自然科学では合理的に説明できない、いわゆる超常現象が起きるとされる場所は「心霊スポット」と呼ばれています。肝試しのために、心霊スポットとして有名な建物に不法に侵入する人がいますが、なぜこうした場所に引き付けられるのか、疑問に思ったことはありませんか。

 人が超常現象心霊スポットを信じることがあるのは、なぜなのでしょうか。さまざまな社会問題を論じてきた評論家の真鍋厚さんが、海外の心理学者の研究や日本人の死生観などを基に考察します。

人間の本能や死生観が影響

 8月30日に発売された実録風のホラー小説「近畿地方のある場所について」(背筋著、KADOKAWA)がネット上で話題になっています。同作は、小説投稿サイトでは異例の1400万PVを獲得したウェブ小説の書籍版です。

 この小説のあらすじは、ライターと編集者が、近畿地方のある場所にまつわる怪談を集めていくうちに、恐ろしい事実が浮かび上がってくるというものです。ドキュメンタリーのように構成する手法である「モキュメンタリー」のつくりを採用しており、作者による語りのほか、雑誌記事やネット掲示板などの抜粋を散りばめ、もっともらしさで恐怖を醸し出しています。

 近年、ホラー小説がヒットしているほか、ホラー系・心霊系ユーチューバーの存在感が増しており、怪奇・心霊モノに引き寄せられる人は意外と多いようです。なぜ私たちは、頭ではフィクションだと思っていたとしても、超常現象心霊スポットなどに何となく信ぴょう性を感じて、ゾクゾクしてしまうのでしょうか。

 このような見えない存在に対するリアリティーが生じるためには、それ相応の感受性を持っていると考えるのが理にかなっています。実は、驚くべきことに、私たちの遠い祖先が進化の途上で獲得した、ある心理的な傾向が影響していることが有力な仮説として浮上しています。

 例えば、夜に家で1人でくつろいでいたところ、寒暖差や湿度の変化などで建物の建材がきしむ音がしてギョっとしたり、風で揺れる木々をガラス越しに眺めていたら人影に見えてドキッとしたりするなどした経験がある人は、多いのではないでしょうか。

 それは、私たちには、自然現象の背後に何者かの意図を見つけようとする心性が備わっているからです。米国の心理学者のジャスティンバレットは、この心性を「行為主体を敏感に検出する装置」(Hyperactive Agency Detection Device=HADD)と呼びました(“Exploring the Natural Foundations of Religion.”Trends in Cognitive Sciences)。

 バレットはこのような仮説を立てました。人類は生存戦略として、物陰から聞こえるちょっとした音のほか、洪水や干ばつといった天候の変化など、周囲で起こるさまざまな出来事について、「何らかの知的な活動を行う存在」が関わっていると信じやすい心理的な傾向を身に付けてきたというのです。

 なぜなら、敵や捕食者などの存在が不確かな状況であったとしても、存在すると仮定して対策を講じた方が生き残るために有効だったからです。

 この心理的な傾向は、当初、敵対する部族や、大型の肉食獣などの脅威に促されて形成されたのですが、やがて太陽や海などの無生物にも適用されるようになり、「姿形はないが特定の意図を持ち、人間に働きかける」神や霊的な存在へと発展していきました。

 これが民俗宗教や民間信仰の前身につながったとみられています。世界を創造し、気ままに破壊する神々や、人に不幸をもたらし最悪の場合、死に至らしめる死霊などです。

 つまり、人や獣による襲撃をいち早く察知するために、私たちの頭脳には、わずかな変化にも過度に反応をしてしまう、早期警戒システムのようなものが備わっているのです。

 そのため、この過度な反応によって、「誰かがいる」「何者かが潜んでいる」という直感を抱きやすくなります。心霊スポットの場合、「自分たち以外に人間がいる」という可能性があらかじめ排除されていることもあり、そういった場所で物音などが生じたときに、怪奇現象や心霊現象と見なしやすいと考えられます。

「霊がいる」という感覚

 もう1つ重要なポイントは、「霊のリアリティー」に関する事柄です。現在、人の死は、「呼吸停止」「心拍停止」「瞳孔散大」という死の3徴候に基づき、医師によって確定されるのが当たり前となっていますが、近代以前は違いました。肉体から霊魂が抜け出ることが死の本質でした。

 その証拠に、日本では、明治時代の頃まで、「招魂・魂呼(しょうこん・たまよばい)」という儀礼が行なわれていました。

 それは臨終の前後に、死者の身内の男性などが、大声で死者の名前を呼ぶもので、枕元で呼ぶ場合、屋根など高い所へ上って呼ぶ場合、井戸の底などに向かって呼ぶ場合の3つのパターンがありました(井之口章次「日本の葬式」、ちくま学芸文庫)。

 今では想像がつかないかもしれませんが、当時は、死者から抜け出し、他界に向かっていく霊魂を、呪法によって呼び止められると考えられていたのです。

 このようなあの世とこの世が地続きという感覚、もっといえば「霊がいる」という感覚が「非科学的」「うさん臭い」と言われ始めたのは、人類史から見て、特に日本では今から150年ほど前です。

 バレットの仮説に加えて、多くの民俗学資料により明らかになっている「招魂・魂呼」から、私たちがいかに「霊の存在を当然」とする世界を生きてきたかが分かるのではないでしょうか。

 霊については、さらに興味深い知見があります。

 米国の心理学者のジェシー・ベリングは、「ヒトはなぜ神を信じるのか 信仰する本能」(鈴木光太郎訳、化学同人)で、世間でよく耳にする「死後の世界」は「死の恐怖」がでっち上げた妄想という俗説を否定し、死後も心が残ると考えがちになるのは、「私たちは意識がない状態を意識的に経験したことなどない」ことに求められると述べました。「死の恐怖と死後の世界に対する信念との間にはいかなる相関も見いだしていない」と。

 これはベリングをはじめとした進化心理学に取り組む複数の研究者が有力な仮説として示したものです。言い換えれば、仮に「魂は存在しない。死後は無」と信じていたとしても、自分がいなくなった後の「死後の風景」を思い描いてしまうのは、「意識がない」ことが想像しづらいからです。

 普通、「意識がない」なら「死後の風景」を見ることができません。つまり、世界中のどのような社会にもほぼ例外なく見いだせる「あの世の概念」は、死後も自分の心が存在し続けると見なす心の理論の産物なのです。

「行為主体を敏感に検出する装置」(HADD)、人の死は肉体から霊が抜けることで起こるという死生観、そもそも「意識がない」ことを考えることが困難な私たちの心の働き-これらは、人々が怪奇・心霊モノに熱中し、もっともらしく感じてしまう際の心理的な基盤になっていると推測されます。

 もちろん、これらの特性が悪用される場合もあります。霊感商法カルト宗教といったスピリチュアル・ビジネスです。

 しかし、裏を返せば、私たちの多くは軽やかにその魔の手を回避し、ホラーや謎解きを楽しむという知的遊戯に興じています。ここには、進化の過程で実装された能力で、人生でつまずいてしまわないための重要なヒントが隠されているといえるかもしれません。

評論家、著述家 真鍋厚

人が心霊スポットに引き付けられる理由は?