17時にNHKホールで始まったライブが終わったのは、21時だった。あいだに20分の休憩を挟んだとは言え、長いライブだった。

けれど、その長さを集まったオーディエンスの誰もが求めていた。この長さがなければ表現できないライブなのだと誰もが知っていた。なぜならこれは、森山直太朗の表現者としての20年、いや、人生丸ごと40数年の道のりを辿っていく音楽絵巻なのだから。

前日の10月22日に、同じNHKホールで、昨年6月より【前篇・中篇・後篇】の3つのターム、形態に分けて行われてきた、自身史上最大の「一〇〇本ツアー」の千秋楽を迎えたばかりだった。翌日のこの日は、追加公演という位置づけで、【前篇・中篇・後篇】をすべて味わえるフルコース的なライブだった。

前篇を弾き語りで離島や全国のホールを舞台にたったひとりで、中篇をバンジョーフィドルなどのブルーグラス・スタイルでブルーノートなどのジャズクラブで、そして後篇をフルバンドで駆け抜けた「素晴らしい世界」ツアー。その足跡を振り返りながら辿っていく今回のライブ、直太朗はギターケースを携えてひとりステージに現れた。ギターケースを置き、そのままステージ前方中央に立つと、アカペラで「しまった生まれてきちまった」を歌った。産声のような無垢な歌がホールの空気を震わせ、循環させる。

不思議な気持ちになった。例えて言うなら、結末の知っている物語を最初とは違う環境で、違う角度から見ているような感覚、とでも言おうか。もちろんこれはライブだから、その瞬間瞬間が初めての連続で、既視感などはない。ただ、物語の大枠は知っている。つまり、【前篇・中篇・後篇】という大きな流れがある。その筋に沿って、どのようなライブが展開されるのか、というのは、まったくの初見とはまた一段階違う楽しみであり、より深いところでの表現への理解や慈しみが生み出されていく。

さらに、この稀有な感覚ですら、どこかで味わったことがあるということに思い至る。それは、今年1月17日にリリースした、初の弾き語りベストアルバム『原画Ⅰ』『原画II』で感じた、“あの感覚”だ。

デモ音源とアレンジされた作品との中間に位置する弾き語りでの表現が収められた2枚のアルバムで感じたのは、森山直太朗という表現者が筆を取って記す一画目、ギターを抱えて爪弾く最初の一音だ。逆から言えば、すでに作品として聴いたことのある曲の成り立ちを紐解いて、その第一歩を示すような野心的な作品でもあった。繰り返しになるが、それがデモではなく、またすでに聴いたことのある作品とは違う立ち位置にあるのが何より貴重だ。我々はすでに慣れ親しんだ楽曲の最初の素描を知ることで、逆再生的に作品との距離を想像し、彼の歩みに自らの歩を重ねることができる。

前半の弾き語り4曲に続いて「あなたがそうまで言うのなら」の2番からはスライドギターが入り、さらに「声」「生きとし生ける物へ」と曲が進んでいくうちに、フィドルチェロ、ピアノ、マンドリン、そして「糧」ではバンジョーも加わりブルーグラス・スタイルへと可変していく。

前篇から中篇へ――まるで長い旅路がつながるようだ。直太朗が「素晴らしい世界」ツアーの3つのタームを「季節」と言い表していたのが印象的だった。ひとつひとつは異なるが重なり合った部分は確実にあって、何よりそれらがつながることで全体が浮かび上がる。今回の追加公演で味わえるもっとも特徴的な醍醐味だ。

休憩を挟んで後篇のフルバンドでのライブは「花(二〇二一)」から始まった。上下に可動するスクリーンパネルなど、ステージが様変わりするなかで、地続きの感覚とここから新たに始まっていく新鮮な感覚が同居している。それはそのままアルバム『素晴らしい世界』で直太朗が描いた手触りであり、なかでもアルバムに収録されている「papa」やタイトル曲「素晴らしい世界」にそれは顕著に表れていた。

papa」を演奏する前には、実父に対する今の素直な想いを語り、曲の中でも表現された割り切れない感情が、次に披露した「夏の終わり」の二胡の音色に溶けていく。「papa」「夏の終わり」という連続だからこそ味わえる気持ちの機微はライブでしか表せないものだ。

「素晴らしい世界」はアルバム音源では基本的にはピアノを主軸とした曲で、サンプラーやシンセコーラスなどで奥行きをつくっている。いわば、『原画』に限りなく近い状態で収録されているものだ。このライブでは、まずは直太朗のピアノの弾き語りで始まり、ストリングスやギターといった楽器、グランカッサなどのリズムが入り、さらにプロジェクターで樹々や海、都市の日常の風景などが映し出されていく総合芸術として表現されていた。

Photo:井上嘉和

先ほど、弾き語りベストアルバム『原画』について触れたくだりで、構築された曲を逆再生的にその原初に立ち戻って体感できる、と言ったが、「素晴らしい世界」ではその逆を(ちょっとややこしいが)、まさにこの場で曲が蕾から一気に開花していく様子を現在進行形で愛でることができた。

ちょっとこのライブはすごいな……。あらゆる点が線になって図になる。無駄もあるかもしれないが、それでもそれは無駄ではなく何かにはなるし、わだかまっていたことの角が取れることだってあるだろう。新しいものや斬新なものだけがすごいわけじゃない。どこかで見たり聞いたりしたことも今なら素直にいいなと思える。決して楽しいことばかりではないけれど、何もかもをひとまとめにして「素晴らしい世界」が我々の前にはある。ひとりの観衆として感じたことは、隣の人も、さらにその隣の人も、ここにいる全員が同じことを思っているのではないだろうか。それが一瞬だとしても、その瞬間ほど尊いものはない。よく言われる“ライブの一体感”の中身に初めて触れたような気がした。

そう思わせるのは森山直太朗の声に宿る力に拠るところが大きい。本編最後に披露した「どこもかしこも駐車場」を聴きながらそのことを実感した。森山直太朗の声には時間が含まれる。過去、現在、未来。それは、彼の人生という範囲を超えて、ずっと昔の地中に埋まっている記憶だったり、誰もが知り得ない遥か先の光景だったりする。そのあまりにも永すぎる時間を彼は声にして我々に示す。こんなちっぽけなんだよと。今は一瞬なんだよと。だからこうして集まっていることが奇跡なんだよと。例えば孤独を感じたら、「どこもかしこも駐車場」――そんな光景を思い浮かべてみたらいい。確かに寂しそうで味気ない光景ではあるが、現代の我々にとって誰もがすぐに思い浮かべることのできる共通の記憶として機能する。そしてこう思えばよい。みんな同じような空白を抱えている。自分だけじゃないんだと。「生きてることが辛いなら」の後に、本編最後の曲として、この「どこもかしこも駐車場」を選んだ直太朗の切実な想いが滲みた。

アンコール2曲目は「さくら」。

「僕がたくさんの人たちとのつながりを持てたのもこの曲のおかげだったのかなと思っています。すべては弾き語りから始まりました。駅前とか部屋の片隅で歌ったりして、それこそマイクや照明なんかなくて。だから最後はアカペラでこの曲をやりたいと思います」

オフマイクの生声だけで1番を歌唱し、2番はピアノの伴奏とともに歌った。『原画』の際に独占インタビューという形で話を聞いたときに彼が言ったこんな言葉が思い出された。

「もちろん人それぞれなんでしょうけど、多かれ少なかれ、人生というのはゼロからゼロへ戻っていく孤を描いているのではないかなと感じますね」

一〇〇本ツアーの足跡を辿りながら人生の歩みを振り返った壮大なライブは幕を閉じた。【前篇・中篇・後篇】が季節なのだとしたら、4つ目の季節はこの日発表された両国国技館で来年3月16日(土) に行われる「素晴らしい世界」〈番外篇〉だ。自身初となるセンターステージで何を見せ、聴かせてくれるのか楽しみだ。季節は移ろい、巡る。森山直太朗の歩みは続いていく。

Text:谷岡正浩 Photo:鳥居洋介

<公演情報>
森山直太朗 20h アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』【前篇・中篇・後篇】

2023年10月23日(月) NHKホール

セットリスト

1. しまった生まれてきちまった
2. レスター
3. 愛し君へ
4. ラクダのラッパ
5. アルデバラン
6. あなたがそうまで言うのなら
7. 声
8. 生きとし生ける物へ
9. 糧
10. 君のスゴさを君は知らない
11. (インスト
12. バイバイ
13. 僕らは死んでゆくのだけれど
ー休憩ー
14. 花(二〇二一)
15. カク云ウボクモ
16. 花鳥風月
17. papa
18. 夏の終わり
19. 素晴らしい世界
20. 愛してるって言ってみな
21. すぐそこにNEW DAYS
22. よく虫が死んでいる
23. boku
24. 金色の空
25. 君は五番目の季節
26. 生きてることが辛いなら
27. どこもかしこも駐車場
EN1. フォークは僕に優しく語りかけてくる友達
EN2. さくら
EN3. 人のことなんて

<ライブ情報>
森山直太朗 20thアニバーサリーツアー『素晴らしい世界』<番外篇> in 両国国技館

2024年3月16日(土) 東京・両国国技館
開場17:00/開演18:00

【チケット代金】
アリーナ席12,000円、升席12,000円、2F指定席12,000円、2F指定席8,800円
※アリーナ席、升席は限定お土産付き、2F指定席は限定お土産選択式

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森山直太朗 20h アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』【前篇・中篇・後篇】2023年10月23日(月) NHKホール