「サラリーマンの街」として知られる東京の新橋。メディアのインタビューでもおなじみの街ですが、なぜ、同じくオフィス街を形成する丸の内や品川、新宿を差し置いて新橋なのでしょうか。

サラリーマンの街頭インタビューといえば、新橋駅前SL広場

JR新橋駅、日比谷口駅前のSL広場。テレビ取材などで、サラリーマンへのインタビューといえば、お決まりのようにこの広場が登場します。インタビューを受けるのは、ネクタイを締めたオジサン会社員で、会社帰りに数人で新橋に飲みに来た人たちがほとんどです。ほろ酔い状態でインタビューを受け、ついサラリーマンの日ごろの不満を含め、本音をしゃべってしまうという点で、番組制作者としては恰好の場所ということでしょう。

東京でオフィス街といえば丸の内、大手町、新宿が代表的なのに、なぜ新橋が「サラリーマンの街」、そしてサラリーマンの飲み屋街になったのでしょうか。

SL広場に降り立った瞬間から、この雰囲気は実感できます。広場をとりまくビルの屋上や外壁には様々な看板が取り付けられていますが、2023年現在、最も大きくて目立つのが、女優・井川 遥が「新橋で今夜、…お好きでしょ。角ハイボール」と語りかけるサントリーウイスキーの看板。かつてサラ金と呼ばれた消費者金融会社の看板も目立ちます。

新橋がこうしたサラリーマン向け飲み屋街となった理由を歴史的に振り返ると、ひとつは徳川幕府による江戸の町づくり、もうひとつは終戦直後のヤミ市が挙げられます。

新橋駅から有楽町駅方面に100mほど進んだ場所に、JR山手線などの線路に直交する形で、かつて町の特徴を決定的に区分する境界線がありました。汐留川です。

対岸で異なった町の性格

汐留川は赤坂見附付近から溜池、虎ノ門を経て新橋駅の北側(有楽町寄り)で線路をくぐり、汐留で東京湾に注いでいました。大正時代の初め頃までに線路の西側(山手線の内側)は埋め立てられ、かつての川跡は現在、山手線内側部分では第一ホテル東京などが立つ部分、外側では首都高速道路が汐留方面へ延びている部分です。

江戸時代、現在の新橋駅から見て汐留川を越えた北西側は、外様大名の大名屋敷の中でも比較的広い屋敷がありました。津和野藩亀井家、飫肥(おび)藩伊東家といった大名屋敷などです。汐留川を越えた北東側は、今も昔も銀座です。江戸時代初期頃、徳川幕府により整然と区画が整備された町で、銀の鋳造が行われた地であり、御用商人たちの町として発展しました。

一方、汐留川の南側、現在の新橋駅の西側一帯は、旗本などの武家地と一部は中小の大名屋敷、それに町人地でした。武家地でも汐留川の北側の大名屋敷に比べ、それぞれの敷地はかなり狭くなっています。

明治時代になると、汐留川を境に、土地の性格の違いがさらに明確になっていきます。汐留川の北、新橋~有楽町間の西側(山手線の内側)は、外国人向けに舞踏会を開いていたことで有名な鹿鳴館、それに東京府庁舎のそれぞれ広大な敷地となりました(明治18年頃の例)。庶民とは別世界のエリアです。対して東側は、土蔵造りや煉瓦造りの多い銀座の町人地です。

一方、汐留川の南側、現在の新橋駅一帯は、小規模な木造家屋がびっしりと建て込み、庶民が身を寄せ合って暮らしている地でした。こうした立地の場所に、庶民的な飲食店ができていくのは、当然といえるでしょう。

ヤミ市の形成と新橋

話は昭和の太平洋戦争直後に飛びますが、国内各地に、ヤミ市と呼ばれる多数の露店市が出現します。ひどい食糧不足の中、公的配給制度のもとではなく、禁止された流通経路を経た闇物資を扱うのがヤミ市です。配給だけに頼っていたのでは餓死しそうで、半ば黙認されたものでした。

東京で大規模なヤミ市ができたのは、上野、新宿、池袋、新橋でした。新橋のヤミ市は数か所ありましたが、当時 新橋、銀座、丸の内一帯の不良グループの親分だった松田義一が率いる関東松田組の手により、それらが西口に移転され、新生マーケットが建設されます。現在のSL広場と線路などに囲まれて立つニュー新橋ビルの部分です。それにあわせるように、周辺で飲み屋街がさらに形成されていきます。こうして後のサラリーマン向け飲み屋街ができあがっていきました。

加えて1923(大正12)年の関東大震災以後、渋谷、新宿、池袋を起点とした私鉄沿線の宅地化が進み、多くのサラリーマンが住むようになっていました。1939(昭和14)年には現在の東京メトロ銀座線の新橋~渋谷間が全通(浅草~新橋間は1934〈昭和9〉年に全通)。1959(昭和34)年には、赤坂見附駅銀座線との乗り換えが便利な現・東京メトロ丸ノ内線の池袋~新宿間も全通し、新橋から私鉄の大ターミナルである新宿へも便利になります。

新橋の近くには、丸の内や大手町などオフィス街があり、多数のサラリーマンがそこで働いたり、ビジネスで訪れたりしています。銀座も近いのですが、特に新橋駅側の5丁目から8丁目付近は、クラブママのいる高級店で、サラリーマンには敷居がとても高いもの。新橋は帰宅の経路としての交通網も発達しており、歴史的に見ても庶民的な店を求めるサラリーマンにとって、いくつもの好条件を揃えているの場所なのでした。

JR新橋駅日比谷口のSL広場(2023年9月、内田宗治撮影)。