第34回柴田錬三郎賞を受賞した朝井リョウのベストセラー小説「正欲」を、「あゝ、荒野」「前科者」の岸善幸監督と、脚本家の港岳彦がタッグを組んで映画化。家庭環境、性的指向、容姿など、さまざまに異なる背景を持つ人たちを同じ地平で描きながら、“人との繋がり”をテーマに紡がれた衝撃的作となっている。本作で息子が不登校になった検事の寺井啓喜を演じた稲垣吾郎に、撮影秘話や演じた役柄について、さらに俳優としての今後の展望などを語ってもらった。

【写真】息子が不登校になった検事役を演じた稲垣吾郎。撮り下ろしカット多数

■あらゆる方向から何度も長回しで撮る撮影方法は「演じていておもしろかった」

――以前お話を伺った際に、「『あゝ、荒野』を観て印象的だったから岸善幸監督の作品に参加したいと思った」と仰っていました。岸監督作品のどんなところに魅力を感じましたか?

稲垣吾郎】とにかく「あゝ、荒野」が衝撃的で、前後篇あるので全体の尺は長めなのですが、とても見応えがあったんです。岸監督はもともとドキュメンタリー作品をたくさん撮っていらっしゃった方で、この映画もまるでドキュメンタリーを観ているような感覚になって。

それはもちろん撮り方だけじゃなく、主演の菅田将暉くんとヤン・イクチュンさんが肉体を作り上げて挑み、お芝居が生々しかったのも大きいと思います。かなりエモーショナルで骨太な映画だったので、それがきっかけで岸監督とご一緒してみたいという思いが生まれました。

――念願の岸監督との現場で印象に残っていることがあれば教えていただけますか。

稲垣吾郎】細かくご指示いただいたことはほとんどなく、割と自由に演じさせてもらいました。僕が演じた啓喜は、検事という仕事柄、最初は確固たる信念を持って自分が正しいと思うことを貫こうとするのですが、物語が進むうちにどんどん心が揺れ動いて乱れていくんです。

撮影は順撮りではないので、啓喜が変化していくグラデーションみたいなものを表現するために、「このシーンはこのぐらいの揺れで演じてみましょうか」と監督と細かく相談しながらやっていました。あと、啓喜には不登校になってしまった息子がいるのですが、僕は子供がいないので、息子さんのいる監督にお話を聞いて役作りの参考にすることもありましたね。本作のストーリー自体はシリアスですが、現場はすごくいい雰囲気でしたし、監督とお話しするのはすごく楽しかったです。

――自由に演じることができたというのは、監督が稲垣さんのことを信じて任せてくださったということでもありますよね。

稲垣吾郎】それはすごく現場で感じました。監督はカットを割らずに、シーンの最初から最後まであらゆる方向から何度も長回しで撮るスタイルの方で、俳優はどのテイクが使われるかわからないんです。でも、だからこそカメラを意識せずに演じることができましたし、監督はきっと目に見えない何かを信じてくださったんだろうなと、そんなことを感じました。岸監督の撮影スタイルは、演じていてすごくおもしろかったです。

■“人との繋がり”を感じるからこそ「この仕事を続けているのかもしれない」

――啓喜は、自分が思う正しさを家族に押し付けることで、妻や子と意見が食い違ってしまい寂しい思いをします。そんな啓喜をどのように捉えて演じられたのでしょうか。

稲垣吾郎】演じていて思ったのが、啓喜は法律という国が決めたルールを守らなければいけない、はみ出てはいけない、そういう環境の中で仕事をしているので、ある意味僕とは正反対の人だということ。芸能界という場所では、表現者として異端でいなきゃいけないというか、どこか普通じゃないことが称賛されたりもするので(笑)、僕自身もルールから少しはみ出すことのおもしろさみたいなものを感じながら生きてきたところがあるんです。

今でこそ個性や多様性が認められていますが、昔は啓喜のように“日本人の勤勉さや真面目さ”を大事にしている人が多かったと思うし、ルールからはみ出すなんてことは許されなかった時代もあったはずなんですよね。なので、本作をご覧になる方のなかには、啓喜に共感する人もいるんじゃないかなと思います。

――稲垣さんが、原作または本作の脚本で一番惹かれたのはどのような部分でしたか?

稲垣吾郎】家庭環境、性的指向、容姿など、あらゆる生きづらさを感じている人間たちを描いているところがすごいなと思いました。群像劇でもあるので、登場人物それぞれの物語をうまく構築していて朝井リョウさんは本当に素晴らしいなと。人間は二面性どころか三面、四面と表には見せていないいくつもの顔があって、本作でいうと新垣結衣さん演じる夏月のように自ら世間との断絶を望む人や、磯村勇斗くん演じる佳道のように誰にも言えない秘密を抱えている人もたくさんいると思うんです。

そういった方々が、本作を観て“自分だけじゃないんだ”“ひとりではないんだ”と思ってくれたらいいなと。それと同時に、“愛する人の存在の大切さ”とか“自分自身を愛することの大切さ”みたいなことも感じてもらえると思うので、たくさんの人に届けたいですね。

――啓喜の息子がYouTubeの動画配信を通して見知らぬ人たちと繋がったり、夏月と佳道が秘密を共有していたりするなど、本作には“人との繋がり”もテーマとして描かれています。稲垣さんにとって“誰かと繋がっている”と思う瞬間はどんなときでしょうか。

稲垣吾郎】ひとりでも人生を楽しめるタイプではあるのですが、猫を飼い始めて、生き物と一緒に暮らすのもいいなと感じています。いきなり“人間との繋がり”の話じゃなくてごめんね(笑)。

20代の頃に飼っていた猫が亡くなってから約17年ぶりぐらいに猫を迎えて、その子とはいい距離感で暮らしていますが、自分にとって心地のいい距離感を保てる人とだったら、一緒に生活できるのかもしれないなとも思ったりしますね。

――お仕事の面ではいかがでしょうか。

稲垣吾郎】昨日まで「多重露光」という舞台をやっていたのですが、舞台って毎日同じことを繰り返すのでどうしてもマンネリ化してくるんです。それをどうにかして新鮮さを保ちながら舞台に立とうと試みるのですが、ひとりでは無理なんですよね。

やはり共演者の方やお客さんから何かを得るからこそ、それが刺激になってフレッシュな気持ちで演じられるというか。もちろん映像の現場でも誰かとの繋がりを感じることはたくさんありますが、舞台中に“人との繋がり”を実感することが多いような気がします。“人との繋がり”を感じるからこそ、この仕事を続けているのかもしれないですね。

■経験してみて自分自身が魅了されたものを「とことん突き詰めていきたい」

――今後お仕事で挑戦してみたいことはありますか?

稲垣吾郎】「多重露光」を経験して、会話劇のおもしろさに改めて気付いたんです。その前は「サンソン -ルイ16世の首を刎ねた男-」という白井晃さん演出の規模が大きめの演劇をやっていたこともあり、その反動なのか「多重露光」のような小劇場での会話劇がすごく新鮮で、やっていて楽しかったんですよね。

だからまた会話劇をやりたいなと思っていて。映像作品もそうですが、やったことのないものよりも、経験してみて自分自身が魅了されたものをとことん突き詰めていきたいという願望があります。

――稲垣さんは雑誌の連載で映画を紹介されていますが、さまざまな作品に触れるなかで、監督業に挑んでみたいというお気持ちになることは?

稲垣吾郎】監督って、現場や大勢の人たちをまとめる仕事でもあるじゃないですか。以前「半世界」という映画でご一緒した阪本順治監督が、「映画の監督を務めるからには、あらゆる部署の監督じゃなきゃいけない」と仰っていたんです。その言葉を聞いて、自分には無理だなと思いました。もちろん興味はありますし、いつか映画監督に挑戦するなんてスペシャルなことが起きたらおもしろいなとは思いますけどね。

――最近は俳優が短編や長編の監督を務めて作品を発表する機会が増えていますし、稲垣さんだったらどんな映画を作るのか興味がある人も多いと思います。

稲垣吾郎】そう思っていただけるのはうれしいのですが…なにせ普段まったく頭にないことなので(笑)。もしかしたらプロデューサーの方が向いているのかもしれないと、今お話をしていて思いました。脚本はこの人、カメラマンはこの人みたいな感じで好きな人ばかりを集めて、それを“監督!お願いします!”ってできたら楽しいですよね。

ただ、僕は職人気質だから“演じること”を突き詰めていきたいというか、俳優という仕事が好きなので、これからもいろんな作品を演者としてお届けできたらいいなと思っています。

取材・文=奥村百恵

◆スタイリスト:黒澤彰乃

◆ヘアメイク:金田順子

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映画「正欲」で主人公を演じた稲垣吾郎/撮影=三橋優美子