「今困っているわけではないのだから、わざわざ新しい仕組みを導入しなくてもいいのではないか」こうした声により変化が進まない例は、世の中のあちこちで見られるのではないだろうか。当連載は、オランダなどで浸透する社会構造を変化させる最先端の手法を解説した『トランジション 社会の「あたりまえ」を変える方法』(松浦正浩著/集英社インターナショナル)から一部を抜粋・再編集。合意形成し、軋轢を生まずに古い仕組みを新しく変えるための実践法をお届けする。 

 第2回は、クールビズや屋内禁煙など、私たちの身近で起きてきたトランジションや、ガソリン車から電気自動車への転換など、ビジネスにおけるトランジションを例に、古い常識が新しい常識へと塗り替わるプロセスを解説する。

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<連載ラインアップ>
第1回 なぜ裸で外を歩いてはいけないのか?社会が大きく変わるトランジションとは
■第2回 歴史的偉業、ホンダのCVCCエンジン誕生のきっかけとなった「無茶振り」とは?(本稿)

第3回 ロイヤル・ダッチ・シェルを擁したオランダは、なぜ脱炭素化を加速できたのか

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 日常の習慣を入れ替える

 社会の仕組みを入れ替える、などという話をすると、昭和生まれの世代であれば「血を流すような革命でも考えているのか?」と恐ろしく思われるかもしれません。たしかに過去の歴史を見ると、社会システムの大転換は、暴力を辞さない革命によって起きることもありました。

 もちろん今後もそのようなことがないとは言えませんが、持続可能社会に向けたトランジションを考えるときに、たくさんの人の命が失われるような暴力は、念頭に置いていません。もちろん「対立」から逃げていてはトランジションは起きないのですが、そこに生じるのは、意見の相違、慣れていないことに挑戦しなければならないストレスなどです。もっとも激しいものでも、街頭でのデモといった非暴力直接行動(NVDA)程度のものです。

 そもそも、みなさんも身の回りでこれまでにいろいろなトランジションを体験してきたはずなのです。

 たとえば、クールビズです。昭和のサラリーマンであれば、職場にスーツを着ていくのがあたりまえでした。少なくともネクタイはしていたでしょうし、暑くてもジャケットを着ていくのがふつうのことでした。むしろそういう服装ができないと奇異な目で見られたでしょうし、会社でたしなめられたり、ご近所さんから変な目で見られたりしたものでしょう。

 しかし、ヒートアイランド現象などにより、夏の都心部の気温が上昇し、省エネのためにエアコンの設定温度を少し上げるべきという潮流もあり、2005年から「クールビズ」という愛称で、夏場はドレスダウンしましょうという運動がはじまりました。そして、ネクタイを外して、スーツを脱ぐ人がもの凄い勢いで増加し、あっという間に「クールビズ」という常識が広まりました。現在では冬でもネクタイをしない人も多いと思いますし、それまでみんな我慢していた古い常識が、国のお墨付きを得て、一気に新しい常識へと転換したわけです。

 他にもいろいろな例があります。喫煙もそうです。昭和のころには、オフィスの会議室や電車の中などで喫煙できるのがあたりまえのことで、机上に灰皿が置いてあるのはあたりまえの光景でした。移動中の連絡手段も、以前は公衆電話を探して10円玉を入れて電話していたものですが、あっという間に携帯電話(当時はガラケーですが)に置き換わりました[※1]。

[※1]総務省「令和4年版 情報通信白書」

 この図は、さきほど示したXカーブにとてもよく似ていますよね。このように、私たちはいろいろな場面で、トランジションをすでに経験してきたのです。

対立は避けられない

 こうした過去のトランジションも、必ずしもスムーズなものではなく、いろいろなトラブルがありました。たとえば、もはや室内での禁煙はあたりまえのものとなりましたが、当初は「嫌煙権訴訟」として、鉄道車内の分煙を求める訴訟が起きたり、喫煙による健康影響に関する科学的な調査の真偽をめぐる論争があったりしました。2020年東京オリンピック開催を契機に、飲食店での禁煙・分煙も強化されましたが、そこでも賛否両論があったことも記憶に新しいのではないでしょうか。気候変動などに比べれば小さな規模の問題かもしれませんが、それなりの「対立」が起きた結果、室内は禁煙というあたりまえに置き換わってきたのです。

 もう少し過激な対立があった有名な事例として、身体障碍者のみなさんが公共交通機関に乗車する権利を獲得した運動があります。いまは車いすに乗っている人でも電車やバスに乗ることがふつうですが、昭和のころには、バスの運転手が車いすの人たちを乗車拒否するといった事件が起きていました。

 そこで1977年に脳性まひの方々を中心とした「青い芝の会」という団体が、川崎駅前でバスを占拠するなどのデモをおこない、社会に対する問題提起をおこないました[※2]。

[※2]荒井裕樹(2017)『差別されてる自覚はあるか』現代書館

 バスが運休になるなど混乱を招いたため、他の乗客が障碍者をバスから引きずり下ろそうとするなど、対立状況が露骨に可視化されたそうです。この川崎バス闘争事件ですべてが解決したわけではありませんが、その後のさまざまな運動や議論などを経て、2000年には交通バリアフリー法が制定され、以降、徐々に対策が強化されています。川崎バス闘争は、他のバス利用者にとって「迷惑」だったのかもしれませんが、その「迷惑」を経ることで、世論が喚起され、あたりまえの変化を刺激したのです。

 なぜこのような対立が起きるかというと、トランジションによって、よりよい状態になる人もいれば、一時的に困る人、あるいは損する人が出てきてしまうからです。個人のレベルで自由に行動を変えられるのであれば、あまり文句も出ないでしょう。

 たとえば、クールビズのときは、「ネクタイを外さないと地下鉄に乗れない」みたいな無茶な規制ではなかったので、外したい人、外してもよさそうな会社から、無理なく自由に広まっていったのだと思います。しかし、室内禁煙の場合では、喫煙者が我慢を強いられる形になっています。このように、社会全体として「あたりまえ」を変えて、そして全員が従わなければならないルールまでも変えるとなると、いままでのやり方を変えたくない人、変えるのが難しい人は、強く反発することになるでしょう。

 だからこそ、トランジションを加速させるときには、いきなりトップダウンでルールを変えるのではなく、現場で少しずつ、じわじわと常識を変えていって、機が熟したところでルールを変える、というのがスマートなやり方です。メンバーの過半数が反対するルールをいきなり押しつけようとしても、民主的な社会であれば、すぐに頓挫してしまうものです。

先取りした者が勝つ?

 トランジションに関して、「問題が本当に深刻になるギリギリのところまで待って、最後に対応すればいいんじゃないか」と思う人もいるかもしれません。「自分たちは苦労せずに、他の国が試行錯誤した結果を踏まえて、いちばん楽なやり方でルールを変えればいいじゃん」という戦略もあるかもしれません。しかし、経済の国際化がかなり進んだ現在、「後から真似する」戦略はかなり危険なことでもあります。

 この危険性に関して、近年もっとも顕在化しているのが、自動車の電動化です。この5年くらいで、世界中の国々がガソリン車の販売を禁止する方向へと動いています。日本は比較的後手にまわっていますが、海外の一部の自動車メーカーは、これを契機に電気自動車への転換を先取りし、競争力を高めようとしています。イーロン・マスクテスラはすでに電気自動車のトップランナーとして有名ではありますが、中国や韓国の自動車メーカーは電気自動車の開発に注力してきたことで、欧州でのマーケットシェアを急速に広げつつあります。むしろ、社会のルールが入れ替わることが先に読めていれば、技術開発を早めにはじめることによって、競合他社の少ない新しい市場(ブルーオーシャン)に製品を投入できるのです。

 日本の自動車産業が戦後大きく発展したのも、じつは未来を見据えてルールを先取りしたことが一因になっています。米国では1970年に新しい大気浄化法、いわゆるマスキー法が制定され、自動車の排気ガスに対して非常に厳しい規制が課されることになりました。同法は、1975年以降に製造される自動車に、汚染物質の90%以上の削減を要求していて、かなりの「無茶振り」でした。米国内の大手自動車メーカーは、このような社会の要請に対応するのではなく、「間違った」規制の導入を先送りしてもらおうと、政治家などへの圧力工作、メディア工作などで対応しようとしました。要はトランジションを止めて、生き残りを図ろうとしたわけです。

 日本は国土が狭いということも手伝ってか、環境規制がもともと厳しく、日本の自動車メーカーは、マスキー法に対応できるエンジンの開発に真摯に取り組みました。一つの成功事例が、ホンダによるCVCCエンジンの開発です。エンジンに副燃焼室という機構を組み込むことで、少ないガソリンでもよく燃えて、結果として排気ガス中の汚染物質が少なくなるように改良したエンジンで、1972年にはその開発成功が公表されました。このエンジンは世界初のマスキー法対応のエンジンとなり、歴史的な偉業と考えられています。

 このエンジンは燃費もよかったことから、1970年代後半以降、米国で日本車のシェアが急増する一因となりました(もちろん信頼性など他の要因もあります)。こうして新しい「あたりまえ」に対応しようとしたこと、そして実際に先取りできたことが、日本の自動車産業の、過去半世紀の強みだったのです。

ステークホルダーは変化を嫌う

ステークホルダー」という単語を聞いたことがあるでしょうか? ビジネスや政策をおこなう際に、協力してもらう必要がある、配慮すべき関係者のことを意味します。じつは、トランジションとステークホルダーは非常に相性が悪いとも言えます。

 なぜなら、ステークホルダーは現在の「あたりまえ」の下で有力な関係者です。たとえば、現在の自動車業界の主なステークホルダーは、内燃機関の自動車を製造している事業者やその関係会社となるでしょう。もちろんそのような事業者も、電気自動車の開発を進めているでしょうが、内燃機関に特有の部品(燃料関係の部品、点火系の部品)を製造している企業も多いことでしょう。逆に、リチウムイオン電池やモーターなど、電気自動車に特有の部品を製造している企業は現在、自動車業界の主なステークホルダーではないでしょう(最近変わりつつありそうですが)。

 このとき、「ステークホルダーのみなさんとご一緒に」みたいな聞こえのよいことを言っていると、むしろトランジションを止めることになりかねません。マスキー法対応の事例をお話ししましたが、まさに米国で技術的な対応が遅れた理由が、ステークホルダーの強さだったのです。自動車メーカーの経営層だけでなく労働組合も含めて、変化が必要だと理解していても、保身のためにそもそも規制を止めてしまおうという動きに出たわけです。

 ステークホルダーは基本的に、現状維持を図ろうとするので、変わろうとはしません。むしろ、未来のあたりまえを見据えて起業したベンチャー企業の方が、社会を変えるための推進力になりやすいでしょう。現在の社会経済システム(構造)の下で有力なエージェントとなっているステークホルダーではなく、むしろ目指すべき未来に有力になっているであろう挑戦者たちを積極的に取り入れた方が、トランジションを加速できるのです。

 もちろん、大企業であれば巨大組織ですから、社内にいろいろな部署があって、ベンチャー企業のような研究開発をやっている部署もあります。大企業はトランジションを止めるステークホルダーだからと一律排除するのはおかしいかもしれません。実際、トランジションを阻害する「悪者」として大企業を描くことを批判する研究も出てきています[※3]。

[※3]Turnheim & Sovacool(2020)“Forever stuck in old ways?Pluralising incumbencies in sustainability transitions” Environmental Innovation and Societal Transitions, 35, pp.180-184

 またステークホルダーを重視した経営、ステークホルダー参加による民主主義といった考え方がこの10年くらい台頭してきたところもあり、加えて筆者自身も「合意形成におけるステークホルダーの重要性」を説いてきたので、ステークホルダーを否定すること自体に嫌悪感が抱かれるのも理解できます。

 以前ある研究会で、トランジションのためにステークホルダーを「排除」する必要性を提起したところ、他の大学教授から明らかに感情的にたしなめられて、まぁそうなっちゃうんだろうなぁ、と実感したこともありました。もちろん、短期的な問題解決のためにはステークホルダーは重要な存在で、そのための合意形成の必要性は自分も以前からずっと主張しています。それを十二分に理解したうえで、長期的なトランジションには逆効果だと言っているのです。

 ここで理解していただきたいのは、現行の社会経済システムで中心的役割を果たしているステークホルダーは、現行の社会経済システムのなかで問題を解決するためには欠かせない存在ですが、逆に異なる社会経済システムへのトランジションを止める・遅らせる動機づけがある、ということです。トランジションが必要とされているにもかかわらず、ステークホルダーを重視した議論や戦略づくりをしてしまうと、トランジションを後退させる危険があるのです。だからこそ、新しいあたりまえを前提に活動している人たちを意図的に巻き込んで、トランジションを進めなければならないのです。

 しかし、具体的には一体なにをどうすればよいのでしょうか?

 その答えを示すのが、トランジションを意図的に起こす具体的な方法論、「トランジション・マネジメント」です。

コオロギ炎上

 2023年、徳島県の小松島高校の給食で、徳島大学発のベンチャー企業、グリラスが製造したコオロギの加工品を利用した食材が提供されました。この件は、SNS上で反発の声が目立つ、いわゆる「炎上」状態となりました。昆虫食は日本でも決して珍しいものでもなく、イナゴの佃煮は昔からありましたが、昨今は動物性たんぱく質の供給源として、とくにコオロギが注目されています。

 そもそも、なぜコオロギを食べなければならないのでしょうか。それは、コオロギの飼料には食品廃棄等を利用できて、環境負荷が小さいこと。そして、食肉の生産に比べて圧倒的に効率がよいこと。主にこの2つの理由から、コオロギ持続可能な未来を支える食糧となる可能性があるのです。

 じつは、このコオロギ食もトランジションに大いに関係があります。日本の第二次大戦後の食生活は大幅に自由度が増し、「飽食」という言葉が出回るほどになりました。その飽食状態が、現在の日本に暮らす人々にとってのあたりまえ、つまり「構造」となりました。その構造の下では、「コオロギが基本の食生活」は、文化・習慣的にも、経済的にも、ありとあらゆる側面でマッチしません。むしろ現在の構造は昆虫食を「寄食」へと追いやっています。この構造とのミスマッチが、炎上の一因ではないでしょうか。

 もちろん今回の給食はあくまで試行で、全生徒に強制したわけでもないので、決して「コオロギが基本の食生活」の導入ではありません。しかし、そのような未来が訪れるのではないかという恐怖感が一気に噴出したということでしょう。そういう意味で、この給食は一種のトランジション実験であったともいえます。

 コオロギ食の炎上騒ぎは、今後の食分野のトランジションの重要性と可能性を示唆しています。気候変動や世界的な食糧不足を受けて、食生活のトランジションが必要になるかもしれません。戦後の食生活の大変化のように、これから数十年で同レベルのトランジションが起きても不思議ではないのです。

 他方、食は人間の本能でもあり、文化の影響も強く、生産・流通システムが確立してしまっているため、トランジションに対してブレーキが強く働く可能性もあります。今後も、同様の炎上案件が発生することが予想されます。ここでいちばん大事なことは、ネット上の騒ぎに安易に同調することなく、トランジションという大局的な視点を持つことではないでしょうか。未来を見据えて、どのような食生活が理想的なのか、自分にとって一番幸せなのか、冷静に考えることが重要です。

<連載ラインアップ>
第1回 なぜ裸で外を歩いてはいけないのか?社会が大きく変わるトランジションとは
■第2回 歴史的偉業、ホンダのCVCCエンジン誕生のきっかけとなった「無茶振り」とは?(本稿)

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