全国的に盛り上がりを見せるコーヒーシーン。飲食店という枠を超え、さまざまなライフスタイルやカルチャーと溶け合っている。瀬戸内海を挟んで、4つの県が独自のカラーを競う四国は、各県ごとの喫茶文化にも個性を発揮。気鋭のロースターやバリスタが、各地で新たなコーヒーカルチャーを生み出している。そんな四国で注目のショップを紹介する当連載。店主や店長たちが推す店へと数珠つなぎで回を重ねていく。

【写真を見る】壁一面を埋める蔵書の量は圧巻。値札が付いている本は購入も可能

四国編の第8回は、香川県高松市の「珈琲と本と音楽 半空」。本と音楽をこよなく愛するオーナーが、見知らぬ同好の士が語らえる場として20年前に創業、盛り場の只中にあるビルの2階に、ひっそりと開かれた空間は、まるで書斎のような趣だ。喫茶店でもあり、バーでもあり、夜更けまでお客が絶えないここは、知る人ぞ知る本好きの拠り所。近年は独自に文学賞を主催し、本を“読む人”だけでなく“書く人”をも惹きつける魅力を放つ。濃厚なコーヒーと共に、カウンターでの会話や、ページをめくる紙の手ざわりを楽しむ、いまや貴重なアナログな時間にこそ、この店の真価がある。

Profile|佐藤暖 (さとう・だん)

1991年(平成3年)、長野県生まれ。京都での学生時代を経て、卒業後は香川県丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館に就職。香川移住後に「珈琲と本と音楽 半空」を訪れて以来、新たな拠り所として足繁く通うようになり、2019年からスタッフに転身。創業者の岡田陽介さんと共に店を切り盛りし、2022年に2号店「茶論 半空」がオープンして以降は、「珈琲と本と音楽 半空」の店長を務める。

■盛り場の裏路地に潜む、本を愛する人々の隠れ家

「半空」と書いて「なかぞら」と読む。一度聞いたら耳に残る言葉の響きは、ぽっかりと宙に浮いたような、広がりを想起させる。「仏教用語に由来していて、物事を分ける真ん中、半ばのこと。転じて、どっちつかず、うわの空という意味もあって、家でも職場でもない場所というニュアンスも込められています。“半分が空(から)”だと、商売的には縁起悪いですが」と笑うのは、店長の佐藤さん。ここは、高松の盛り場のど真ん中。飲み屋がひしめくトキワ新町の裏路地に立つビル2階。ほの暗い照明に浮かぶ一本のカウンター、背後に本棚がずらりと並ぶ空間は、扉一枚隔てて別世界。夜の喧騒のすぐ側に、書斎を思わせる重厚な一室が隠れていようとは、よもや思うまじ。

喫茶店でもあり、バーでもある。まさに“半空”なこの店は、大阪のコーヒー卸に勤めていたオーナー岡田陽介さんが、2001年に独立して開店。少年時代からこよなく愛する、本と音楽にゆっくりと浸り、見知らぬ同好の士が語らえる場として、幅広い世代に支持を得る夜の憩いの隠れ家だ。創業時は今ほど本を置いてなかったそうだが、10年前に移転して以降はどんどん増えていき、いまや1000冊をゆうに超えるとか。「岡田さんが読んだ本が順次加わっていく感じで、もはや数はわからなくなってきました(笑)」と、佐藤さんも把握しきれないほど。とはいえ、店内は図書館のように静かかと言えば、さにあらず。カウンターのそこここで会話が行き交う中で、一心に活字を追うお客の姿も混じり、和気藹々の空間は、むしろ“本好きのたまり場”といった趣。この大らかさもまた、魅力の一つだ。

「移転前の店は、年齢層も高く、煙草もOKだったので、宵の口からすでに店内は、白くてもやがかかったようになってました。そこに本好き、コーヒー好きが集まって、何とも言えない濃密な雰囲気が満ちた空間でした」。そう振り返る佐藤さんも、かつて足繁く「半空」に通うお客の一人だった。丸亀市美術館で働いていた頃から通い始め、気付けばいつしか常連に。

「最初に訪れて以降、だんだんと店にいる時間も長くなって。高松に来たら、昼に一度行って、また夜に行くという日もありましたね」。長野から移ってきた佐藤さんにとって当時、香川はまだ見ず知らずの土地。そんな中で出会った新しい拠り所が「半空」だった。元々コーヒー好きだった佐藤さん、店で繰り返し飲むうちに「半空」のコーヒーの味も身に馴染み、ついには4年前、カウンターの反対側に立ち、岡田さんと共に店を切り盛りするまでになった。

■地元の伝統工芸・保多織が生む芳醇な一杯

夜の営業ゆえお酒も豊富にそろうが、看板メニューはネルドリップのコーヒー。創業時から、“舐めるように飲めるコーヒー”を謳う、濃密な味わいが、この店の代名詞だ。香川では珍しいネルの一杯立てのスタイルは、岡田さんが通っていた東京・神保町のコーヒー専門店から想を得たもの。オリジナルのブレンドは、岡田さんの古巣でもあるハマヤから。するっと滑らかな口当たり、丸みのある芳醇な芳醇なコクがじんわりと染み渡る。

「本を読んでいる人が、知らない間に飲みほして、“旨かったな”と思ってもらえるのが理想。味の個性も大事ですが、さりげないことも大事。旨いお酒を例えて“水みたい”といいますが、その感覚に近い」と佐藤さん。濃密なボディ感と柔らかな飲み心地に、後味の軽やかさを生む秘訣は、香川の伝統工芸の織物・保多織の生地で作るフィルターにあり。通常のフランネルと比べると、凹凸のあるワッフル状の質感が保多織の特徴。「このフィルターは、保多織で洋服を作っているお客さんと一緒に作ったオリジナル。フランネルより若干目が粗いぶん目詰まりが少ないのか、湯の抜けがよく、失敗が少ない。研究するうちに、コーヒーの濃度と抽出の安定感のいいとこ取りができるとわかったんです」

店には常時、手回し焙煎機とネルが置いてあり、今もよく練習をしているという佐藤さん。「画家の猪熊弦一郎は、“バランスの中に美しさが潜んでいる”という言葉を残していますが、コーヒーも味の調和が取れていると、まろやかな味わいになる。それも実践を重ねる中でわかってきたことですね」というこの一杯は、日頃の積み重ねの賜物でもある。

一方で、バーとしての顔を持つだけに、カクテルのメニューも多彩。お馴染みのアイリッシュコーヒーをはじめ、コーヒーを使ったものだけでも6種を数える。さらに、この店ならではのユニークなメニューが、作家の名を冠したカクテルの数々。例えば、“ヘミングウェイの愛したモヒート”、“開高健の愛したドライマティーニ”、“伊丹十三が愛したギムレット”といった具合。しかも、それらすべてが文豪たちが愛飲し、著作にも登場する縁の一杯なのだ。さらに、注文時にはその本と共に提供するという趣向は、岡田さんの豊富な読書量と蔵書があってこそだ。

さらに、佐藤さんは新たな提案として、月替わりのストレートコーヒーでも同様の趣向に試行錯誤を凝らしている。「例えば、ガラパゴス産の豆なら進化論とか生物学に関わる本、ペルー産ならインカ帝国に関わる本と、産地に縁ある本を読みつつ、コーヒーを飲めたら気が利いてるかなと考えて。テーマに基づいて、世界観が深まっていくような提案をしたい」と意欲的だ。

■“読む人”と“書く人”が交わる、小さな文学賞

「半空」に通う前は、「読書は苦手な方」だった佐藤さんだが、古本屋でネタ探ししたりするまでに。今では読書量も増え、以前はピンとこなかった作家の言葉を吸収できるようになってきたという。ここに集う多くのお客は“読む”ことを愛好する人が多いが、実は“書く”人も少なくない。本好きのお客が、カウンターで一体、何を書いているのか。せっかくなら、その文章を読んでみたいとの思いから、2015年に始まったのが半空文学賞だ。

毎回、募集テーマは異なるが、ジャンル・文字数は問わず、A4用紙片面に収まればOKという、独自のルールが話題となり、第1回では68作品が応募。当初は集まった作品を綴じて、店内で自由に閲覧したお客が投票し、入賞作を決定する、手作りの小さな文学賞としてスタートした。回を重ねるごとに賛同するお客が実行委員会に協力し、ここまで7回を開催。3回目に、ことでん(高松琴平電気鉄道)をテーマにした際に、入賞作を冊子にして駅で配布したのが好評を博し、今では県外からも多数応募が寄せられるようになった。現在は、入賞作のデジタル化や英訳にも取り組んでいて、小さな文学賞を発端に、本を“読む人”と“書く人”が交わる場としても、新たな存在感を発揮している。

創業から20年を経て、店も変化すると共に、客層も変わってきた。「以前は女性が入りにくい雰囲気がありましたが、SNSで中の様子がわかるようになって、若いお客さんも増えてきました」という佐藤さん。お客の世代がかわり、「半空」の役割も少しずつ変化してきたことを受けて、2022年に2号店の「茶論 半空」をオープン。こちらも街外れの知る人ぞ知る隠れ家ではあるが、店内は対照的に、白壁にゆったりと席を配した、文字通りのサロン的な空間に。「半空は岡田さん目当てに来る人が多かったですが、若い人が増えてきたので、従来、果たしてきた対話と語らいを楽しめる場を2号店に移して、住み分けをした感じです」

とはいっても、原点である「半空」の稀有な空気感は、いささかも失われていない。「本や音楽のセレクトは昭和の時代のものが中心ですが、逆に若い人には新鮮に感じられるかもしれない。自分の歳くらいが、ちょうど間の世代なので、つなぎ役になれれば。かつてのイメージと今は違いますが、走りながらちょっとずつ変えていくのが、半空のスタイルですね」

カウンターで弾む会話のやりとり、芳しいコーヒーの香りとページをめくるときの紙の手ざわり。訪れるたび、五感を通して得る刺激こそ、この店の醍醐味。せめて、ここにいるときくらいは、スマホは横に置いといて、コーヒーを飲んで、人間らしく楽しみたい。そんな風に思う人々が集うビルの一室は、今宵も濃密な時間が満ちている。

■佐藤さんレコメンドのコーヒーショップは「Landscape Coffee37」

次回、紹介するのは、香川県坂出市の「Landscape Coffee37」。

喫茶店を改装して、昨年できた新しい店ですが、店主の石田さんは半空のお客さんでもあり、以前、東京のカフェにいた頃からの知り合い。僕がコーヒーを淹れる練習をしていた時に、同世代の石田さんが淹れるコーヒーが旨いという評判を聞いて、自分も発奮して頑張った思い出があります。コーヒーはもちろんですが、石田さんの家庭の味をベースにした名物ランチ、“おかんの唐揚げプレート”が絶品です!」(佐藤さん)

【珈琲と本と音楽 半空のコーヒーデータ】

●焙煎機/なし

●抽出/ネルドリップ(フランネル・保多織)

●焙煎度合い/中深煎り

●テイクアウト/ なし

●豆の販売/ブレンド1種、シングルオリジン1種、250グラム1800円~

取材・文/田中慶一

撮影/直江泰治

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壁一面の本棚には、小説からエッセイ、学術書、画集や雑誌まで、幅広いジャンルの本が