日産プリメーラとは? 大ヒットの初代から昆虫顔と揶揄された3代目までの歴代モデルを振り返る!

この記事をまとめると

■日産プリメーラについて詳しく解説

■Mクラスセダンとして1990年に登場

■3代目まで存在し、2005年に販売を終了した

プリメーラとは

 新たなブランドとしてデビューしたプリメーラは、欧州車の走りと優れたパッケージングを備えた新世代のMクラスセダンとして開発され、1990年に登場しました。

 ファミリーカーといえばミニバンが連想される現在とは違い、当時はセダンが主流。とくにMクラスセダントヨタ・コロナカリーナをはじめ、ホンダ・アコード、三菱ギャランなど多くのライバルがひしめく人気セグメントでした。

 その当時、日産はブルーバードと姉妹車でライバルたちに挑んでいましたが、とくにトヨタ車の後塵を拝していたのが現状。ブルーバードとともに新ブランドのプリメーラ投入で起死回生を図る狙いがあったのです。

日産プリメーラについて詳しく解説

 結果、初代はライバルたちにはない欧州テイストのスタイリングや走行性能(当初、足まわりの硬さが不評を呼びましたが……)を有していたことで大ヒット。セダンの新たな方向性を示しました。

 ただ、初代のあとを受けた2代目、さらに3代目はセダン離れが進む時代の流れもあったのか人気を得ることができず、2005年に国内での販売が終了しています。

歴代プリメーラ

初代(1990年)

 スペイン語で「一番」を意味するプリメーラが登場したのは1990年。当時、日産のMクラスセダンといえばブルーバードとその姉妹車、スタンザオースターでしたが、ラインアップを再編成。ブルーバードとともに新たな基幹車種となるべく市場に投入されました。

 初代はパッケージの良さが大きな特徴。全高が低いハードトップが人気を集めていた当時、室内の広さや広大なトランクを備えていたことで話題を集めました。

 また、まだ国産車は劣っていたと言われる欧州車に勝るとも劣らないハンドリングや操縦安定性を備えていたことも、ユーザーからの支持を集めています。

日産プリメーラについて詳しく解説

 また、エクステリアデザインも欧州車……というよりドイツ車のテイストを取り入れた機能追及型フォルムを採用。開発時にヨーロピアテイストは意識されなかったといいますが、クルマを“道具”に見立て空力性能にもこだわった結果、幅広い世代から魅力的だと思われるデザインに仕立てられました。

 初代に搭載されたパワーユニットは、プリメーラのために開発されたSR型エンジン。最高出力150馬力のSR20DE型2リッターと、同110馬力のSR18Di型1.8リッターの2種類で、1.8リッターエンジンは1992年のマイナーチェンジでインジェクターが改良(SR18DE型)され、最高出力が125馬力と向上しています。

 当初、4ドアセダンのみがラインアップされた初代でしたが、1991年に5ドアハッチバックのGTを追加。同車はイギリスサンダーランド工場で生産され輸入されました。

2代目(1995年)

 日本国内で約34万台を売り上げた初代からフルモデルチェンジ1995年に2代目が登場しました。

 全長は30mm、全高は15mm、ホイールベースを50mmとそれぞれ拡大・延長。リヤシートのヒップポイントを20mm上昇させるなど室内空間、とくに後席居住性を向上させています。

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 販売店が異なる姉妹車のプリメーラカミノを新たに設定した2代目は初代同様、ハンドリングをはじめとする走行性能にもさらに磨きをかけていたことも特徴のひとつ。スポーティセダンとして味付けを強調しました。

 2代目はフロント・リヤともにマルチリンク式サスペンションを採用。ただし、前後とも細部に改良が加えられました。また、4WD車のリヤはパラレルリンクのストラット式となります。

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 パワーユニットも先代からSR20DE型2リッター、SR18DE型1.8リッターと流用。ただ、両エンジンともローラーアームなどを採用するとともにピストンの軽量化を図ったことで、トルクアップと燃費性能の向上を実現しました。

 しかしながら、2代目は初代ほどの人気を得ることができずに1997年にマイナーチェンジを実施。フェイスリフトに加え、後ほど紹介するワゴンの追加。2リッターエンジンの変更などを行いましたが、人気を回復することができないまま2001年、3代目へバトンタッチしています。

初代プリメーラ・ワゴン/プリメーラカミノ・ワゴン(1997年)

 いまでは考えられないほどワゴンブームに湧いていた国内市場。ステーションワゴンに注目が集まっているなか登場したのがプリメーラプリメーラカミノ・ワゴンです。

 初代にはワゴンが存在せず(欧州ではアベニールプリメーラワゴンとして販売していましたが)、シリーズとして初となるワゴンは、当時の開発担当者が「社運をかけた」と述べるほど力が入れられていました。

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 新たに追加された同車は、セダンをベースに85mmオーバーハングを伸ばし、ワゴンらしいスタイリングを実現。セダンと同様の走行性能を実現するために、拡張サイズがこの数値に落ち着いたようです。

 また、プリメーラプリメーラカミノ・ワゴンで大きな注目を集めたのは、世界初となるエンジンとトランスミッションを搭載したこと。

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 新たに採用されたSR20VE型2リッター直4エンジンは3段階のバルブリフト/タイミングをコントロールするVVLを搭載。このエンジンに高出力の2リッタークラスに対応するハイパーCVTが組み合わされたのです。

 ハイパーCVTにはトルクコンバーターを組み合わせ、6速マニュアルシフトも装備。スムースで楽しい走りを味わうことができました。

徐々に人気は低迷しついには2005年に生産終了

3代目(2001年)

 成功とはいえなかった2代目のあとを受け2001年に登場した3代目の開発テーマは「明確な個性を持つこと」。初代から大きな変化を得ず失敗した2代目の不振を払拭するためのテーマだったことは、言うまでもありません。

 そのテーマを基に開発された3代目の大きな特徴はエクステリアデザイン。フロントノーズからリヤデッキまで続くモノフォルムプロポーションはとにかく個性の塊。当時、日産が進めていたリバイバルプランの影響もあったとはいえ、大胆に変更されたスタイリングは3代目の個性を引き立てています。

 デザインだけでなくプリメーラの特徴ともいえるパッケージングも進化。全車3ナンバーボディとなりました。

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 ボディが先代から全長135mm、ホイールベース80mmプラスされたことで、居住性(室内長は2145mm/2代目は1935mm)が大幅に向上しています。

 3代目のパワーユニットはSR型ではなく2種類のQR型エンジンを搭載。最上級グレードに搭載されるQR25DD型2.5リッター直4エンジンは、直噴で最高出力170馬力を発揮。2リッター直4(最高出力150馬力)のQR20DDは直噴ではないものの、実用域での使いやすさや高い燃費性能を誇ります。

 パワーユニットは2001年に2リッター直4のSR20VE型&6速MT搭載車を追加。2002年に廉価グレード用に1.8リッター直4のQG18DE型を追加しました。

 ただし、セダン人気の低迷や個性的すぎるデザイン……とくに「昆虫顔」とも比喩されたフロントマスクの影響からか販売は振るわず、2005年に生産と販売を終了(欧州では2008年まで生産)。一時代を築いたプリメーラの歴史に幕が下されています。

2代目プリメーラワゴン(2001年)

 2代目に続き3代目プリメーラにもワゴンが設定されました。先代とは異なりセダン登場とともにワゴンも登場しています。

 3代目に設定されたワゴンはセダンと比べて全長を110mm延長。スーツケース4個積載可能なラゲッジスペース(床下サブトランクも用意)を実現しました。

日産プリメーラについて詳しく解説

 パワーユニットセダン同様、QR25DD型2.5リッター直4とデビュー当時はQR20DD型2リッター直4エンジンをラインアップ。デビュー当時はセダンにはない4WD仕様も用意(セダンも後に設定)されていましたが、2リッターエンジンのみが搭載されています。

 ワゴンのリヤシートは7:3分割可倒式に後席リクライニング機構(11段階調整可能)を装備。セダンにはない機構が追加されたことで、使い勝手がさらに向上しました。

日産プリメーラについて詳しく解説

 ただセダン同様、ワゴンの人気も低迷。ステーションワゴンブームも収束したことなどもあり、セダンとともに2005年に生産と販売が終了しています。

まとめ

 一世を風靡したプリメーラ。国産セダンに新たな価値観を取り入れたことで人気を集めましたが、世の中のセダン離れなどによりブランドが消滅してしまいました。

 ただ、とくに初代は当時のライバル車と比べて走行性能やパッケージが優れていたことで、国産車の価値を高めたのは確かでしょう。改めて振り返ると、プリメーラというクルマの偉大さがよくわかりました。

日産プリメーラについて詳しく解説

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