辺見庸の小説「月」を原作に、脚本・監督に石井裕也、主演に宮沢りえ、共演には、磯村勇斗、二階堂ふみオダギリジョーといった布陣で製作した映画『月』が公開中です。

【ストーリー】深い森の奥にある重度障害者施設。ここで新しく働くことになった堂島洋子(宮沢りえ)は“書けなくなった”元・有名作家だ。彼女を「師匠」と呼ぶ夫の昌平(オダギリジョー)と、ふたりで慎ましい暮らしを営んでいる。洋子は他の職員による入所者への心ない扱いや暴力を目の当たりにするが、それを訴えても聞き入れてはもらえない。そんな世の理不尽に誰よりも憤っているのは、さとくんだった。彼の中で増幅する正義感や使命感が、やがて怒りを伴う形で徐々に頭をもたげていく――。

第 28 回釜山国際映画祭でジソク部門にも選出されており、サンパウロ国際映画祭(10 月 7 日)、KINOTAYO 現代日本映画祭 (10 月 10 日)、広島映画祭(10 月 9 日週)など国内外の映画祭での上映も決まっている本作。事件が起きた施設で働きながら小説家を目指す陽子を演じた二階堂ふみさんにお話を伺いました。

――本作で二階堂さんが演じられた陽子というキャラクターはとても難しい役柄だったかと思います。監督とこのキャラクターについてどの様なお話をしましたか?

私にとっては理解しがたいキャラクターで、「陽子はこういう人間」という明確さを持って撮影に臨めたかと聞かれれば、どうだろうという感じです。手探りでした。でも『月』という作品自体が明確な答えが出るものではなかったので、陽子をどう演じるかということよりも、この事件の背景にある問題、作品のテーマに向き合って考えることが大事なのかなと思いました。

――陽子は小説家を目指しながら施設で働いていますが、アルコールの問題を抱えていたり、鬱屈した日々を過ごしていますね。

陽子の家庭は信仰を持っていますが、その信仰と矛盾する大きな問題も抱えています。陽子自身も宗教的な観念を持っている人なので、そこに対する疑問や葛藤を持っていると感じました。人間の本質は「聖なるもの」なのか、「俗なるもの」なのかという。もちろんどちらも持っているのが人間だとは思うのですが、陽子自身は“白か黒か”の答えを求めているんじゃないかと。宮沢りえさんが演じられた洋子に対して意見をぶつけるシーンもありますが、そういった気持ちから取ってしまった行動なのかなと考えています。

――正論を言うタイプなのかなとも思いますが、その正論を陽子自身も信じていない複雑さも感じました。

どこまでが感情で、どこまでが思考なのか、ちょっと私も分からなかったですね。シーンごとに陽子のキャラクターがどんどん変わっていく感じで、「陽子は一体何を求めているんだろう? 何を感じているんだろう?」と思っていました。最初に脚本を読んだ印象では、「分かっているつもりでいる人」というものかなと感じました。

――自分の創作や夢が認められていない、という事実も陽子を苦しめていますね。

ままならない承認欲求の裏返しとして、「他者が見る自分」みたいなものをすごく強く意識している人だなと感じました。原作のモチーフとなった事件でも、ネット上には、「自分はすべてを分かっている」といったスタンスで語られているものが少なからずあったと思うのですが、陽子はそういう側の人であるような気もしました。

メディア自体にそういう側面があるなと思ったんです。書き手によってすごく主観的な記事ってあると思うのですが、読み手も書き手も、それが主観的であることに気付いていないことがある。メディアを通じて見ているものは、本当にすごく狭い世界の話でしかないかもしれないのに、それが全てだと思って簡単に言葉を発してしまうケースもありますよね。私の中では、陽子ってそれらの現象に近かったんです。人間の想いには寄り添わない正論を、知識や数字をベースに「私は分かっているんだ」と示し、それを拠り所にして自分を保っている人。誰かにぶつけた言葉に対するリアクションで自己が形成されてく人。今話しながら、そんな風に思いました。

――二階堂さんも表現者として承認欲求との関わり方について考えることはありますか?

色々な時に考えるし、感じます。今よりももっと若かった時は、自分の未熟さゆえのフラストレーションを抱えていましたし、まず自分が未熟であることが認められませんでした。表現者として足りていない部分がたくさんあるということも受け入れられていないというか。 動物と暮らし始めたり、目を向けるべきものは自分の外側にもたくさんあるということに気付き始めてからは、自分の内面の悩みは減ってゆきました。もちろん今でも完全になくなってはいないんですが、外に目が向くようになってからは、そこまで気にならなくなっていきました。養老孟司先生が著書の中でおっしゃっていたんですが、「脳だけが動いていて体が動いていないことが問題」と。それを読んだ時に、自分もそうかもと思いました。特に動物たちには救われましたね。犬の散歩をしていると、余計なことを考えなくなっていくので。

――二階堂さんは保護動物の活動や発信をされていますが、私自身も保護猫と暮らしていて、周りのみんなも二階堂さんの言葉にすごく注目していて助けられています。

ありがとうございます。嬉しいです。今全部で6匹の犬と猫と暮らしていて。実はこの映画『月』の長井プロデューサーもご自宅に2匹、ご実家に2匹の保護猫を迎えてくれました。日本でも保護動物を迎えるということがだんだん当たり前になってきていて、店頭での生体販売が無くなる日もきっと来ると信じています。変わらない、難しいと言われていることだって行動すれば変わっていくんだなと感じます。社会をまわすのって、どうしても声が大きい人とか、力を持つ人になってしまいがちですが、そうではない言葉・意見ってたくさんありますよね。言語を持たない動物たちもそうだし、自然もそうだし、子供、お年寄り、もちろん障害を持つ方々だってそうだと思います。ありとあらゆる存在が日常の中に当たり前にある、そういった社会になってくれたら良いなと思います。

――本作の撮影には、実際に障害者施設で生活している方が出演されていますが、パンフレットには皆さんの様子も書かれていて。二階堂さんと川端さん(映画にご出演された当事者の方)とのお写真も素敵でした。

川端さんといる時間は作品の中でもすごく楽しい時間でした。川端さんの彼氏の写真まで見せて頂いたりプライベートな話もしました。映画に参加した後に寝坊や遅刻をしなくなったり、作業をサボらなくなったというお話を聞いて、そのことがこの映画の救いというか「この映画に参加して良かったな」と感じました。すごく良い時間を過ごさせていただきました

――映画を拝見した後、ずっと考えがぐるぐるまとまらなかったのですが、パンフレットの様々な言葉を読んで救われた部分があります。私が言える立場ではないのですが、パンフレットが本当に必読だと思いました。最後に、出演に大きな覚悟のあるこの作品に、二階堂さんが出演した理由や、作る意義があると思った点を教えてください。

事件が起きた日のことを、すごくよく覚えています。なんてことが起こってしまったんだという衝撃を受けましたし、友人が記者をしているので、色々な話をしたりしました。その後のメディアでの取り上げ方、特殊性ばかりが取り沙汰される報道にも違和感を感じていましたし、作品にするということでお話をいただいた時も、「自分がここに参加していいのだろうか。そもそも作品にすべきことなのか」というのは、やっぱりすごく悩みました。

同時にあの事件では、たくさんのことを考えさせられました。例えば裁判でも、被害者の方々を実名報道するかしないか、被害者遺族の方々が表に出ることや、逆に出たくないということなど、プライバシーや人権に関わる問題がすごくありました。そしてその基準を決めるのが当事者でなく社会的強者の側の人間でいいのだろうかとか。その過程で「実際に存在する人たちを“いないもの”として排除して回っている社会に、自分は生きているんだな」ということを実感させられました。そこに対して、自分はちゃんと向き合いたいなと思ったし、この事件を忘れないようにすることがすごく大事だと思いました。「特異な怪物」が起こした事件としてではなく、社会全体があの事件の当事者であることを感じてもらえたらいいなと。たとえ答えが出なくても、そういう意味で、映画を作る意義があるんじゃないかと考えています。

――今日は本当に貴重なお話をありがとうございました。

撮影:たむらとも

ヘアメイク:AIKO TOKASHIKI
スタイリスト:RIKU OSHIMA

<衣装クレジット>
シャツ ¥30,800/PRANK PROJECT、スカート ¥37,400/O’NEIL OF DUBLIN(デミルクス ビームス 新宿)

・問い合わせ先
PRANK PROJECT
http://prank-project.com

ミルクス ビームス 新宿(03-5339-9070)

『月』公開中
宮沢りえ
磯村勇斗
⻑井恵里 大塚ヒロタ 笠原秀幸
板谷由夏 モロ師岡 鶴見辰吾 原日出子 / 高畑淳子
二階堂ふみ / オダギリジョー
監督・脚本:石井裕也
原作:辺見庸『月』(角川文庫刊) 音楽:岩代太郎

企画・エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
製作:伊達百合 竹内力 プロデューサー:⻑井龍 永井拓郎

(C)2023『月』製作委員会

映画『月』二階堂ふみインタビュー「読み手も書き手も、それが主観的であることに気付いていないことがある」