苛烈な受験戦争、バブル崩壊、就職氷河期などを乗り越えてきた「団塊ジュニア世代」。不遇の世代が老後を意識する年齢に差し掛かってきました。そのようななか、今後は親の介護や非正規雇用など、これまで団塊ジュニア世代が抱えてきた問題がますます深刻化していくと予想されています。本記事では、長岡FP事務所代表の長岡理知FPが、Sさんの事例とともに団塊ジュニア世代特有の老後の問題点について、解説します。

「不遇の団塊ジュニア世代」…老後に迫る危機

団塊ジュニア世代という言葉を聞いたことがあるでしょうか。1971年から1974年に生まれた世代のことを指す言葉です。1947から1949年に生まれた世代を団塊世代(ベビーブーマー)と呼び、その子供の世代にあたります。

団塊世代の3年間の出生数は約806万人。それに対して団塊ジュニア世代の4年間の出生数は約816万人と、人口の年代分布のなかで大きな山を2つ作っています。団塊世代はすでに70歳代で人口が減少を始めているため、団塊ジュニア世代がもっともボリュームの多い世代になっています。

かわいそう…希望溢れる若者時代に不遇の境遇「受験戦争」「就職氷河期」「非正規雇用

この世代を象徴する単語は次のようなものでしょう。受験戦争、競争社会、いじめ、就職氷河期、フリーター、非正規雇用高学歴ワーキングプア、転職……。どれも現代社会に繋がっていく言葉ばかりです。

受験戦争はまさに戦争の様相を呈していました。文部科学省「学校基本調査」によると、1990年の大学受験における現役での不合格率は48.3%に上ります。2021年は8.7%であったことから、いかに大学受験が狭き門だったかがわかります。

団塊ジュニアにとっては「同級生に浪人生が沢山いる」というのはごく普通の光景でした。当時のアニメには「近所にいるノイローゼ気味の多浪生」というキャラクターがよく出てきたほど、大学受験のために浪人するのはごく当たり前に感じていた世代です。

また就職氷河期についてはご存じのとおりです。1991年バブル景気が崩壊し企業の新卒採用が一気に冷え込んでしまった現象です。団塊ジュニア世代は大学を卒業した1994年1997年の大卒求人倍率は1倍半ば。1991年に2.86倍とピークを記録し、最低となった1996年の1.08倍まで急速な悪化を辿りました。

特に「大手企業」「首都圏」「文系」「金融・保険、情報・サービス」は狭き門。競争を勝ち抜いて進学校に合格し、さらに競争をして大学に入ったにも関わらず、就活は全滅だった学生も少なくありません。就活に失敗した学生は生まれ故郷に戻って中小企業に就職したり、フリーターや派遣労働など非正規雇用に甘んじたりしました。

特に非正規雇用の場合、正規雇用への雇用転換を希望したものの果たせないまま50代へと突入してしまったケースも目立ちます。厚生労働省「賃金構造基本統計調査」(2021年)によると、50~54歳男性における非正規雇用者の賃金平均は月あたり24万6,900円。正規雇用者の54.8%という厳しい状態です。

いいことなんて1つもないまま…親の老後、自分の老後に直面

「不遇の世代」として語られることが多い団塊ジュニア世代ですが、この不遇が社会全体におよぼすマイナスの影響が指摘されています。現在50歳代の団塊ジュニア世代は、親が70歳代~80代となっているため、親の介護をする人口が激増しているのです。

その結果、仕事と介護の両立が難しくなり生活が困窮する割合が増えていくと思われます。賃金が上昇しない現状では雇用形態を問わず経済的な不安がのしかかってきます。親の介護が終わるころには自身が60歳代となり高齢者に。高齢者になって貧困に陥るケースが増えていくと思われます。

団塊ジュニア世代が65歳を迎えるのは2040年ごろ。この最も人口ボリュームが多い世代の老後を国は支えていけるでしょうか。医療費や公的年金という社会保障費の増大は避けられません。労働力人口も減っていくことから現役世代の負担はさらに増加します。このことによって年金の支給開始年齢が引き上げられる可能性は十分に考えられるでしょう。

団塊ジュニア世代のなかで、進学や就職に成功し順調なキャリアを築いてきた「勝ち組」の人にも悪影響がおよびます。定年退職後の人生設計を考えてみたことがあるでしょうか。ここからはSさんのある事例を紹介しながら、団塊ジュニア世代特有の老後の問題点を考えていきたいと思います。

大企業に就職、20代で年収1,000万円超となったSさん

<事例>

Sさん 52歳(1971年生まれ)

・大手企業勤務 課長職を役職定年

・年収 850万円

・妻とは昨年離婚

・子供1人(大学を卒業)

・貯蓄額 1,200万円

Sさんは大手企業に勤務する52歳。昭和46年1971年)生まれです。団塊ジュニア世代であったため、通学した学校は小学校から高校までマンモス校。北陸地方の田舎町にもかかわらず、小学校では学年で9クラスまであったほどです。

地方で優秀な公立高校を卒業し、1990年4月に都内の有名私立大学に現役で合格。当時はバブル景気の真っ只中で、同級生のなかには親に買ってもらった新車のBMWで通学する学生や、ブランドバックで通学する女子学生もめずらしくありませんでした。田舎町から上京してきたSさんには大きなカルチャーショックでした。Sさんの父親は町役場に勤務する地方公務員で、バブル景気とは無縁で高校時代まで過ごしたのです。

親のお金で派手に暮らす同級生を見ながら、Sさんは大学1年生の後半から古着の転売をする商売を始めました。全国の米軍基地がある街をめぐり古着をタダ同然で仕入れ、安く借りた倉庫で売るというものでしたが、学生によく売れました。

次第に商売の規模が大きくなり、海外に出向いて仕入れるほどに。年収は当時50歳代だった父親の年収をはるかに超えていました。稼いだお金は欲しかった高級腕時計や女性との旅行に散財。とにかく楽しかった記憶しかありません。

就職活動の年となりましたが、商売で広がった企業の方々との人脈があり、まったく苦労せず大手企業から内定をもらいました。受けた会社は1社のみ。面接のみで内定が出ました。スーツを着て就活し、何社も落ちていた学生たちの話をよく聞きましたが、まるで別世界のように感じました。

拡大させた商売は共同創業した友人に渡し、Sさんは就職することに。新卒社員でありながらすでに社会人としての立ち振る舞いを覚えていたため、同期のなかでは早くに昇進していきました。

26歳のときに交際していた会社員の女性と結婚。父親と長男が医師をしているという、同じ歳の女性でした。長男が生まれ、家も住宅ローンで購入。年収は20代のうちに1,000万円を超え、バブル崩壊後にもかかわらず安定した生活ができていました。

しかし会社員生活は決して順調ではなく、幾度か自身の営業上のコンプライアンス違反が発覚し、降格や地方への転勤を経験しました。それでも持ち前の器用さがあり30代後半で課長職になるほどでした。

順調だったはずの人生にほころびが…

家庭生活はというと、Sさんは仕事中心の生活を送るあまりに妻のことを気遣う余裕がありませんでした。子供の運動会も見に行かなかったほどです。子供が中学を卒業するまでのあいだ、どのように成長したのかすら覚えていません。中学の成績がどうだったかすらわからないのです。そのせいもあって、妻とは次第に会話もなく、冷めた状態に。家族で食卓を囲むこともなくなってしまいました。

休みの日があってもSさんは家に居づらく、同僚とのゴルフに出かけるような状態でした。長男は高校を卒業後、現役で都内の私立大医学部に合格。学費がいくらかかったのか父親であるSさんは知りません。妻の実家が学費を出してくれたと長男から聞きましたが、妻からはそれについて教えられたことはありませんでした。

52歳で離婚を切り出され、妻にはすでに新しいパートナーが…

長男は昨年無事、国家試験に合格し卒業。研修医として勤務をはじめました。それと同時に、妻からは離婚したい旨をいわれてしまいます。衝撃的なことに、妻からすでに交際している男性がいることを告げられました。それは不貞行為なのでは、とSさんは思いましたが、これまでの夫婦関係を考えればやむを得ません。自尊心が傷つくことを恐れ、その男性についてなにも質問しないまま、Sさんは離婚に応じました。

財産分与として、Sさん名義の預貯金3,000万円から半分を妻に渡すことになりました。妻の預貯金はなぜか0円。長男の学費に使ったということですが、本当のところはわかりませんし、裁判所に申し立てて調査委託をするつもりもありません。お金に困らない妻からの、自分への当てつけなのだろうと思い、我慢しました。

離婚と同時に役職定年…年収150万円ダウン

離婚と同時にSさんは52歳で課長職を役職定年。専任課長という名ばかりの呼称をもらいましたが、年収は850万円に下がり、部下もいません。業務内容は変わらず、これまでと同じことを定年退職まで繰り返すだけです。

課長時代、決して部下から好かれる上司ではありませんでした。団塊ジュニア世代の特徴なのか、学生時代に共感性を育てる教育を受けず、部下の感情に寄り添うことができなかったのです。理屈と正論で詰めて論破する場面がよくあり、部下たちからは「相談相手にはならない」といわれていることが部長を通して耳に入ったことがあります。

「営業成績が上手く上がらない」という部下の相談に対して、「愚痴なら俺にいうな、相談なら具体的にしろ」などと強くいってしまったことも一度や二度ではありません。競争社会を生き残ってきたSさんはメンタルが強いのです。

次第に不安が募るSさん

団塊ジュニア世代の男性に多いように、冷徹な個人主義者でもあり部下に安全な場を提供するなど考えたこともありません。この2年で退職代行業者(弁護士)を使って退職手続きをした部下が3人も出たことがあります。そのたびに大きく自信を失っていきました。

そんなSさんは職場でも居場所がなくなりつつあるのを感じています。もう60歳で定年退職するまで漫然と流すだけと考えるとモチベーションが下がってしまいます。いっそのこと転職したほうがいいのではと思うのですが、52歳では年収が半分以下になってしまいます。

60歳で定年退職をしたら自分はなにをするのだろう、どう過ごしていくのだろうと考えることが増えました。年金不安のネット記事を読むたびに、お金は大丈夫だろうかと不安になるのです。

父の死で発覚…実家が抱える「予想外の問題」

そんななか、今年、父親が79歳で亡くなりました。北陸地方の実家に一週間戻って過ごしたところ厳しい現実を突きつけられることになりました。専業主婦だった母親は公的年金だけの生活になるのですが、父親には遺産がありませんでした。公務員の退職金の多くをネットワークビジネスに騙し取られ、残りの預貯金も生活費で目減りしています。

共済年金に加入していたのでそれなりに年金額はあるのではと思ったのですが、問題はSさんの弟にありました。Sさんの弟は1973年生まれの49歳。Sさんと同じように優秀な成績で地元の高校に入学したものの、大学受験に失敗。2年浪人しましたが希望の大学には入れず、就職することに。

しかしバブル経済が弾けた時期と重なりました。地元の企業に就職しては低い賃金やいじめに辟易し転職を繰り返しているうちに、重いうつ病を発症してしまいました。ここ数年は入退院を繰り返し無職の状態です。未婚で、重度肥満のため糖尿病も罹患しています。消費者金融からの多額の借金もあるようです。実家でひきこもりとなっている、いわゆる「子供部屋おじさん」です。

父親はこの弟を支えてきて老後資金を目減りさせたのだろうと思います。これから母親が支えていくのは困難であるため、Sさんが支えていくことになるという現実を知りました。

また、75歳の母親は軽度の認知症があり、今後介護が必要になっていくのは明らかです。実家の台所はひどく散らかって汚れている状態を見てショックを受けました。子供のころの母親はきれい好きで神経質なほど整理整頓をする人だったのです。

母親の介護に一体いくらお金がかかるのか検討もつきません。弟が母親のサポートをできるとは思えません。Sさんが定期的に実家に戻ってくるしかなさそうです。北陸新幹線を利用するため交通費は莫大になっていくでしょう。

「勝ち組」のはずが、定年後に老後破綻する可能性も…

Sさんは自分の資産状況と今後のライフプランを考えると、やはり問題が多すぎると怖くなってしまいました。現在の貯蓄は1,200万円。退職金の予定額は2,500万円。あと8年は働いて貯蓄を作ることができます。

しかし、住宅ローンは退職時に1,500万円残る計算です。離婚していなかったら妻と力を合わせて60歳前に繰り上げ返済をする予定でした。この家を退職時に売却したとしてもおそらく残債を清算できる程度の値段でしょう。全体的にリフォームが必要になっていてさらなる出費も考えられます。

ファイナンシャルプランナーに相談してみたところ、今後は苦しい生活になるのは間違いないようでした。母親の介護費用、弟への支援、住宅ローンの残債の清算、年金支給開始年齢までの生活費、実家のリフォーム固定資産税・火災保険、自宅のリフォームなどを考慮していくと、70歳前に完全に破綻することがわかりました。

ファイナンシャルプランナーは正論をいうだけです。

「生活費を節約し、つみたてNISAなどを始め、副業などもはじめて収入を増やしていくしかありません。あとは自宅のリースバックで老後の生活費をまかなうことも可能かもしれませんが、老後に家賃が続くのはリスクが高まります。それにSさん自身が介護が必要になったときに介護資金がなく大変なことになります。60歳で引退はムリでしょう。嘱託社員として継続して働くか、定年退職後にも就職をするのをおすすめします」

とんでもなく絶望的な未来だとSさんは思いました。団塊ジュニア世代の同世代と比べて自分は「勝ち組」だと思っていました。お金に困ったことは学生時代から一度もありません。離婚しなかったら、預貯金も同世代の平均以上だったはずです。退職金もこのご時世では決して少ないとはいえず平均的であるはずです。

若いころから高級腕時計を何本も買い、高級ホテルに宿泊して旅行することが好きだったので、それがダメだったのか。生活スタイルがバブルのままだったのか。離婚したのが運の尽きだったのか。

父が定年退職後に浮ついた夢を見たせいなのか。妻の不貞行為のせいなのか。もし公的年金の支給開始年齢が70歳になったらどうなるのか。老いてもアルバイトをするしかなくなるのか……。「どこで間違えたのだろう……」とSさんは暗澹たる気持ちになりました。

以前、若い部下に「課長はバブル世代だから私たちのことは理解できないですよ」とからかわれたことがありました。実際はバブル世代より下ではあるものの、確かに部下よりは恵まれた生活をしてきたという自覚はあります。しかし、52歳になってこの状態。若い世代が考えているほど楽ではないのです。

現実を見て見ぬふりをしても、あと8年間はいまの年収で生活ができます。しかし8年間などあっという間です。東日本大震災からもすでに11年経っているのです。いまからもう老後の資金対策を検討していかなければなりません。

団塊ジュニア世代の勝ち組でもこのような状況に陥ります。価値観のアップデートや生き方を変えなければ、お金のみならず家族や親きょうだい、友人などとの人間関係も壊しかねないのが団塊ジュニア世代ともいえます。

長岡 理知

長岡FP事務所

代表FP

(※写真はイメージです/PIXTA)