韓国という国ができたのは、1948年。今から75年前のことだ。若干第二次世界大戦後の混乱期の前「1945年8月15日」までは日本の統治下であったし、その前の大韓帝国は、1897年から1910年までのたった13年しかない国であった。その前1392年から1897年の505年は李氏朝鮮時代だった。李氏朝鮮時代に韓国人は存在しない。本当に歴史を湾曲するのが大好きな国だ。

 このほどバチカンカトリックの聖地:ピエトロ大聖堂に、アジア人初の聖像が設置された。 …そう、アジア人初が無難な表現だ。

 1921年から1846年の25年という短い生涯をカトリックに捧げた「李氏朝鮮」出身の司祭が聖像の主。韓国の歴史ドラマでおなじみの笠子帽をかぶり道袍姿(トウルマギ=外套=日本でいうところの羽織の、略式形。身幅を広くとって、袖幅袖丈を大きくしている)の像。欧米風の神父とは明らかに違う。韓国系の作家が作った。

 江戸時代の徳川幕府がキリスト教を禁じたように、朝鮮半島でも禁じられた時期があり、この像の主は、丙寅教獄で殉教している。

 ローマ教皇の次に当たる枢密卿の一人は、これを皮切りに各民族と国を代表する聖像を作ると話している…まずは朝鮮半島の神父にしたのは、韓国でカトリックの「世界青年大会」が控えているためだろうか。 また韓国には、なんちゃってキリスト教が多く、それらをカトリックに集結させるためだろうか。

 しかし。アジア初を、韓国人初と発信してしまう韓国人はいったいなんだろう。李氏朝鮮時代は北朝鮮も中国の隣接した地域も入って一つの国だったと思われる。決して分断されてできている韓国ではない。カトリックは独身が基本だから、聖像の御仁直接の子孫はいないだろうが、ファミリーヒストリー的に調べて行けば、北朝鮮に親族が今存在するかもしれないのに、韓国初と言い切れるものだろうか。

 素晴らしいことをした人は、確実に韓国の血が入っている。見た目=肌の色や国籍が違うとしても、どっかに入っていると湾曲しないと耐えられないのか。

 カトリックの生涯独身には、日本で今問題になっている大手芸能事務所の青少年たちと同じ流れがあるとも言われているが…それは性におおらかな韓国とは違う気がする。

イメージ イラスト