん」のエンディングテーマに起用され、新たに低年齢層のファンも獲得。同アニメの中にもまる子が憧れるアイドルとして度々その名が登場しており、その西城さんの魅力が再認識、再評価された。

■“歌”だけじゃない、西城秀樹さんの出演バラエティが衛星劇場で放送中

2000年以降も楽曲のリリースを行い、コンサートなども精力的に行っていたが、2003年に脳梗塞が発症し、それ以降は病気と闘いながらの活動となった。病と闘いながらも歌、音楽への想いは熱く持ち続け、2018年4月14日の「〜一緒に歌おう!青春の歌〜同窓会コンサート2018 in足利」に出演したが、その約1カ月後、5月16日に63歳の若さで亡くなった。

アイドルの枠を超え、歌もライブパフォーマンスもアーティストとして1つのスタイルを確立。その情熱と輝きは令和の時代になっても変わることなく、残した歌で多くの人に感動と勇気を与えている。そして、歌はもちろんだが、「衛星劇場」で放送が始まった「カックラキン大放送!!」からも西城秀樹さんの魅力をたっぷりと味わってもらいたい。

冒頭で触れたように、「カックラキン大放送」はお茶の間定番バラエティとして人気が高かった。1979年6月1日放送回で、人気コーナー「お笑いお茶の間劇場」に西城さんが登場。ボストンバッグ一つ抱えてやってきて、郷の留守宅に上がり込んでしまう、という登場の仕方だった。1981年6月5日放送回の#267や1082年12月17日放送回の#342はCS初放送。#267では研のコーナー「ナオコお婆ちゃんの縁側日記」に郷と一緒に登場。#342では「お笑いお茶の間劇場」でディレクター・野口による“スター・西城秀樹の一日”という番組作りを行ったり、バラエティにおける西城さんの魅力をたっぷりと味わうことができる。

他にも、毎日映画社が所有する西城さん関連の60本以上の芸能ニュース映像から厳選した4本「西城秀樹 秘蔵映像!」が4カ月連続で放送される。こちらは貴重な映像が満載なのでぜひチェックしてもらいたい。

西城秀樹出演の「カックラキン大放送!!」が衛星劇場にて放送/(C)NTV