太平洋戦争の終結後、国内に残された多くの日本戦車は連合軍の命令で廃棄されました。しかし意外にも相当な数の車体が戦後復興用として建機や重機などに改造され、「更生戦車」の名で使われました。

足元はまさに戦車! なブルドーザー

先日、筆者(吉川和篤:軍事ライター/イラストレーター)は、日本の戦車や軍用車両を研究する識者の方々と共に、静岡県御殿場市で開かれたある車両の検証会に参加しました。

これは旧日本軍が、日中戦争太平洋戦争で使用した九五式軽戦車ブルドーザーに改造したもので、最近になって北海道で見つかり、同市で活動を行うNPO法人「防衛技術博物館を創る会」が購入したものです。建設機械に転用されても、履帯や転輪など足回りは戦車そのもので、かつて戦場を走り回っていた頃を彷佛とさせる動き方に目を奪われました。

日本は1945(昭和20)年8月に第2次世界大戦太平洋戦争)を終えたのち、軍備の放棄をうたって旧陸海軍を廃止し、兵器類の廃棄を進めます。その流れは戦車を含む戦闘車両も同様でしたが、終戦に伴って日本の全ての戦車が廃棄された訳ではなく、一部の車体は砲塔や武装を取り去ってアームと排土板(ドーザー)を取り付け、建設機械に転用されており、そういった車体は「更正戦車」などと呼ばれていました。

今回見学した九五式軽戦車の改造ブルドーザーは、まさにその更正戦車の流れですが、調べてみるとやや数奇な運命をさらに辿っていました。まず更正戦車への改造後に北海道の営林署で使用されますが、その時は運転席に屋根はなく剥き出しで車内からワイヤーに繋がれた排土板を操作していました(第1形態)。

エンジンは一新! 変速機はマシマシで

しかし、終戦から10年ほどが経過した1955(昭和30)年頃には老朽化が進んだほか、さらに高性能な民間のブルドーザーが出回り始めたためにお役御免となり、排土板を外して製材所で牽引車として使用されます。この時期に当初の三菱製空冷ディーゼルエンジンも終わりが来たからか、いすゞのトラックやバス用DA120水冷ディーゼルエンジンに載せ換えて、ついでに変速機(トランスミッション)もトラック用を追加してダブルミッションとなります(第2形態)。

これは元々、最高速度が40km/hも出る九五式軽戦車だと、トルク重視の牽引車としては扱い難かったためで、前出したNPO法人のトップである小林雅彦代表の言葉を借りると、「F1レーシングカーをおばちゃんの買い物グルマにする」ほどの無理があったとか。しかしこの改造により、用途に対してずっと使いやすくなります。

そして1975(昭和50)年頃、除雪や整地の用途でコマツ製の油圧式ドーザー(排土板)が再び前部に取付けられました。駆動方法は、エンジンルームの左後方に油圧用のオイルタンクが置かれ、後方中央でエンジンシャフトに繋がって駆動するポンプから車体左右のパイプを伝わってオイルが血液の様に循環する方式で、さらに運転席に窓やワイパーが付いたキャビンが設けられます(第3形態)。

この改造でようやく現在見られる形となりましたが、意外なほど、まとまったデザインに落ち着きました。

今回見つかった九五式軽戦車から改造を重ねて北海道で生き残ったブルドーザーは、こうした歴史の荒波をくぐり抜けて唯一存在が確認できる更正戦車であり、日本戦車としてだけではなく戦後復興や建設機械の変遷を示す貴重な証人と言えるでしょう。

現在、同車を保有するNPO法人「防衛技術博物館を創る会」では、ゆくゆくは1975(昭和50)年頃の第3形態のまま補修作業を行い、御殿場市に建設予定の博物館に先日里帰りした別の九五式軽戦車と共に展示する予定だとか。

この保存作業に向け、新たなクラウドファウンディングも予定されているようですが、月々500円で始められるマンスリーサポーターも随時募集されているので、ぜひ興味のある方は参加してみてください。皆さんの心付けが、現代史の「語り部」を後世に残す貴重な助力となることは間違いないでしょう。

北海道で発見されて静岡県御殿場市に運ばれた、九五式軽戦車を改造したブルドーザー。外部はかなり腐食して錆びもあるが、バッテリーを繋ぐとエンジンも掛かり油圧式ドーザーも可動した(吉川和篤撮影)。