JR吾妻線の岩島~長野原草津口間は、八ッ場ダム建設により2014年9月30日をもって新線に切り替えられ、旧線区間は温泉街とともに水没しました。今やダムの底となった場所には“名物”もいろいろありました。

2004年、2014年と訪問

JR吾妻線は、JR上越線渋川駅群馬県渋川市)を起点にして吾妻川沿いに西へと進み、大前駅(同・嬬恋村)までの55.3kmを結ぶ単線の電化路線です。かつて吾妻渓谷沿いの線路には、全長7.2mの日本一短い鉄道トンネル「樽沢トンネル」があり、吾妻線の名物でした。しかし、岩島~長野原草津口間が八ッ場ダム建設によって2014(平成26)年9月に新線へ切り替えられると、トンネルも消滅。それから9年が経ちました。今回は、切り替え直前の水没区間の点描を振り返ります。

私(吉永陽一:写真作家)は2004(平成16)年に初めて、川原湯温泉駅(群馬県長野原町)へ降り立ちました。日帰り温泉「王湯」へ訪れた際、温泉街に「ダム建設反対」「ダムに沈む街 川原湯温泉へようこそ」と掲げられ、ダム建設に揺れ動いている空気が一介の旅行者にも伝わってきました。

それから10年後、温泉街は移転が進み、水没する源泉も新たに掘削したとのこと。久しく訪れていなかった駅と街が気になり、線路切り替え直前の9月9日と18日に現地を訪れました。

吾妻線の列車は湘南色の115系電車でした。岩島駅(群馬県東吾妻町)を発車するとすぐ、左手には白亜のコンクリート橋「第二吾妻川橋梁」が車窓に映ります。PC斜版橋と呼称する斜張橋の一種で、橋台の塔と桁をケーブルコンクリートで支える構造です。

115系は残暑の濃い緑に包まれた渓谷をひた走り、瞬きする間もなく樽沢トンネルを過ぎ、やがて川原湯温泉駅に到着。駅は列車交換できる構造で、駅舎は木造です。115系のドアが開くなり大勢の鉄道ファンや旅人が下車し、駅はひとときの賑わいを迎えました。線路切り替え前に、一目でもダムへ水没する駅と沿線を目に焼け付けようと訪れた人々でした。

なぜ7.2mだけのトンネルが生まれた?

木造駅舎には建物財産票が掲げられており、「昭和18年」と記載されていました。駅舎は「長野原線」と称した貨物専用線の時代から存在したことになります。仮に建物財産票の年月が間違っていたとしても、この駅舎は約70年前後活躍しているだろうと、私は年季の入った梁や柱を見ながら感じました。

梁に掲げられたホーローの「出口」表示、「列車に出ています」と手書きで書かれた木枠の出札窓口、木造の低いベンチ、上り線の木造待合室など、絵に描いたような古き良き駅の佇まいに、ほっと一息します。しかし一歩駅舎の外へ出ると、上空にそびえるほどの頑丈なコンクリート橋「八ッ場大橋」が目に入りました。将来はあの高い橋脚の中腹まで水位が上がり、ここは湖底となるのだと思うと、寂しい気持ちになります。味のある木造駅舎の姿もあと少しです。

さて、駅を降りた人々は散り散りになるのかと思いきや、十数人が線路沿いの国道145号を歩き始めました。目的地はひとつ、樽沢トンネルです。駅を出て岩島駅方向に見えてくるのは、ワーレントラス橋の「第二吾妻川橋梁」。先ほど岩島駅の先の車内から見たPC斜版橋も同名であり、同じ名称を踏襲するということは、目の前のワーレントラス橋が廃止となって水没することを示唆しています。

国道脇にはところどころ工事箇所があり、目の前に吾妻線の線路が見えて来ると、目的の樽沢トンネルが斜面にへばりつくようにしてありました。「強固な岩盤があるゆえに、切り通しよりトンネルにした方が工期短縮となる」「山肌の一本松を守るため」「落石覆いの代わりとなる」などなど、7.2mのトンネルが造られた理由は書物や伝聞によってまちまちですが、たしかに頑丈そうな岩盤があり、一本松が立ち、落石覆いの役目も果たしているように見えました。

樽沢トンネルを見物する人々は10名ほど。渓谷沿いの国道脇で、列車が通過する“その時”を待ち、直前になると一斉にカメラを向けます。コンパクトカメラやスマホが多く、私が訪れたときは一般的な旅行者が多かった様子でした。

旧線とトンネル跡は今

それから9日後の18日夕刻、私は仕事の帰り道に車で立ち寄り、再び川原湯温泉駅周辺を訪れました。川原湯温泉~長野原草津口間に架かる「第三吾妻川橋梁」のワーレントラス橋は赤錆が目立ち、くたびれている様子。温泉街は移転が決まりひっそりとして、以前訪れた共同浴場「王湯」も閉館し、その源泉は新源泉と新たな共同浴場へ湯を供給するために閉鎖されました。

一方で移転先の川原湯温泉駅は、開業を間近に控えてほぼ完成しており、周辺の造成を行っている最中。将来は八ッ場大橋と同じようにダム湖を横断する橋「不動大橋」も竣工し、往来ができます。なお橋のたもとには道の駅がすでに開業したため、見物客が不動大橋を渡って目が眩みそうなほどの高さを体感していました。橋の欄干越しから遥か眼下に吾妻線の線路があり、ちょうど115系が走り去っていきます。八ッ場ダムが竣工して水位が上がれば、この光景も水の中へと沈むのです。

2019年、竣工した八ッ場ダムは試験的に水を貯めて安全性を確認する「湛水」(たんすい)を実施しました。吾妻線の旧線跡は水没し、第二、第三吾妻橋梁のワーレントラス橋は撤去されず水没となりました。試験湛水中に台風19号が襲い、一気に満水となる事態が発生したものの、試験湛水が終了した現在の八ッ場ダムは平常に運用されています。

岩島駅の先で分かれる旧線は遺棄されず、線路をそのまま残して自転車トロッコで体感できる「吾妻狭レールバイク アガッタン」として復活しました。美しい渓谷沿いの線路には橋梁とトンネルも残され、あの樽沢トンネルも自転車トロッコで走行できるのです。旧線が観光アクティビティへ活用された好例といえましょう。

これからは紅葉シーズン。自転車トロッコで旧線を堪能しながら、八ッ場ダムへ訪れるのもよいでしょう。体を動かして疲れたら、新しくなった川原湯温泉が待っています。

川原湯温泉駅での上下列車交換光景。上り線(右)の待合室の瓦は赤系に塗られていた。写真奥側が川原湯温泉街(2004年10月4日、吉永陽一撮影)。