君が手にするはずだった黄金について
『君が手にするはずだった黄金について』(小川哲/新潮社)

『地図と拳』で直木賞山田風太郎賞を受賞し、『君のクイズ』で本屋大賞にノミネートされた小川哲氏が、自らを主人公に据えて、人々の成功と承認、嘘と真実に迫る小説『君が手にするはずだった黄金について』(新潮社)を書き上げた。

 本書は、著者の小川哲氏自身を主人公にした私小説の体裁をとっている。主人公は冷めた目で、「うじゃうじゃいる種類の人間ではないが探せば自分のかつての同級生にそんな奴がいたかも」という人間たちを眺めるように描いた連作短篇集である。

 大学院生だった主人公(=小川哲氏)が就活のエントリーシートの一問、「あなたの人生を円グラフで表現してください」にぶち当たり、手を止め、熟慮黙考した末に「この問いに答えはなく、そもそも問いが間違っている」という結論に達する話から始まり、小説家になり、やがて山本周五郎賞の最終候補に残ったと電話を受ける話までが描かれる。

この小説は徹底した「リアル」なのか、徹底した「嘘」なのか?

 さて、第一章のエントリーシートで「円グラフ」の質問を出している会社はどこなのかというと、まさに本書を出版した会社「新潮社」なのである。また主人公が口にする作家や小説の名前も、実在するものばかりだ。前作で空想的なSF小説を書いていた人が、今度はうってかわって、「これはリアルだ」と言わんばかりの始まりだった。

 ただし、その考えもすぐに覆される。第一章でエントリーシートをなかなか書けない主人公(=小川哲氏)は、恋人に「フィクションを書けばいい、話が面白ければ嘘でもいい」と促され、就活を成功させるために自分を主人公にした物語を書き始める。が、自分は物語の主人公にするにはあまりに面白みに欠け、物足りないことに気づく。エントリーシートの締切もとっくに過ぎている。そうして主人公は、自分を捨て、まったく新しい人格を作り出し、完全な創作者になることを目指すようになるのだ。

 つまり、主人公を自分に据え、リアルな感じを演出しておきながら、実際のところ、これは創作なのだ、とも暗示している。このリアルと嘘とが入り混じり、掻き混ぜられ、ちょっと目を離した隙にそれが真実か嘘かわからなくなるような構造が、本書の一つのポイントなのだ。

青山の胡散臭い占い師の中年男性、マルチ勧誘をしていた同級生…彼らはまったくの偽物なのか?

 本書には印象的なキャラクターが3人出てくる。1人が、青山で占い師をする中年男性。2人目は、かつてマルチ勧誘をしていたが、何十億もの資産を運用するようになっているかつての同級生、片桐。3人目は、ロレックスの偽物を巻いた漫画家のババ。どの人物も、性格、行動、出来事、周囲の反応などから多面的に描かれ、リアルな人物像が確立されている。

 彼らの嘘、偽物、胡散臭さを、主人公は冷めた目で眺めながらも、自分が小説という創作物=嘘を書いていることに少し引っ掛かりを覚えている。また、青山の占い師の嘘を暴くために、自らに「上杉華」という女性の人格を憑依させて占いに挑む=嘘、偽物を演じる、という作戦にも出ていたり、事実ではないことを想像して「嘘」を書く小説家という仕事と、彼らと何が違うのか、という独白もある。

 いつも冷静で淡々とした主人公を常に「真」だと思っていると、おそらく手痛いしっぺ返しを受けるだろう。この、嘘と真実が入り乱れる構造が実に巧妙で、味わい深い。主人公を信じてしまったかと思えば、嘘だと表明され、嘘なのかと思っていれば、もっと胡散臭い奴が出てきて、主人公側の嘘が薄れて、真だと思ってしまう……。

 そして、本書のもう一つのテーマが「承認欲求」なのだが、これもまた興味深い。

本当に承認欲求を満たそうとしているのは誰なのか?

 本書に出てくる偽物たち(片桐やババなど)は、自分を見栄えの良いものに仕立て上げ、他人の信用を嘘で獲得し、承認欲求を満たすように描写されている。

 ただし、読んでいて思ったのは、やたらと彼らが主人公(=小川哲氏)を褒める、ということだ。小説家であることに対して「才能がある」「すごい」「尊敬する」と言われるシーンが複数箇所ある。また、占い師にオーラを見られて「誠実な人物である」と言われ、彼を途中まで信用してしまう、という描写もある。

 これは、承認欲求を求める偽物の人たちを描きながら、同時に、著者自身の承認欲求を満たす物語でもあるのだ、と感じてしまうのだ。これも相手の「偽物」や「嘘」を描きながら、その実、自分の「嘘」に気づいてしまう主人公の構造と同じような構造になっている。いや、もっと言うと、本書の中の主人公ではなく、本書を書いている小川哲氏そのものの「承認欲求」を満たすという点で言うと、「嘘」の構造よりも一段高い、メタ的なものであるとも捉えられる。

本書に最初に出てきた「ジョン・アーヴィング」に隠された秘密

 先述した「嘘」「承認欲求」の構造の他にも、本書には多くの意味が隠されていると考える。例えば、本書に最初に出てくる実在の作家が「ジョン・アーヴィング」であることも見逃せない。

“部屋が散らかっていたのは僕のせいではなく、ジョン・アーヴィングのせいだった。どれだけ入念に掃除をしても、ジョン・アーヴィングが勝手に逃げ出し、ロバート・A・ハインラインの上に跨ったり、夏目漱石と取っ組み合いの喧嘩をしたりした。”

 ジョン・アーヴィングと言えば『ガープの世界』(新潮社)などに代表されるように、恐ろしく長い小説を書くことで知られている。主人公の生まれから死に至るまでを詳細に書き込むことが一つの特徴で、彼の名を出すことは、長く緻密な人生について語ることと同義とも考えられる。

 引用した文章から読み解けば、自分のもとから「人生」が逃げ出し、荒っぽく動き回って掴み切れず、果ては他人に迷惑をかけていることを暗喩しているのではないか。

 隠された真意は、見つけられていないだけでもっとあるのだろう。なぜなら、主人公は著者である小川哲氏本人であり、SF小説を書くよりも遥かに高い確率で、意識せずとも自分を投影させてしまうはずだからである。今大注目の作家、小川哲氏が隠した、彼自身の本当の思い、謎や真実を探してみるのはいかがだろうか?

文=奥井雄義

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