落ち着いた雰囲気と洗練された住宅街のイメージが強い世田谷区。23区内でもかなり高い緑被率を誇り、自然にも恵まれた地域です。今回はそんな世田谷区の住みやすさについてデータとともに解説します。

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世田谷区の基本データ

14区内2位の広い面積に14区内でもっとも多い人数が住んでいるこの地域。暮らしに適した穏やかな土地が広がっています。

区の中央部には私鉄の二大人気沿線である東急田園都市線小田急線が通っており、交通アクセスも抜群です。北東部の三軒茶屋や下北沢は若い世代に人気の商業ゾーン、南西部には東急沿線の等々力、上野毛、二子玉川小田急沿線の成城学園など知名度の高い成熟した住宅地が連なっています。

世田谷区の特徴

洗練された高級感あふれる住宅街が並ぶ世田谷区。ここではそんな世田谷区のまず押さえておきたい特徴を2つご紹介します。

暮らしに潤いをもたらす豊かな緑

総面積は約15haにも及ぶ潤沢な緑地を持つ世田谷区。大型公園や社寺の緑地に加えて、土手を整備してつくられた緑道が住宅を縫うように計16本走っているため、日常的に緑の潤いを身近に感じやすい地域です。

緑被率に公園や水面のオープンスペースを加えた東京都独自の指標「みどり率」は、2023年3月に実施された「世田谷区みどりの資源調査」で24.38%に。同区ではこれを区制100周年の2032年までに33%、つまり、区の総面積の約3分の1まで高める「世田谷みどり33」も展開中です。こうした努力が実を結び、緑豊かな環境で子育てファミリーが暮らしたい街として高い人気を誇っています。

独自の教育カリキュラムを整備

内閣府から「日本語」教育特区に認定されている世田谷区では、通常の国語とは別に独自の教科「日本語」の授業が。短歌や俳句、古文、近代詩などの音読・朗唱を通して、日本語がもつ美しい響きやリズムを楽しみながら学習するこの独自カリキュラムには、自国の文化を理解した真の国際人を育成しようという意図があります。

また、2013年度からは小中一貫教育を行う「世田谷9年教育」もスタート。中学校の先生が教える授業を小学6年生が体験するなどのカリキュラムを通して、小学校から中学校へのスムーズな移行を目指しています。

世田谷区を6つの視点でガチ評価

世田谷区の治安(★5/4.5)

人口が多い分、刑法犯認知件数も多いですが、人口1000人当たりの件数を確認するとその治安の良さは歴然。刑法犯認知件数、火災発生件数ともに14区内最上位層に位置しています。交番や駐在所の数は人口を考えると多くはありませんが、しっかりと目が行き届いていると言えるでしょう。

世田谷区の子育て環境(★5/1)

人口が多い分、子ども1人当たりの児童福祉費や教育費は多くない傾向。ただ、待機児童数はここ数年でかなり改善され、2020年に0人となりました。

また、「子どもを産み育てやすいまち」を目指し、さまざまな取り組みを実施しており、妊娠期から就学前までの子育て家庭を切れ目なく支えるため、区・医療・地域が連携して相談支援を行う「世田谷版ネウボラ」など、独自の政策が進められています。

※“ネウボラ”とはフィンランド語で「相談・アドバイスの場所」の意

世田谷区の医療(★5/2)

順位で見ると、面積当たりの医療施設数1㎢当たりの医療施設数、人口当たりの医療施設数、人口当たりの医師数ともに14区内下位にランクイン。面積が広く、人口が多いため、面積・人口当たりの数や人数を考えるとどうしても少なくなってしまいます。

ただ、大学病院などの比較的規模の大きい病院が複数あるため、さまざまな症状に対応してもらえるでしょう。

世田谷区の自然環境(★5/4)

14区内トップを誇る公立公園数は564ヵ所。区の面積が広いとはいえ、人口当たりの公園数も上位レベルです。砧公園や馬事公苑、駒沢オリンピック公園のようなスポーツ施設が充実した公園も多く、自然はもちろん、さまざまなアクティビティも楽しめるでしょう。

世田谷区買い物・娯楽(★5/3.5)

暮らしに寄った地域ではあるものの、小売業の事業所数は14区内1位。駅前などにお店が集中している地域が多いので、日々の食料品の買い物などには十分です。映画館はもちろん、五島美術館世田谷美術館長谷川町子美術館など、自然と調和した落ち着いた雰囲気の美術館も多くあり、娯楽に事欠くこともないでしょう。

世田谷区の住まい(★5/3.5)

一戸建てや持ち家の割合は14区トップレベル。広大な敷地を生かした一戸建てが人気なようです。JRは通っていないものの、東急田園都市線小田急線など都内の主要駅へアクセスしやすい路線があるので、交通の便もよいでしょう。

世田谷区の資産価値ランキング2023

※用途区分:住宅地

都内でもとくに流入が多く、人気なこの地域。地価も比較的安定しています。

豊かな自然と調和した都心にはない魅力を持った二子玉川は、子育て世代を中心に住みたい街としての地位がよりグレードアップ。祖師ヶ谷大蔵は成城より格下でありつつ、エリア的には一体なので需要が高く、一棟マンションは投資として狙い目です。

世田谷区の住みやすい街6選

世田谷区でとくにおすすめしたい住みやすい街6つをご紹介します。区全体の洗練されたイメージも強い世田谷区ですが、街ごとの特徴もさまざま。ぜひ不動産選びの参考にしてください。

【瀬田・玉川】再開発で新たな魅力を増す歴史と伝統の街

世田谷区の南端、東急田園都市線大井町線の2路線が利用できる二子玉川駅が最寄りの両エリア。駅の北側、高台の静かな住宅街である瀬田は、伝統的なインターナショナルスクールがあることで知られています。多摩川が近く緑が多いこの一帯は、明治から昭和にかけて、多くの財界人が別邸を構えました。

一方、玉川の最大の魅力は、広大な開発プロジェクトである「二子玉川ライズ」。あらゆるモノや食が手に入るだけではなく、「蔦屋家電」など新形態のショップがあったり、マルシェやワークショップが盛んだったりとアクティブな生活が楽しめるでしょう。公園や広場など、屋外でのんびり過ごせる場所にも恵まれている点もポイントです。

【地名の由来】

「瀬田」は「瀬戸」がなまったもので、「瀬戸」とは狭小な海峡という字義がありました。しかし、海のあるなしにかかわらず、狭い出入口をいうようになり、狭い谷地も「瀬戸」というようになりました。「瀬田」「瀬戸」という地名は、狭い海峡のみでなく内陸部の山間や丘陵地等の谷地に多く見られます。多摩川沿岸から台地中の谷の多い相当広い区域を含めて古くは「セト」と呼んでいたものがいつしかなまって「セタ」となったようです。

明治22年、それまでの奥沢・尾山・等々力・下野毛・上野毛・野良田・用賀・瀬田の8村が合併して玉川村が成立し、瀬田村は大字瀬田となりました。明治45年、府県境界の変更があり、多摩川右岸にあった区域は神奈川県となりました。昭和7年世田谷区成立時に、玉川村大字瀬田の区域は、丸子川以北が玉川瀬田町となり、また、丸子川以南と大字諏訪河原字向河原をもって玉川町を新設しました。その後、昭和43年昭和46年の住居表示の実施に伴う町区域の変更で、玉川瀬田町は瀬田1~5丁目、玉川町は玉川1~4丁目に区画されました。

【桜上水】大規模開発も課題!水・緑が調和する住環境

京王線桜上水駅小田急線経堂駅の間に広がるこの地域。両駅共に乗り過ごす心配のない終電終着駅です。桜並木や北沢川緑道などの水と緑が調和する自然豊かな環境では、都内でも珍しいでしょう。2015年には、桜上水団地が世田谷区最大規模となる4万7000㎡の敷地を持つ桜上水ガーデンズに建て替えられ、さらに注目が集まっています。

【地名の由来】

桜上水駅が地名の由来。駅の北側に流れる玉川上水の堤に桜並木があったことから名づけられた桜上水駅周辺の地域であることから。

【出典】Wikipedia

【参考】東京散歩「東京おもしろ雑学桜上水駅-駅名の由来・地名の由来-」

等々力】希少な自然を身近に感じる、23区唯一の渓谷がある街

23区唯一の渓谷である等々力渓谷で知られるこの地域。都内でありながら、青々と茂った緑に包まれ、静かな川のせせらぎの音を聞くことができる希少なスポットです。街のほぼ全域は住宅地で、一戸建てに低層マンションが混在。とくに6丁目は自由が丘に隣接しているので、買い物や散策も楽しみたい方におすすめです。

【地名の由来】

トドロキ」あるいは「トドロ」という地名は全国に多く、たいていは、川の流れの激しいところや滝のあるところにです。等々力渓谷が今の深さになるまでには、何度も崩壊や新しい滝が作られることを繰り返したと推測され、その際の崩壊の音はまさに轟くような音がしたことから、「トドロキ」という地名になったと考えられます。

【参考】世田谷区ホームページ「世田谷区の歴史と特色」

【三軒茶屋】おしゃれノスタルジーの混在する人気な街

日常に文化や芸術が溶け込んだこの地域。前のキャロットタワーには2つの劇場があり、様々な催し物も開催されています。名前の由来は、世田谷通りと玉川通りが交差する三叉路に3件の茶屋が合ったことだとか。駅を離れると蛇崩川緑道など緑の多いのどか住宅街も広がっていて住居にも非常に適した環境です。

【地名の由来】

江戸時代、社寺参詣ブームで賑わった大山道と登戸道の分岐するところに「信楽(しがらき)」(後に石橋楼という旅館になる)、「角屋」、「田中屋」の三軒の茶屋が並んでいたことに由来。

【成城】住む人のステータスの高さを物語る高級住宅街

大正時代に成城学園跡地が宅地分譲されたことから始まった歴史ある高級住宅街。東宝の映画スタジオが近くに出来た影響で、映画スターや監督らが居を構え、知名度が上昇しました。街の景観が損なわれないように、建物の高さや道路幅などの規定を定めた住民協定(成城憲章)が制定されており、今でも緑豊かな景観が保たれています。

【地名の由来】

1925年(大正14年)、新宿区牛込から移転してきた成城学園の学園名に由来。なお、「成城」というのは中国の古典「詩経」の大雅の一節にある「哲夫成城(てっぷせいじょう)」<賢い男は国を作るという意味>に由来します。

【桜新町】再開発で新たな魅力増す歴史と伝統の街

1913年に関東初の郊外開発として造成されたこの地域。その際、近隣の道路にソメイヨシノを植樹したことが、桜新町という町名がつけられたと言われています。一帯はサザエさんの原作者・長谷川町子が居住していたことでも有名。その名もサザエさん通り沿いの商店街は60年以上の歴史があり、昔ながらのお店に加えて、イタリアンやワインバル、和食などの飲食店も多くあります。

【地名の由来】

大正2年に東京信託株式会社が関東で初めての郊外開発計画として「新町分譲地」を造成。この道路の両側にソメイヨシノの並木をつくっていて有名になり、玉川電車の停留所もはじめは、「新町」としていたが、後に「桜新町」と改称されたことなどに由来します。

【参考】世田谷区ホームページ「世田谷区の歴史と特色」

(※写真はイメージです/PIXTA)