川西市川西市黒川里山センター(旧市立黒川小学校)で使用されていた希少な「銀線ガラス」の一部を大阪府板硝子商工業協同組合に寄贈する。同ガラスは太平洋戦争終戦後にGHQ(連合国最高司令官総司令部)の指示で製造され、全国の小学校に補修専用として支給された。寄贈するガラスは同組合で保管し、展示等を行っていく。

 日本は太平洋戦争終戦後、板ガラス不足により、個人住宅や汽車、学校の窓ガラスが破損した状態であった。当時は破損したガラスの代わりに古板などで修繕した。

 

 小学校の窓ガラスが割れたままの実情を憂えたGHQ(連合国最高司令官総司令部)は、旭硝子(現AGC)に校舎の補修専用の窓ガラスの製造を命令した。小学校以外で使用しないことを条件に重油の特別配給も実施した。普通板ガラスと明確な区別をするため、表面に2インチ幅の線を施したガラス(通称、銀線ガラス)を製造した。本格的な製造時期は昭和23年3月から翌年24年11月までの1年8ヶ月あまりで約33万箱を製造し、全国小学校の校舎に支給された。

 越田謙治郎川西市長は、「戦後、建造物が木造から鉄筋コンクリートに移行する中、旧黒川小学校は地元に大切にされてきたことから現在まで残すことができた。この銀線ガラスは黒川の歴史の一部であるため、今後も窓ガラスとして使用しながら残していきたい」などと話した。

 寄贈先の大阪府板硝子商工業協同組合は、「希少な銀線ガラスを寄贈いただき、とても嬉しく感じている。いただいた銀線ガラスは保管するとともに、機会があれば展示するなどして多くの人々に銀線ガラスのことを知ってほしい」などと話した。

配信元企業:川西市

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