いかにもありそうな名前でも、実在しなかった旧日本海軍の艦船があります。空母「リュウカク」、駆逐艦イワナミ」などですが、これらはアメリカ軍が作り上げてしまったもの。なぜ、こんなことになったのでしょうか。

思い込みから架空の軍艦が爆誕?

「リュウカク」、「ヒラヌマ」、「イワナミ」……。いずれもアメリカ海軍が沈めたとされる旧日本海軍の艦船です。艦種はそれぞれ航空母艦、戦艦、駆逐艦とされますが、これら艦名を持つ船は、日本において建造されたことはありません。なぜ、そのようなことが起きてしまったのでしょうか。

これら艦名が登場するのは太平洋戦争中のこと。アメリカ軍による戦果となっていますが、実際は誤認や戦果誇張など、情報が錯綜するなかで作り上げられてしまった、いわば“架空の軍艦”といえるものです。どういう経緯で生まれたのか、順に見ていきます。

●空母「リュウカク」

1942(昭和17)年5月7日、南太平洋パプアニューギニア沖で戦われた珊瑚海海戦において、アメリカ軍の攻撃によって沈んだと一時記録されました。この海戦で日本側は、空母「祥鳳」を喪失していますが、同艦が「リュウカク」として誤認されたようです。

発端は海戦直前の1942(昭和17)年4月、アメリカ軍が旧日本海軍の暗号文を解読するなかで、未知の空母の存在を発見したことでした。

実はこれが「祥鳳」でしたが、太平洋戦争前の1941(昭和16)年8月と9月に、翔鶴型空母の「翔鶴」と「瑞鶴」が就役していたことから、アメリカは未知の新空母も翔鶴型の1艦ではないかと判断します。そこから「リュウカク」と名付けたようです。

「祥鳳」は、確かに開戦直後の1942(昭和17)年1月に就役した日本の新鋭空母でしたが、新造ではなく、既存の潜水母艦「剣崎」を改装した小型空母でした。

しかも珊瑚海海戦で、旧日本海軍は翔鶴型空母2隻とともに「祥鳳」も用いました。アメリカ側は、これを翔鶴型空母3隻の一括運用に捉えたのでしょう。結果、同型空母が沈んだのだから、末尾は「カク」に違いないと推察。こうして「祥鳳」は「リュウカク」と誤認されるに至ったのです。

ただし、のちにアメリカ軍は「リュウカク」を「祥鳳」と訂正。その際、「祥鳳」を「リュウカク」として誤認していたと認めています。

戦艦「ヒラヌマ」とは

太平洋戦争が始まってすぐの1941(昭和16)年12月11日フィリピン沖で沈没したとされたのが戦艦「ヒラヌマ」です。最初に「ヒラヌマ」なる艦名を報じたのは、12月12日付のアメリカの新聞『The Mercury』でした。

しかし、当時フィリピン周辺海域には「ヒラヌマ」なる名称の船はおろか、日本戦艦もいませんでした。フィリピン北部のルソン島沖合に、排水量1万3000トンクラスの重巡洋艦「足柄」と「摩耶」がいましたが、これらは戦艦ではありません。

なぜ「ヒラヌマ」が誕生したのか――そこには緒戦でフィリピン旧日本軍の猛攻を受けたことと関係していました。フィリピンは当時、アメリカの植民地アメリカ軍が駐留していました。

ゆえに旧日本軍は、真珠湾攻撃に連動してフィリピンを攻撃します。これをアメリカ側が迎え撃つなかで現地の軍司令部は本国へ、戦艦を含む日本艦隊に大きな損害を与えたと打電します。この戦果が誇張されたことで、いつしか戦艦「ヒラヌマ」を撃沈したとされました。もっとも、漢字を英語へ訳すにあたり、発音を間違えることもしばしばあったようです。

駆逐艦イワナミ」

1944(昭和19)年12月4日フィリピンの西方沖を航行していた旧日本海軍の輸送船団が、アメリカ軍潜水艦の雷撃を受けます。突然の攻撃によって、駆逐艦「岸波」のほかタンカーや貨物船など計5隻が撃沈されました。

ところが後日、アメリカ軍の戦果に駆逐艦イワナミ」が追加され、沈没艦は6隻とされます。当然、「イワナミ」なる船は実在しません。これにも、アメリカ側の戦果誇張の意図が見え隠れしていました。

船団を攻撃した潜水艦は「フラッシャー」といい、前年の1943(昭和18)年9月に就役しています。同艦は第2次世界大戦において、排水量ベースで総計10万トンを超える敵艦を撃沈した唯一の潜水艦ですが、その戦果をわずか2年ほどで挙げたことになります。ただ、この記録達成には、「イワナミ」は欠かせません。

イワナミ」を撃沈しなければ、総トン数は10万に達しないからです。そこから、実は記録を達成するために、わざと架空の「イワナミ」を戦果として含め、数字を上方修正したとされています。

架空の軍艦はほかにも存在しますが、誤認と故意では、その意味合いも違ってきそうです。

当時の絵葉書になった竣工時の重巡洋艦「摩耶」。アメリカ軍は戦艦「ヒラヌマ」を撃沈したとするが、付近にいたのは「摩耶」だった。