イングランドの伝説的プレーヤーであり、マンチェスター・ユナイテッドレジェンドでもあるサー・ボビー・チャールトン氏が21日に逝去した。86歳だった。

ユナテッドの試合日に届いた訃報。試合前には黙祷が捧げられ、クラブも声明を発表した中、日本サッカー協会(JFA)からも追悼のメッセージが発表された。

メッセージを寄せたのはJFAの田嶋幸三会長、元会長で初代JリーグチェアマンでもあるJFA相談役の川淵三郎氏、前会長の小倉純二氏がそれぞれコメントしている。

日本サッカー協会 田嶋幸三 会長

「Sir ボビー・チャールトンは、マンチェスター・ユナイテッドの数々の栄光を手にした、まさに「世界のサッカーレジェンド」。1966年FIFAワールドカップでのイングランドの優勝はボビーさんなくして実現しなかったのではないかと思っている。ボビーさんは福島県のJヴィレッジの名付け親で、東日本大震災の2年後(2013年)にJヴィレッジを訪れたとき、その変わり果てた姿に涙しておられた。Jヴィレッジが復活した姿をお見せしたかったが、叶わぬ願いになってしまった」

「いつも日本のサッカーに心を寄せてくださったことを心から感謝している。日本のサッカーを名実ともに世界に誇れるものにしていくことがボビーさんへと恩返しだと思っている。謹んで哀悼の意を表します」

日本サッカー協会 川淵三郎 相談役
「Sir ボビー・チャールトンの訃報に接し、心から哀悼の意を表します。Jリーグ立ち上げの頃、マンチェスター・ユナイテッドを訪問し、プロリーグの在り方や規約の制定、プロ選手契約などさまざまな教えを請うた」

プレミアリーグがB Sky Bと契約し、テレビで生放送したらスタジアムに観客が来なくなるのではないかと心配されていたが、あに図らんやスタジアムは満員になり、後に訪れたときには約4,5万人収容へと拡大し、次に行ったときには7.4万人収容になっていた。オールド・トラッフォードのスタジアムの移り変わりをボビーさんと見てきたことも感慨深い。ゴルフもよくご一緒させてもらった。イングランドが誇るレジェンドと仲良くさせていただいたことを本当に光栄に思う。ボビーさん、安らかにお眠りください」

日本サッカー協会 小倉純二 相談役
「かねてよりご療養中と伺っていたが、あまりにも早い訃報に接し、驚きを禁じえない。ボビーさんとは、私が1981年ロンドンに赴任してからのご縁で、Jリーグの立上げやFIFAワールドカップ招致など、今日の日本サッカーの礎を築く過程で大変お世話になった」

日本サッカー協会(JFA)が90周年を迎える際には、戦時中の銀器献納でなくなったFAシルバーカップの復元にもご尽力いただき、東日本大震災後には福島のJヴィレッジにも来ていただいた。被災地の子どもたちの英国訪問の際にも温かく迎え入れてくださった。日本サッカーに寄り添ってくださったお姿を決して忘れることはない。御霊の安らかなることをお祈りします」

ユナテッドアカデミー出身のチャールトン氏は、ユナイテッドのファーストチームでの在籍17年間で758試合に出場し、249ゴールを記録。ヨーロッパカップ(現チャンピオンズリーグ)、3つのリーグタイトル、FAカップを獲得した。個人としても1966年バロンドールを獲得し、フットボール界でも数多くの栄誉を受賞してきた。

1953年にユナイテッドへ入団したチャールトン氏は、サー・マット・バスビー監督の下、“バスビー・ベイブス"の愛称で知られる若手逸材の一人として台頭。1956-57シーズンには初のリーグタイトルを獲得した。

その後、1958年2月6日、クラブは“ミュンヘンの悲劇"で知られる飛行機事故に巻き込まれ、選手8名を含む23名の命が失われた。その中で生存者の一人となった同氏は、ユナイテッド再建の中心選手として活躍。1966-67シーズンにはイングランド勢初の欧州チャンピオンとなった。

ユナテッド退団後はプレストン・ノースエンドといった国内クラブやオーストラリアのクラブでプレー。現役引退後は、39年間ディレクターとして古巣ユナイテッドに貢献した。

また、イングランド代表としては、通算106試合に出場して49ゴールを記録。自国開催となった1966年ワールドカップでは優勝の立役者となり、個人として通算3度の大舞台を経験した。




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