求人募集などで、「固定残業代」という言葉を目にしたことはないだろうか。もしくは自分の会社に導入されている、という人もいるだろう。固定残業代とはどのような制度で、企業・雇用者にはどのようなメリット・デメリットがあるのか。ブラック企業被害対策弁護団に所属する明石順平弁護士が、実際の判例などを交えて解説する。

固定残業代とは?

「固定残業代」という言葉を一度は聞いたことがあるだろう。これは、一定の決まった金額を、残業の有無にかかわらず、残業代として支払うというもの。大きく分けて下記の2種類があると言われている。しかし、これに当てはまらないものも最近出てきている。

①組み込み型

基本給や歩合給の中に残業代を組み入れてしまうというもの。「歩合給に残業代が含まれる」「基本給30万円、50時間分の残業代を含む」「基本給30万円、そのうち3割は残業代」等。

②手当型

基本給とは別に、例えば「営業手当」等の名目で一定額を支払うというもの。

固定残業代についてのリーディングケースは、タクシー運転手の残業代について争われた高知県観光事件(最高裁平成6年6月13日判決)である。この事件において、会社側は「歩合給の中に残業代が含まれている」と主張した。しかし、歩合給のうち、残業代とそうでない部分の区別が全くつかず、残業代が本当に払われているかどうか判別できなかった。また、歩合給は残業や深夜労働時間に応じて増えるものでもなかった。そのため、最高裁は会社側の主張を退け、「残業代は払われていない」と判断した。

ざっくり言えば、「残業代とそうでない部分が明確に分かれていないとダメ」という判断を示したのである。これは「明確区分性」などと呼ばれている。

ところが、この事件がきっかけで「明確に分かれてさえいればOK」という考えが広まってしまった。

はっきりとこの明確区分性が認められやすいのは、「手当型」の残業代の方である。基本給とは完全に分けて「固定残業手当」といった形で表示されるので、明確区分性はある。だが、ここでちょっと立ち止まって考えてほしい。いかにこの制度がおかしいものであるかを。

会社というのは、とにかくコストをカットしたいと考えるものだ。理想は残業代ゼロで長時間労働させ放題にできるのがベストだ。

ところが、固定残業代は、仮に全く残業をしなかったとしても、払うことが約束されている。また、固定分を超えた場合、当然その分は払わなければならないので、労働時間を把握しなくてよいわけではない。つまり、余計な給料を払うはめになる上に、労働時間把握の負担が減るわけではない。建前通りに受け取れば、企業にとって全くメリットは無い。

しかし、考え方を変えてみよう。もし会社が「残業代」と言い張っているものが、残業代ではなかったとしたら。ただ単に、基本給の一部を切り取って、残業代に名前を変えているだけだとしたら。こう考えると、会社側にはメリットしかない。本当は基本給しか払っていないのに、残業代を払ったことにできてしまうからである。

しかも、見かけの給料を大きく見せることができる。これは求人詐欺の主要な手法の一つである。例えば、求人票に「基本給30万円」と書いてあったが、入社してみたら「実は基本給20万円、固定残業代10万円でした」と言われてしまうのである。そして残業代は一切出ない。

次の具体例で考えてみよう。

A社 基本給30万円

B社 基本給20万円 固定残業代10万円 

どちらも、「毎月固定で最低でも30万円を払う」という点では全く同じである。ところが、残業代については違う。A社では、基本給30万円に「加えて」残業代を払わなければならない。他方、B社では既に残業代を10万円払ったことにできてしまうのである。

A社とB社で何が違うだろう。「名前が違う」だけである。それ以外に何も違いは無い。B社では、会社が恣意的に基本給30万円のうち10万円を切り取って「固定残業代」に名前を変えているだけなのである。こんな単純な子供だましが、多くのブラック企業で横行している。固定残業代に関する統計が無いので、あくまで私の主観ではあるが、ブラック企業の半分以上は固定残業代を採用しているような気がする。

現実に私が担当した事案でも、私の仮説を裏付ける出来事があった。相手方企業は、別の名称の手当てとして支給していたものを、途中で変更して「残業代」に名前を変えていたことを認めたのである。変更の前後で総支給額にほぼ違いは無く、正に「名前を変えただけ」であった。

猛烈なコストカット効果を生む

では、前述のB社における固定残業代10万円は、一体何時間分の固定残業代に当たるのか。B社の残業代算定の基礎となる基本給は20万円。これを前提に、月の所定労働時間を、ざっくり160時間として計算すると、10万円は約64時間分の残業代になる。

他方、A社の場合、単純に30万円全額が残業代算定の基礎時給になるので、64時間残業させた場合の残業代は15万円だ。A社はこれを基本給30万円に「プラスして」支払うことになる。つまり、基本給と残業代合わせて総額45万円。他方、B社は固定残業代で64時間を既に払ったことにできてしまうので、30万円だけ。

A社とB社が同じ64時間残業させた場合、A社の方が1.5倍のコストになるということである。ただ名前が違うだけなのに。これを1年単位で考えると、180万円も違う。社員10人なら1,800万円、100人なら1億8,000万円も残業代をカットできる計算になる。

そして、現実はもっと酷い。固定残業代制を採用する企業は、残業が固定残業代分を超えたとしても、超えた分を払わないことがほとんどである。本来は超えた分を払わないといけないので、当然違法だ。そのようなブラック企業は、100時間以上残業させることなどザラである。

このように、「実際はどんなに残業させても固定分を超えた分は払わない」という実態を考慮すると、もっと酷いことになる。単に基本給30万円とした場合、仮に100時間も残業させると、残業代は1ヵ月で23万4,375円、1年間で281万2,500円だ。固定残業代を採用する企業はこれを払わないのだ。およそ一人分の賃金を丸ごと削ったのと同じだ。

社員10人なら2,812万5,000円、100人なら2億8,125万円も削ることになる。こうやってコストカットをするから、異常に安い値段で商品やサービスを提供することが可能になっている。

仮に訴訟で争ったとしても、固定残業代について有効と認められてしまえば、大幅に残業代を減額できてしまう。そして、訴訟までする労働者は極めて少数派であるから、結局ブラック企業の「やり得」になる。

なぜブラック企業において固定残業代が大流行しているのか、具体的な数字をもって考えるとよくお分かりいただけただろう。「ただ単に名前を変えるだけ」で、これほど凄まじいコストカットが可能になるからである。

なお、分かり易いように100時間で計算したが、実際の事件はさらにもっと酷い。例えば実際に私が担当した事案では、固定残業代が90時間分を超えている上、最も長い労働者では月平均残業時間約150時間、最長で200時間超という信じられない長時間労働を強いられていた。

過労死が発生した「日本海庄や事件」

この固定残業代制度が悪用され、過労死が発生した事件が、日本海庄や事件である。この事件では、新卒者の基本給は19万4,500円、うち7万1,300円が「80時間分の」固定残業代とされていた。しかも、労働時間が80時間に満たない場合は不足分が差し引かれていた。こういった異常な労働条件のもと、新卒正社員の方(当時24歳)が、入社後わずか4ヵ月にして心機能不全で死亡したのである。

この方の労働時間は、「死亡前の1ヵ月間では、総労働時間約245時間、時間外労働時間数約103時間、2ヵ月目では、総労働時間約284時間、時間外労働時間数約116時間、3ヵ月目では、総労働時間約314時間、時間外労働時間数約141時間、4ヵ月目では、総労働時間約261時間、時間外労働時間数約88時間となっており、恒常的な長時間労働となっていた」と裁判において認定された。

あまりにも酷い。固定残業代という屁理屈を活用して残業代というブレーキを外し、異常な長時間労働を可能にしたことが、こうした悲劇につながったのである。

労働時間を記録しよう

この固定残業代であるが、有効となるか否かはケースバイケースである。無効と判断した裁判例もたくさんある。無効になった場合、固定残業代は基本給と同様に扱われ、残業代算定基礎時給に算入される。また、固定残業代分は「残業代を払ったこと」にされない。

具体的に言うと、「基本給20万円、固定残業代10万円」とされていたものが、単に「基本給30万円」と扱われる。したがって、残業代は極めて高額なものになる。

無効になる場合もあるのだから、諦めてはいけない。働く皆さんが出来ることは、自分で労働時間を記録しておくことだ。スマホのアプリや自分宛メール等、機械的に記録されるものは証明力が高い。ブラック企業は労働時間をきちんと記録していないことが多いし、記録していても改ざんすることがあるので、自分で記録することが重要である。

弁護士

ブラック企業被害対策弁護団所属

明石順平

(※写真はイメージです/PIXTA)