IMSA仕様日産「フェアレディZ」を忠実再現! ドリフト仕様の愛車をDIY塗装とワンオフステッカーで見事にカスタム

憧れのクルマに近づきたくてオーナー自らDIY

2023年9月24日、「福岡キューマルミーティング」が開催された。当日集まった145台の中で、会場内で一番目立っていたクルマがこの日産Z32型「フェアレディZ」だった。内容が、1990年代に生産販売された車両によるミーティングだったため、レアなノーマル車から、このZ32のようにチューニング&カスタムされた車両まで大集合。ジャンルに関係なくバリエーション豊かな車種が集っており、非常に興味深いイベントだった。このIMSA仕様のZ32は、当日の参加者投票で見事に日産賞を獲得。誰もが歩みを止める大胆なスタイルを目指したオーナーの内倉鷹幸さんに、愛車への思いを聞いた。

アメリカのスポーツカーレース「IMSA」とは?

このカラーリングを見てモチーフが「IMSA(イムサ)」だとすぐに分かった方は、アラフィフから上の世代の方々のはず。日本ではスポーツカーというよりもGTカーのイメージで人気を得たZ32型フェアレディZ。でも、海を越えたアメリカでは、スポーツカーレースのベース車として大活躍し、人気車の仲間入りを果たしていた。

そのZ32が活躍したレースシリーズがIMSAだった。正式名称は「International Motor Sports Association」(インターナショナルモータースポーツアソシエーション)。「NASCAR」(ナスカー)や「INDYCAR」(インディカー)シリーズに次ぐ、アメリカの3大レースシリーズのひとつで、いわゆるカウルをまとった専用レーシングカーによる耐久レースとして、由緒正しい歴史を持つレースカテゴリーとなる。

なお当時のZ32は、車名を「IMSA GTO 300ZX」として1990年よりIMSAに参戦開始。外観はZ32の姿を成しているが、中身はレーシングカーそのもの。専用スペースフレームにファイバー製カウルを被せ、エンジンはVG30DETTをベースにチューニングを施し700馬力以上を発生させるというモンスターマシンで、1992年1994年に年間チャンピオンを獲得。しかも、1996年からの2年間は、スーパーGTの前身である「全日本GT選手権」にも参戦した経験もある。

ドリフトを楽しむために作った愛車がベースとなる

福岡キューマルミーティングに、このIMSA仕様の愛車を持ち込んだ内倉鷹幸さん。免許を取得してすぐ、初めて所有したクルマがZ32だった。しかし、その後事故で廃車にしてしまい泣く泣く手放すことになり、「自分の運転技術を磨いてから、いつかもう一度Z32に乗ろう!」と決意したのだとか。しかし、気付いたら当時の国産車の価格が急騰。「これはすぐにでも買わないと!」と一念発起し、5年前にこの個体を入手した。

福岡キューマルミーティングに参加していたIMSAレプリカのZ32フェアレディZ

「Z32をドリフトに使う人は少なかったので、これで参加したら目立つかなと思ったのがきっかけでした。そのため、この車両のベースはドリ車なんです。IMSA仕様にするために、自分で塗装し、デカールなどもワンオフで製作してようやくこのスタイルまで完成させました」

内倉さんは、IMSAのZ32はリアルタイムでは知らない世代になる。しかし、この仕様を作ろうと思ったのは、日本に現存する本物のレースマシンを実際に目にしたことがきっかけだった。

「レーシングカーの設計製造をする会社、PEAKSさんが実車を保存しているんです。それをイベントで目撃したのですが、感動以外の言葉がないほどでした。そして、これは自分でも作るしかないと心に決めたのです(笑)」

DIYならではの苦労を乗り越えて、IMSA仕様が完成

外装のエアロ類は、ドリフトを楽しんでいた当時のまま使用。ユーラス、スーパーメイド、グランドエフェクトなど様々なブランドがミックスされているが、オーバーフェンダーのワイド感などはIMSAを目指すにはちょうどよかった。

しかし、資料で手に入れた様々な写真などを見ていると、本物のレーシングカーは全体の雰囲気は同じでも、年代ごとに微妙に細部のデザインなどが異なっていることが判明。白、赤、青のトリコロールに塗り分けるにも、ラインの幅など処理の仕方でカッコ悪くなりそうな予感がしたという。

そこで内倉さんは、頭の中の完成図をまとめるために、「モノトーンのZの下絵を用意して、そこに色鉛筆を使って何度も書き直してはイメージを膨らませました」と振り返る。アナログな手法を使って、愛車と実車とのすり合わせをしていったのだとか。もちろん塗り分け前の下地作業となるマスキングの貼りつけも、何度もやり直し。そういった苦労を積み重ねて、自ら塗装を手がけこのスタイルへと導いた。

「スポンサーステッカーも基本的には市販されていないので、全てゼロから作りました。写真をベースにして看板屋さんで新規に作ってもらっていますが、正確にトレースするためには、真正面から写されたロゴの写真が必要。でも、そんなものはなかなか手に入らず……ちょっと斜めになっていたりするものを、違和感なく見えるように修正したりと、ステッカー1枚作るのも大変でした」

実際のレーシングマシンに憧れ、愛車をそのオマージュで仕上げた内倉さんのようなオーナーは、日本全国に数多く存在するはず。そういう皆さんの情熱が同じクルマ好きの好奇心をかきたて、業界を盛り上げてくれているのは間違いない。内倉さんも、この「キューマルミーティング」で来場者投票による日産賞を手に入れたことで、その役目をしっかりと果たしたはずだ。

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年代ごとによって微妙に変化する塗り分けのラインを、色鉛筆を使って熟考を重ねた