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家業のホタテ漁を手伝うイザベルさん(撮影:夛留見彩)

お金が落ちれば、“持続可能な町”になれるはずです」

■「ホント『恋し浜』だ、ここは」女性タレントも驚いた劇的プロポーズ

小石浜漁港の最寄り駅は、三陸鉄道リアス線「恋し浜駅」。NHK連続テレビ小説あまちゃん』で名を馳せた三鉄のトンネルの合間に同駅が誕生したのは’85年。当初は「小石浜駅」だった。

しかしその後、町の人口は減少し、高齢化や後継者不足の問題に直面。そこでサラリーマンだった佐々木淳さん(52)が20代で父のホタテ漁を継ぎ、若手漁業者らと町の活性化を進めてきたのである。

淳さんが言う。

「小石浜は小さな港ですから、なんでも自分たちでアイデアを出していかなければいけません。まず’04年に養殖ホタテを『恋し浜ホタテ』としてPRを開始、’09年には三陸鉄道さんと協力して、駅名を『恋し浜駅』に改称したのです」

隣で聞いていたイザベルさんが、話を引き取る。

「駅に設置されているポストは『幸せを呼ぶ恋し浜ポスト』としてピンク色に塗装しました。駅に咲くバラも『恋し浜』と命名された品種です。恋し浜駅は“恋愛運アップ”や“縁結び”のパワースポットとして知られるようになり、いまでは観光スポットとして途中下車するお客さんが増えました」

実は、イザベルさんも恋し浜のパワーを受けた一人なのだ。2人の出会いは大震災直後。淳さんが振り返る。

「近隣に犠牲者こそ出ませんでしたが、3・11大津波で作業場は全部流され、育てていたホタテもロープも流されて全滅状態でした。小さな漁港なので国や県の援助を待っていたら、いつまでたっても順番が回ってこないと、世界規模の民間団体に支援をお願いしました」

そこで賛同してくれたのが「オールハンズ」、イザベルさんがボランティアに協力した団体だった。

「オールハンズのアジア代表理事が集めてくれた寄付は個人からのものもありましたので、私は東京のイベントに出席して、現状を説明しました。それが’12年5月。イザベルもオールハンズのスタッフとして、その説明会に参加していました」

その初対面の場では、イザベルさんにとって淳さんは「特に印象に残らなかった」という。 彼女の中で淳さんの存在がハッキリと認識されたのは’16年、アメリカのドキュメンタリーチャンネルの記者が淳さんを取材するため、イザベルさんが通訳についた際のことだった。

「その記者はろくに予習もせず、被災者の淳に失礼な質問ばかりしました。『震災から5年、被災地はもう忘れられています』とか。そんな質問に彼は嫌な顔ひとつせず、真摯に答えていました。全部をいい意味に解釈して、ポジティブに答える。それで『この人、カッコイイな』って……」

だが当時、イザベルさんは東京に職場があり、淳さんは大船渡。つかず離れずのまま時間が過ぎていった。

2人の関係が進展するようになったのはイザベルさんが大船渡に移住してから。地元のPRが仕事になったため、ひんぱんに淳さんと顔を合わせるように。

’19年夏に放送されたテレビ番組の収録にも2人は参加した。

「私が淳のお母さんといっしょにウニ剝きをする場面も撮影されました。ところが引っ越したばかりでテレビが映らなかったので、フェイスブックで《今日オンエアされるのに、テレビが入らない……》と書き込みました」

そこに《いまから俺が直しに行く!》とコメントしたのが、淳さんだったのだ。

「イザ(イザベルさんの愛称)が大船渡に来てから、テレビ収録の話なんかも、俺を選んで持ってきてくれている気がして。『もしかして俺に気があるんじゃないか?』と……いや確信はなかったけど。漁師の勘? まあね(笑)」

そこで《いまから行く!》と駆けつけた淳さんだが、結局テレビは映らずじまい。

「映らないね……」「ガッカリだね……」

そのままイザベルさん宅で、2人でお酒を飲み始め、それがじつに楽しかったのだという。

淳さんの母・たか子さん(76)が、こう振り返る。

「イザの最初の印象は、“熱心なボランティアガイジンさん”でした。それがそのうち淳がイザの新居に通うようになったのさ。親戚が『イザベルさんの家の前に、淳の車がよく停まってるぞ』って教えてくれてね……『なんだ、そうなってたのか!?』ってね」

プロポーズはサプライズだった。’20年11月に収録したNHK『ネーミングバラエティー 日本人のおなまえっ!』(放送は’21年2月)の小石浜ロケでのこと。

淳さんは、出演者のタレント・大久保佳代子(52)と赤木野々花アナ(33)に頼んで、浜で淳さんとイザベルさんが語らうシーンの撮影をセッティングしてもらった。そして……。

「いまは、ホタテ漁はイマイチで、コロナもあるけれど、これ以上悪くはならないはず。だからこれから、ずっと一緒にいてください!」

目を白黒させるイザベルさんに、「エプズモア(結婚してください)!」。

突然の求婚に彼女は「お願いします!」、日本語でハッキリと答えたのだ。そんなシーンを見届けた大久保は「追い込み漁ですね」とツッコミを入れた後、ポツリ。

「ホント『恋し浜』だ、ここは」

■「私の居場所はここだったんです! 大船渡への移住に一切後悔はない」

「淳がロープを巻き上げ、ホタテが上がってきます。こうして吊るす方法を『耳吊り』と呼んでいます」

淳さんの船「権現丸」のデッキで夫婦はホタテ養殖クルーズの様子を再現してくれた。イザベルさんが運営している「恋し浜ピクニッククルーズ」は、所要時間90分、ホタテの試食も込みで料金は4千円。

イザベルさんは、ほかにもさまざまな地域復興のための活動を手掛けてきた。

まず’19年、移住して最初に行ったのが空手道場の立ち上げ。’22年5月には日本空手協会大船渡支部として正式に認可された。

’20年にはホタテの耳吊りロープのおもり代わりに、フランス産ワインを海中で貯蔵する試みを開始。今年6月には三陸駅の駅舎を借りて、観光交流施設「ニューオキライ」をオープンした。

さらに7月、“愛のパワースポット”恋し浜駅や小石浜漁港などで、婚活イベント「恋し浜♡うみコン」を初開催。

「男女10人ずつが参加してくれて、なんと7組もカップルができました。まずは大船渡に興味を持ってもらい、次に来てもらって、好きになってもらって、将来は移住してもらえたら……。私もそうしたようにね」

その直後の今年8月、福島第一原発の処理水放出を受け、中国の税関当局は日本産海産物の輸入の全面停止を発表。全国の漁業関係者が受ける経済的打撃が心配されているがーー。

「中国による輸入停止は、日本の漁業関係者にとって大きな問題です。しかし幸いなことに、私たちの『恋し浜ホタテ』は、ほとんどすべて国内で消費されています。検査も受けていますし、間違いないものをつくっているので、これまでどおり安心して食べていただけると思います」

結婚してますますアクティブになったイザベルさんを、淳さんはいま、こんなふうに思っている。

「イザは、一人でも生きていける女性だと思う。だけどそんな強さがある人でも誰かは必要で、それが俺だと思います。それに俺をよくサポートしてくれるんです」

忙しい夫婦にとって食卓を囲むことは大事だが、「料理は99%、イザの担当」と淳さん。

「いつもフランス料理を食べています……なんて、冗談ですよ。みんなに聞かれるんで、そう答えるようにしてるんです」

そんな発言からも、けっこうな亭主関白かと思いきや、地元のカフェでの取材中、そっとイザベルさんにお冷やを差し出すのは、淳さんの役割だったりする。

イザベルさんの目が甘えているので、それを指摘すると、「甘える姿を見せるのは、この人だけ!」、堂々とノロけてみせた。

これまでの人生最大の決断は? そう聞くと居住まいを正す。

「大船渡に移住したことですね。一切後悔はない。本当に、人生でいちばんいい決断でした」

それは、なぜですか?

大都会でキャリアは積んでいたけど、それがいちばんの幸せじゃないと思っていた。 地域おこしをどこまでできるかわからないけれど、自然の中でリラックスできて食事もおいしい。心は落ち着くし、健康状態も、すごくいい」

そんな状態を母国フランスでは「ケーキの上のチェリー」と呼ぶ。

「望んでいた以上のものが、手に入るという意味の言葉です。私の居場所は、ここだったんです!」

まっすぐ見つめて話す青い目は、どこまでも透き通っていた。恋し浜の海のようにーー。

(取材・文:鈴木利宗)