(堀井 六郎:昭和歌謡研究家)

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2023年10月に始まったNHK連続テレビ小説ブギウギ』。ヒロインである花田鈴子のモデルである笠置シヅ子は、戦後「ブギの女王」として一世を風靡した歌手として知られている。彼女はどんな人生を歩んできたのか?(JBpress)

「ブギの女王」にあこがれた「歌謡界の女王」

「歌謡界の女王」といえば、言わずと知れた美空ひばりですが、昭和の終焉とともに、平成元年(1989)6月に52歳の若さで亡くなってからすでに34年経ちました。

 ひばりの正式レコードデビューは、今から74年前、11歳のときでした。デビュー当時の曲としてよく知られている『悲しき口笛』ですが、実はこの曲、彼女のデビュー曲ではなく、初の主演映画の主題歌でした。本当のデビュー曲は、『悲しき口笛』の前に出演した映画『踊る竜宮城』の主題歌でもある『河童ブギウギ』が正解です。

 ひばりは、デビュー前から『東京ブギウギ』『ジャングル・ブギー』などのブギウギソングを愛唱していて、当時大流行していたブギウギがひばりのお気に入りだったことがわかります。

 その後、亡くなるまで「歌謡界の女王」として君臨するひばりですが、彼女がデビュー前に憧れのまなざしをもって見つめていた歌手がいました。「ブギの女王」と称された、笠置シヅ子です。

戦後の日本を元気づけた功労者

 残念ながら、笠置の人気がピークだった当時の映像が少なく、笠置と同世代だった日本人が激減する今世紀になると知名度もさらに減少、「歌謡界の女王」美空ひばりとは知名度で大きく差をつけられていますが、終戦後の混沌とした時代、日本が独立するまでの日本に生気を与えてくれた稀有なエンターティナーこそが「ブギの女王」、笠置シヅ子でした。

 10月から笠置シヅ子をモデルにしたNHKの連続テレビ小説ブギウギ』が放送されていますが、ブギウギという言葉を耳にしてまず連想されるのが、笠置の代表曲『東京ブギウギ』でしょう。

 戦前から笠置と二人三脚で日本の流行歌にジャズの雰囲気を取り込もうと試行錯誤を繰り返していた服部良一の傑作です。

 この曲が発売されてからすでに76年経ちますが、ごく最近では夏木マリ、渡辺美里、それ以前にも福山雅治氷川きよしら多くのミュージシャンによってカバーされたことからもわかるように、戦前生まれの世代だけでなく広い世代にわたって知られる、日本のスタンダード歌謡になっています。

日本中がウキウキ、ブギウギ!

『東京ブギウギ』が大ヒットし、笠置は服部とのコンビで次々とブギウギ物をリリースします。

『博多ブギウギ』『大阪ブギウギ』『名古屋ブギー』などのご当地ものから、黒沢明が映画『酔いどれ天使』(黒沢監督が三船敏郎を初めて登場させた作品)の挿入曲として黒沢自ら作詞した『ジャングル・ブギー』、服部が村雨まさを名義で作詞した『ブギウギ時代』『ブギウギ娘』『買物ブギー』『黒田ブギ』(黒田節をブギ風にアレンジしたもの)まで、当時の流行歌としては曲調もテーマも歌唱法もすべて斬新でした。

 笠置の明るい歌声は全国を席巻、昭和23年から日本が独立を勝ち得た同27年までの期間、敗戦直後の日本人をどれだけ活気づけたことでしょう。当時、国民栄誉賞があれば十分受賞に値する、それくらい影響力のある大きな存在だった、と私は思っています。

 多くの日本人を元気づけてくれたこの曲ですが、実は服部が個人的に笠置を励ますことをきっかけとして創作されたものでした。

『東京ブギウギ』をレコーディングする4か月前、笠置と起居を共にしていた9歳年下のパートナーが亡くなっていたのです。

(参考)『ブギの女王 笠置シヅ子』(砂古口早苗、現代書館)

(編集協力:春燈社 小西眞由美)

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