もうすぐ役目を終える74式戦車。それに伴い同車を載せたトレーラーが街中を走るのも見られなくなります。そこで、完全退役の前に74式戦車の輸送に密着。夜中にしか見られない、知られざる戦車輸送の裏側を取材してきました。

戦車用トレーラー、前後で名前が違うってホント?

陸上自衛隊で半世紀にわたって主力戦車として運用され続けた74式戦車が、2024年3月をもって完全退役を迎えます。

それとともに見られなくなるのが、74式戦車の公道輸送です。すでに北海道や九州から同車は姿を消しているので、本州でしか行われていません。そこで、もうすぐ終わりを告げる74式戦車の陸送について密着してきました。

取材したのは愛知県春日井駐屯地に所在する第10後方支援連隊輸送隊です。2023年10月15日(日)に名古屋市の守山駐屯地で開催された「第10師団創立61周年・守山駐屯地創設64周年記念行事」に参加した第10戦車大隊の74式戦車を、同大隊の所在地である滋賀県の今津駐屯地へ戻すというものです。

ただ、戦車は普通のトラックやコンテナ輸送用のトレーラーでは運べません。74式戦車は重量が38tあり、なおかつ車幅も3.18mあるため、専用の運搬車が用いられます。それが「特大型セミトレーラけん引車」ならびに「73式特大型セミトレーラ」です。

なぜ名前が2つもあるのか、それは運搬車の構造に由来します。前者が牽引車、すなわちトレーラーヘッドの方を指し、後者が荷台車両、すなわちトレーラーの方になるからです。一般的には、牽引車と荷台車両がセットで認識されますが、防衛省陸上自衛隊では別々の装備として採用・調達されています。

実はこの車両、日本初の国産の戦車運搬用トレーラーです。74式戦車より1世代前の国産戦車である61式戦車までは鉄道輸送を想定していました。しかし、それを前提に開発すると鉄路の幅、貨車の幅に制約されることから、74式戦車は、設計時に鉄道輸送から車両輸送メインへとチェンジしました。それに伴って誕生したのが、「特大型セミトレーラけん引車」ならびに「73式特大型セミトレーラ」でした。

ただ、一般的には牽引車含めて「73式特大型セミトレーラ」と呼ばれることが多いほか、現場部隊などでは「戦車用トレーラー」もしくは単に「トレーラー」と言われることが多いようです。

夜間輸送とはいっても日中もやることあり

守山駐屯地から今津駐屯地への戦車輸送は「第10師団創立61周年・守山駐屯地創設64周年記念行事」が開催された日の翌日、10月16日(月)に行われました。

運行スケジュールは守山駐屯地を21時頃に出発し、今津駐屯地には24時頃に到着するというもの。なぜ深夜かというと、車体が大きく重いため、道路法や道路交通法などで規定されている「特殊な車両」に該当するからです。

「特殊な車両」は21時から翌朝6時までの9時間しか公道を走ることができないため、74式戦車を乗せたトレーラーは21時に守山駐屯地を出発することになっていました。

だからといって、夜まで何もしないわけでもありません。日中は戦車の積み込みや燃料補給、車両点検などを行います。また夜間任務に備えて体を休めるのも任務のひとつだといいます。なお、トレーラーに乗せる際、戦車を動かすのは、第10戦車大隊の隊員です。第10後方支援連隊の隊員では、戦車を動かせないため、その部分でも連携が必要になります。

駐屯地内の道路に停まったトレーラーに74式戦車ゆっくりと近づいていきます。このとき74式戦車は砲塔を後ろに回し、105mm戦車砲は車体後部に装備する「砲身固定具」というものでしっかりロックされていました。

第10戦車大隊の隊員がハンドサイン74式戦車を最適な位置へと導きます。やり直しなどせず、一発でトレーラーに載せていましたが、固縛が終わったあとで近づいて見てみると左右とも指3本程度の余裕しかありませんでした。

それもそのはず、74式戦車の車幅は前述したように3.18m、対してトレーラーの幅は3.29mです。その差は0.11m、すなわち単純計算で左右5.5cmずつしか余裕がないことになります。そこをリセットなしで、短時間で終わらしてしまうところに高い技量とチームワークを感じました。

ちなみに、74式戦車は油気圧懸架によって車体の高さを変えることができます。そのため、トレーラーに積載する時は、車体をいちばん高い状態にし、一方で積み込みが終わると、最も低い姿勢にしていました。

また、トレーラーの中央部には矢印表記が2つありますが、これにはそれぞれ「最大積載時重心位置」「戦車中央転輪位置」と記されています。ここに74式戦車の第3転輪を合わせるのもポイントとのことでした。

総重量60tだとスピード出すのもひと苦労

日がとっぷりと暮れた夜、20時過ぎから隊員たちは公道走行に向けて準備を開始します。

公道を走る場合は、トレーラーの前後に誘導車を付けなければなりません。前方誘導車は前方の交通状況の把握などを行い、後方誘導車は後続車両にトレーラーの存在を知らせる役目を担っています。

そのため、戦車輸送は基本的に3台1セットで行われます。また各車とも大型トレーラーが走っていることを周囲に認知させ、接触事故などを防ぐための緑色回転灯を取り付けており、さらに前後の誘導車には「トレーラー誘導中」「前方低速車」といった幕が掲示されていました。

21時過ぎ、守山駐屯地の門を出た車列は、名古屋市内を走行し、春日井ICで東名高速道路に入ると、そこから名神高速道路北陸自動車道へと進んでいきます。当初の予定では途中のパーキングエリアでトイレ休憩とドライバーの交代を予定していましたが、パーキングエリアのトラックが想定以上に多かったため休憩は取り止め。そのままひたすら今津駐屯地を目指すこととなりました。

なお、トレーラーは最高速度が60km/hに制限されており、このスピードは高速道路でも同様です。ただ、74式戦車を載せた状態だと、車両総重量は約60tにも達するため、隊員いわく、上り坂などでは40km/h程度まで下がってしまうこともあるとのことでした。

滋賀県木之本ICで下道に降りると、名古屋春日井ICとは打って変わって街灯すら少ない状況となりました。場所によってはヘッドライトしか明りがない中、74式戦車を乗せた車列は進んでいきます。

街灯がなく、対向車もいないような場所では、緑色の回転灯だけが目立っています。そして今津駐屯地へと続く坂道を登りきると、明りに照らされた駐屯地の正門が見えてきました。

今津到着でも、すぐ守山へとんぼ返り なぜ?

3時間強かけて、今津駐屯地には24時過ぎに到着。ただ、隊員たちの仕事は続きます。ここで74式戦車を降ろしたら、再び守山駐屯地に戻らなければなりません。なぜなら、今回輸送したのは1両だけ。守山駐屯地には4両を運び込んでいたからです。

73式特大型セミトレーラは車幅が大きいため、空荷の状態でも夜しか走れません。ということは、朝6時までに今度は逆のルートで守山駐屯地を目指す必要があるのです。なお、守山駐屯地へと運んだ74式戦車4両のうち2両は、次に記念行事が行われる豊川駐屯地へと移すのだとか。守山駐屯地と豊川駐屯地は約70km離れています。

加えて、彼らが所属する第10後方支援連隊輸送隊は、冒頭に記したように守山駐屯地ではなく、少し離れた春日井駐屯地になります。ゆえに、戦車輸送を終えても、春日井駐屯地に戻るまでは任務完遂とはならないのです。

そのため、今回の守山~今津間の運搬が終わっただけでは、まだまだ肩の荷が下りたとは言えないでしょう。

今後、第10師団から74式戦車がなくなるのに伴い、第10後方支援連隊も改編される予定です。これは、新しく配備される16式機動戦闘車ならびに新編される第10偵察戦闘大隊(仮称)に合わせたものですが、逆にいうとその日まで第10後方支援連隊輸送隊は戦車輸送の任に就き続けるということです。

改編まで残り5か月。もしかしたら、その間に思いがけないところで第10後方支援連隊の戦車輸送に巡り合うかもしれません。

74式戦車を載せた73式特大型セミトレーラ。けん引車とトレーラ、74式戦車を合わせた車両総重量は約60tにも達する(乗りものニュース編集部撮影)。