2023YBCルヴァンカップは福岡の初優勝で幕を閉じた。立ち上がりから攻勢に出た福岡は、FW紺野和也が得意のドリブルで仕掛けて浦和DF陣にプレッシャーをかけ、前半5分に右サイドを突破してのクロスでMF前寛之の先制点をアシスト。さらに前半終了間際には左サイドからのクロスでDF宮大樹の追加点をお膳立てしてチームの勝利に貢献した。

紺野左利きながら右サイドからの仕掛けを得意とし、カットインだけでなくタテへも突破して右足で正確なクロスを供給できる。自身が目標に掲げるリオネル・メッシプレー法政大学在学中から磨いてきた。そんな紺野が負傷で退いてからは、浦和の反撃もあったとはいえ福岡は攻め手を失っていた。決勝戦のMVPは先制点の前が獲得したが、個人的には紺野だと思っていた。

福岡ルヴァンカップ初優勝により、九州勢の戴冠は08年の大分以来2チーム目となった(当時はナビスコカップ)。この別名リーグカップ、意外と初タイトルとして獲得したチームも多い。古くは99年の柏に始まり、03年の浦和、04年のFC東京、05年の千葉、17年のC大阪などだ。

グループステージはリーグ戦と並行して開催されるため、ターンオーバーなどでメンバーが一定しないものの、若手選手や控えだった選手が思わぬ活躍をしたりする。代表などで不在だった主力が決勝戦で今大会初出場してタイトル獲得に貢献したこともあった。来年からはJ1だけでなく、J2とJ3も含めたトーナメント戦になるため、さらなる波乱が待っているかもしれない。

話を福岡に戻すと、創部が1982年と新聞などでは紹介されていた。これは前身である中央防犯ACM藤枝サッカークラブの創部年を指している。“サッカーどころ"静岡であり、“サッカー御三家"でもあったが、それは藤枝東や浜名、清水東といった(中学と)高校サッカーにとどまっていた。なぜなら高校卒業後は東京の大学に進学したり、JSL(日本サッカーリーグ)の企業に就職したりしていたからだ。

そこで受け皿として誕生したのが本田技研サッカー部であり、ヤマハサッカー部(現ジュビロ磐田)だった。ヤマハは元日本代表でメキシコ五輪銅メダリストでもあり、三菱を引退して実家の家業を継いでいた杉山隆一氏を監督に招聘して県リーグ3部からスタートした。

同じように中央防犯も、藤枝東高で全国を制覇し、三菱の黄金時代を支えたサイドバックで、杉山氏と同じように家業を継いでいた菊川凱夫氏(故人)を監督に迎え、静岡県中西部3部リーグからスタートした。チームはその後、93年にJFL(旧日本サッカーリーグ)1部まで昇格したものの、Jリーグ誕生の機運が高まった90年代初頭、すでに静岡からは清水と磐田の2チームがJリーグ入りを確実視されていたため、静岡県をホームタウンにしたプロチーム発足を断念せざるを得なかった。

ここらあたりの事情は、藤枝東高出身で本田技研の監督を務めていた桑原勝義氏が87年に浜松で創部したPMフューチャーズ(現サガン鳥栖)と酷似している。

プロ化を断念した中央防犯に救いの手を差し伸べたのが、93年に「福岡にプロサッカーチームを誕生させる会」を発足した福岡だった。50万人もの署名を集め、関係者の努力により95年に移転が正式決定した。福岡に移転後、菊川氏は総監督に退き元日本代表監督の森孝慈氏(故人。三菱)を監督に招くなどチームの強化に尽力。その後はテクニカルアドバイザーや監督などを歴任し、22年12月2日に永眠した(享年78)。

菊川氏が創設や移転・強化に携わった福岡が、ルヴァンカップ決勝で古巣の浦和(三菱)に恩返ししたのも何かの縁かもしれない。


【文・六川亨】