辺見庸の小説「月」を原作に、脚本・監督に石井裕也、主演に宮沢りえ、共演にはオダギリジョー、磯村勇斗、二階堂ふみといった布陣で製作した映画『月』が公開中です。

【ストーリー】
深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。

第28回釜山国際映画祭でジソク部門にも選出されており、サンパウロ国際映画祭(10月7日)、KINOTAYO 現代日本映画祭 (10月10日)、広島映画祭(10月9日週)など国内外の映画祭での上映も決まっている本作。石井裕也監督と、主人公・洋子の夫である昌平を演じたオダギリジョーさんにお話を伺いました。

――本作拝見させていただき、ありがとうございました。原作も読みまして、あの小説を映像化するというのは本当に大変なことだったかと思います。

石井監督:あの小説をどう映画化するのかということをずっと考えていて、自分なりの答えを出してから制作を始めました。人間存在そのものの問題を扱った小説だったので、それを映画に変換するにはどうすればいいかということには相当悩みました。

――オダギリさんは本作のお話を聞いた時、まずどの様な印象を受けましたか?

オダギリ:すごいものを作ろうとしているな、という印象を受けました。それは監督が書いた台本もそうだし、それを作品にしようとしているプロデューサー陣とかスタッフ、みんな引っくるめて。大きな覚悟を感じました。

――制作段階で「ここはこうして欲しい」などの意見を受け取ることもあったかと思います。

石井監督:正直に言ってしまうと、「これは衝撃作になりますね」と、表面的にはこの作品に賛同する姿勢でいながら、結局全ての覚悟を背負おうとしない人もいました。出来上がった映像に関して「もう少しマイルドな表現にして欲しい」という意見が出たこともあります。僕としては、なるべく多くの人、たくさんの人に観てもらいたいという気持ちがある一方で、誰も観たことのない所まで、そういう深度まで潜っていくってことがとても重要だと一貫して思っていました。表現を緩和して、容赦するような隙を見せるような作りをするぐらいだったら、最初からやらない方が良いんじゃないかと考えていました。

――いち観客として、監督が貫いた作品を観ることが出来て感謝の気持ちでいっぱいです。

オダギリ:台本も読み込んで、現場でもシーンについてたくさん共有していたはずですけれど、完成した作品を観ると改めてたくさんの衝撃を受けました。自分にとっても大きな問題を投げかけられて、簡単に受け流すことの出来ない作品でしたね。

――私も拝見してからずっと色々な事を考えてしまいます。ぐるぐると考えがまとまらない感じで…。

石井監督:今回色々な媒体で取材をしていただいたのですが、この作品を良いと言ってくださる記者さんは女性の方がすごく多いんです。それはなぜなのかなっていうことも今考えていて。

――私の個人的な意見ですけれど、子供を授かる・育てるということは2人の責任でありますが、命への考え方が女性の方がよりセンシティブなのかもしれません。洋子と昌平の夫婦の会話で、洋子が昌平に「あなたは無責任でいいよね」と言ってしまうシーンがありますが、昌平が無責任なのではなく洋子の方がより深く重く出産ということを受け止めているのかなと。私はこの夫婦の描き方がとても好きでしたし、同じ様な女性の方が多いのかもなと、今お話を聞いて思いました。

オダギリ:僕もこの作品を観た女性の方に「この『月』は、日本映画が今まで触れてこなかった女性的な問題に寄り添い、ちゃんと描いてくれているのが嬉しい」と言われました。その言葉を聞いてなるほどなとも感じて。

石井監督:そういった声を聞くと確かにそうだよなと思うんですよね。

――洋子と昌平の夫婦が、お互いを大切に想いあっているからこそぶつかってしまうという所も“人間”だなあと感じて、その描き方がすごく好きです。原作に無い部分ですが、回転寿司のエピソードが素敵ですね。

石井監督:回転寿司という場所がもともと好きで、一つ100円とかそのくらいのお皿が規則的に回り続ける。誰かがお皿を取ろうか取るまいが回り続ける。それって人生だなと思うことがあって。最後は回転寿司のシーンで終わろうということはずっと考えていました。

――あのエピソードに洋子と昌平の人柄をすごく感じて。

オダギリ:監督の書かれた脚本を読むと、毎回どこかで驚かされるんです。ト書きが面白かったり、「このセリフすごいな」と思わされたり、必ずどこかにハッキリとした石井さんらしさを感じるんですよ。脚本家が書くものと違って、石井さんにしか書けないオリジナリティが出てるんですよね。それこそが作家性だと思います。

石井監督:『月』に関して言えば、「脚本も石井さんにお願いします」って最初から決められていたんです(笑)。大変ではありましたが、自分のやりたいこと、書きたかったことは詰め込めたと思います。

――作品後半のお墓参りのシーンで、昌平が洋子にあることを告げられた時の昌平の表情が泣けてしまって仕方なかったです。あのシーンでの表情はどの様な演出があったのでしょうか。

オダギリ:なんかすごく難しいことが(台本に)書いてありましたね(笑)。

石井監督:「めまぐるしく表情が変わる」だったかな、そんな事を書かれても難しいですよね。

――驚きと喜びと、そこに寂しさと悲しさもある様な、本当に絶妙な表情でした。

オダギリ:人間は複雑ですからね。現実では、相手が何を言い出すのかわからない。会話の流れの中で、相手のことを理解しようとするのは、決して単純な感情ではないんですよね。石井監督が書いた「めまぐるしく表情が変わる」ってことなんだと改めて思います。ただ、現場で「こうですか?」とか「どうですか?」とかは話さないんです。なんか聞くのもヤボな気がして…。

石井監督:オダギリさんは撮影中もセットの裏の方にずっと座っていらっしゃって。あまり人が来ない場所だから、僕がときどきオダギリさんの方にいくと「俺?」って感じの顔で驚かれるんですよね。その表情をよく覚えています。

――洋子と昌平がお互いを大切にしている一方で、二階堂ふみさん演じる陽子のキャラクターは辛い描写も多かったです。彼女はちゃんと仕事もしていますけど、「自分の創作、夢が認められない」って、とてもしんどいのだろうなと。

石井監督:クリエイター、表現者って、売れているとか売れていないに関わらず、心の中に手を突っ込まなきゃいけないっていう所があるんです。夜の2時頃に阿佐ヶ谷とかの飲み屋をのぞいてもらえば分かると思いますけれど、クリエイター同士が「お前の人生、問題がそこにあるから、こんな作品しか作れないんだ」みたいな、無意味な傷付け合いをたくさんしていて。僕も巻き込まれることがありますが、でもそれはやっぱり、そこまで手を突っ込まないことにはやれないという前提があるんです。ある意味では間違っていないと思うんですけど、この映画の中で、洋子と陽子は合わせ鏡の様な存在で、宮沢さん演じる洋子が自分の中で隠している本音とか本心とか矛盾を、二階堂さん演じる陽子に担ってもらっています。相当難しい役柄だったと思うのですが、二階堂さんに助けられました。

オダギリ:僕も表現に携わる人間なので、洋子と陽子が言っていることも、やっていることも理解できるんですよね。今監督がおっしゃっていた、「心の中に手を突っ込まなきゃいけない」ということもよく分かります

――素晴らしいお話をありがとうございます。この様な作品を作った皆様には労を労って欲しいという気持ちを勝手に持っており、お伺いしたいのですが、打ち上げとかはされたんですか?

石井監督:コロナの影響もあって打ち上げは出来ていませんね。どの現場もそうだと思いますが。最後にケータリングのたこ焼き屋さんが来てくれて、そこで皆食べながら色んな話をしたりしましたね。コロナ前の映画の打ち上げでは何軒もハシゴしましたが、オダギリさんは必ず最後の最後まで残っていました。

オダギリ:大体最後までいたくなるんですよね。全然作品の話はしないで雑談ばっかりですけど。

石井監督:そういうときの話の方が面白かったりしますよね。なんでもない会話というか、雑談って大事だなと思います。

――今日は本当に貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。

『月』公開中
宮沢りえ
磯村勇斗
⻑井恵里 大塚ヒロタ 笠原秀幸
板谷由夏 モロ師岡 鶴見辰吾 原日出子 / 高畑淳子
二階堂ふみ / オダギリジョー
監督・脚本:石井裕也
原作:辺見庸『月』(角川文庫刊) 音楽:岩代太郎

企画・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
製作:伊達百合 竹内力 プロデューサー:⻑井龍 永井拓郎

(C)2023『月』製作委員会

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