10月4日よりフジテレビ「+Ultra」ほかにて放送を開始したアニメカミエラビは、「異例の豪華布陣」が集い制作された作品だ。

 原案をNieR:Automataドラッグオンドラグーンで知られるヨコオタロウ、シリーズ構成と脚本をカゲロウプロジェクトじん氏が担当。

 そして、キャラクターデザインをソウルイーター炎炎ノ消防隊の作者である大久保篤が、監督をアニメ版シドニアの騎士BLAME!を手掛けた瀬下寛之氏が務める。

 いわば“ぼくが考えたさいきょうの制作陣”から注目を集める作品となっている。

 いっぽう、『カミエラビ』の物語をジャンルとして定義するなら「異能力バトル」「デスゲームもの」であり、言ってしまえば「豪華な布陣」に対して“定番化したフォーマットを採用している。

 さらに、詳細は追って後述するが、本作の主人公の能力は「現実を改変する」能力であり、物語を描くうえでいささかOP【※】」かつ「扱いづらい」能力である。

※OP:オーバーパワー。主にゲームなどでキャラクターや技などが“強すぎる”事例を指す。

 そのため、数々のエキセントリックな物語を手掛けたヨコオタロウ氏、少年少女の心を掴んだじん氏、弐瓶勉氏の原作を見事に映像化した瀬下寛之氏が、前述のモチーフの「どのように調理するのか」が気になるところだ。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_001

 本稿では、すでに3話まで放送された本作の注目のポイントを紹介する。筆者が視聴したエピソードは本作の冒頭に過ぎない。そのため、本稿が本作を未だ見ていない方や、今後のエピソードを楽しむ方の一助になれば幸いだ。

 なお、3話までの内容のネタバレを記事では扱うため、未だ視聴しておらず、すでに作品を観賞するつもりの方はブラウザバックし、そのまま本作を視聴していただきたい。

アニメ『カミエラビ』公式サイトはこちら

※この記事は「カミエラビ」の魅力をもっと知ってもらいたいカミエラビ製作委員会さんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。


「デスゲーム」へ事故的に参加する「陰鬱で無気力な現代」の写し鏡のような主人公

 まず、本作のあらすじを紹介しよう。物語の舞台は都内の私立高校で、主人公は高校一年生の小野悟郎(以下、ゴロー)。

 彼は「ネグレクト気味の母」を持つものの、裕福な中産階級である。しかしながら特に「望み」や「夢」そして「野望」を持たず、とにかく世界に対して無関心。つまるところ物質的には満たされているが、とにかく「強い諦念」を抱えているなんとも現代らしい若者が「作品を象徴」する主人公となっている。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_002

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_003

 そんな世界観を持つ主人公のスマートフォンに「あなたは選ばれました。願いを吹き込んでください」という通知が届く。スパムだと思った主人公・ゴローは憧れのクラスメイトである「佐和穂香(以下、ホノカ)」と「エッチなことがしたい」という、なんともしょうもない」願いを呟く。

 この願いはホノカを前に「自らの自慰行為を見せる」という中途半端な解像度で実現され、同時にゴローの眼前には妖精のような少女「ラル」が眼前に突如として出現。ラルはゴローに「勝者となれば願い事が叶う」とされる「神様の座をかけた殺し合い」の参加者となったことを告げ、デスゲームが幕を開けることとなる。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_004 ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_005 ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_006

▲過度ないやらしい演出はなく、どちらかと言えば「情けない」「意味不明な状況」として描かれていた。

 この荒唐無稽にも見える導入では、実に中途半端で「しょうもない」スケール感の欲望しか持っていない「ゴロー」の人物像と、その「諦念」を明確に描写しており、この「リビドーの欠落」は本作の特徴であり魅力となる可能性を予感させるポイントとなっているだろう。

インモラルでシュールな「異能バトルもの」開幕。かと思いきや、危うい「自己犠牲的な精神」が不穏過ぎる

 そうして日を改めて「日常パート」に戻ったかと思うと、「憧れのクラスメイト」である「ホノカ」に突如として襲撃をされ、本格的にデスゲームが幕を開ける。

 「ホノカ」は人間の死体やスーパーで販売されている「牛肉」などの鮮度を代償に「強力な大剣」を召喚できる能力「謝肉祭」を有しており、“いかにもな異能”と容赦ない殺意で主人公を追い詰める。

 ゴローは当然ながら戦闘に戸惑い、命乞いをするものの、観念して自らの能力を使用。ホノカを「自身へ降りかかる不幸を代償に世界を改変する」自らの能力「愚者の聖典」で死に至らしめた。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_007 ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_008 ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_009

 本作は3DCGを駆使したアニメ作品であり、「異能バトル」の描写に関しては各自の能力のエフェクティブな表現が印象的だ。また、さまざまなゲームやアニメ、ドラマなどの楽曲を手掛けるクリエイター集団・MONACAが手掛ける劇伴は、都合上説明が増えてしまう「異能バトル」にダイナミックな迫力を演出する機能を果たしていると感じた。

 主人公を初めとして、いわゆる「フィジカル」で戦う能力者以外も多く、なかでも主人公の能力のディテールに関しては変化を見せている。戦闘においては今後の「味変」的な楽しさにも期待が高まる。

 とはいえ、主人公であるゴローは殺した「ホノカ」を自らの能力で蘇生し、その代償として自宅を範馬刃牙の自宅」のように落書きされるほど学校でイジメられるという不幸をその身に背負う。

 第1話でややインモラルな願い事をした主人公は、意外にも自己犠牲の精神を強く持っていたのだ。また、第1話から登場する「ケヒャり」系キャラの親友・秋津豊(以下、アキツ)は「イジメられている世界」に改変されたあとも親友であり、「ホノカ」も蘇生されてからは「同盟関係」をゴローと築いている。

 この主人公の自己犠牲的な精神性は、ある種「共感し辛さ」すら感じさせる。また、本作で描かれるのは「神様」になる戦いであり、主人公の能力においても「自身の不幸」を代償にすることから、魔法少女まどか☆マギカの主人公である「鹿目まどか」が如く、世界の罪や悪意などを自己犠牲で引き受ける「キリスト化」する末路も想像に容易い。

 この「主人公の自己犠牲精神」が持つ芳醇な香ばしさは非常に危うい。この要素が醸し出す“不穏さ”はとくに物語の今後の展開へ興味を引き付けるポイントであるだろう。

3話でのイニシエーション。ヨコオタロウ氏の名が脳裏によぎる展開Vol.1

 テレビアニメの3話といえば、なにやら「事件」が起きるケースが多い。このジンクスは本作においても共通しており、結論から言えば1話、2話でガッツリ登場し「ケヒャり」の皮をかぶった「いい奴枠」の親友・アキツと殺し合うこととなるのだ。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_010 ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_011

 アキツの能力は第2話の時点で「5秒先の未来が見える」能力であるとされていたが、これは嘘。

 能力の名前は「可逆時計」で、実際の能力は「自身の意識を未来に飛ばせば未来を読める」という能力のほか、「過去の物を現在に飛ばして攻撃することができる」というかなりのオーバーパワーであり、「ホノカ」の能力がかなり弱く感じるほど強力だ。

 「ケヒャリ」のブラフは一瞬で、どちらかと言えば「かなりのイイ奴」に思えたアキツが「更なる裏切り」として敷鉄板でゴローの腕を切断する光景は、正に視聴者の予想を裏切る展開となっているだろう。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_012

 「過去から物質をタイムスリップさせる」攻撃は彼の陰惨な幼少期の描写を伴っており、シリアスなバックグラウンドを掘り下げながら展開する激烈な戦いは「ゴローの能力の成長」と「アキツの死」によって終止符が打たれる。

 そしてアキツは死の間際「未来予知の結果、ゴローと戦うことのみが“マトモな未来”を切り開く選択肢であった」ことを語る。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_013

 それまでの物語では「コメディ色」を交えつつキャッチ―な「異能バトル/デスゲーム」が描かれてきたが、3話にて突如絶望を一気に突きつける。筆者はこの展開を経てようやく「ヨコオタロウ氏が原案」であることを強く実感させられた。

 本作の3話は、ヨコオタロウ氏の名をクレジットで目にした視聴した読者へのプレゼントのような展開であり、作品の緊張感が一気に引き上げられるエピソードである。3話を経て、「希望もクソもない」今後の展開にも大いに期待をして良いのではないだろうか。

本作を手掛ける「豪華布陣」は「現実を改変する能力」という暴れ馬をいかに乗りこなすのか

 最後に、改めて「主人公の能力」にまつわる期待を記しておきたい。

 「異能力バトルもの」において、主人公の能力には「クライマックス」などの限定的な状況を除いて「万能過ぎない」方が物語と相性が良いように筆者は思う。

 なぜなら「主人公の能力が限定的」であることで「架空の原理に基づくゲームルール」を作中で構築し、「戦闘の有利/不利」や「勝敗」に説得力を与えることができるからだ。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_014

 たとえば「異能バトル」の金字塔とも呼べる荒木飛呂彦氏のジョジョの奇妙な冒険冨樫義博氏が手掛けるHUNTER×HUNTERは、各戦闘における「ルール」や「仕組み」に多大なコストを要している。

 読者はこれらのルールを正確に理解せずとも作品を楽しめる一方、これらの情報は「戦闘の勝敗」などに明確な理由を与える役割を果たす。この「理由」が精密であるほど、キャラクターたちの戦闘における勝利や敗北、有利や不利といった状況に根拠を付与し、結果として物語の展開への「説得力」を高める。

 無論、「正確なバトルのルール」のみが読者への説得力を高める要素では無いものの、この要素は物語の展開に対して「作者の都合で物語が動いている」という印象を軽減する役割を果たすはずだ。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_015
(画像はアニメ『カミエラビ』公式サイトより、ホノカの能力における「生肉を刺す」ことで火力が上がる設定は、「異能バトル」のスタンダードな仕様だと言える)

 上述した仕組みを踏まえると「主人公の能力が限定的」であれば、「ルールや原理的に不利」であることを示したり、「原理的に不利」な状況を切り抜けて「ルールや原理の隙を突いた」という凄みを伝えやすいはずだ。

 いっぽう「主人公の能力が万能すぎる」場合は「戦闘の勝敗」が「主人公が能力を使用すれば勝敗が決する」という状況に陥りやすくなってしまうのではないだろうか。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_016

(画像はアニメ『カミエラビ』公式サイトより)

 上述した仮説を踏まえると、『カミエラビ』の主人公である「ゴロー」の能力は「不幸を代償に世界を改変する」という“超万能”の能力であり、少なくとも従来の「異能バトル」のフォーマットにおいては“扱いづらい”性質の能力であると言える。

 ここで『カミエラビ』に立ち返ると「オーバーパワー過ぎる能力」をもった主人公・ゴローには「不幸になる」という抽象的な「代償」があり、そんなリスクが不確かな能力を持った主人公は「根拠が不透明な善意」でポンポンと能力を使用しており、非常に不穏だ。

ヨコオタロウ氏原案の『カミエラビ』を紹介_017

 その不穏な要素を踏まえると、「強すぎる能力」を主人公に与える理由は「異能バトル」ではないポイントに潜んでいる予感がプンプンである。ヨコオタロウ氏やじん氏、瀬下寛之氏が物語上で扱い辛いと推測される「世界を改変する能力」を主人公に与え、何を企んでいるのかを刮目して見届けたい。


 豪華布陣が「異能バトル」や「デスゲームもの」のフォーマットで勝負に出る『カミエラビ』。10月4日よりフジテレビ「+Ultra」ほかにて放送を開始している。

 興味がある読者は、無気力な主人公が巻き込まれた「神様」を選ぶデスゲームの結末を、ぜひ自身の目で確かめよう。

アニメ『カミエラビ』公式サイトはこちら『カミエラビ』の公式X(旧Twitter)アカウントはこちら