2016年7月に一般男性との結婚を発表し、昨年8月には第3子の長女を出産。大好きな激辛食の手作り&実食をYouTubeチャンネルで流し、「激辛女王」としてバラエティー番組などで活躍しているのが、鈴木亜美である。

 汗びっしょりで、真っ赤に染まった激辛食と格闘する彼女の姿を目にするたび、若かりし頃にあんな騒動があったことがウソのように思えてくる。2000年代初頭、当時20代だった彼女の芸能活動は大きな波乱に満ちたものだった。

 鈴木は1998年7月、小室哲哉プロデュースのもとで、歌手デビュー。エージーコミュニケーション(以下、エージー)という芸能プロとアーティスト契約し、その後、ミュージックトライブという音楽事務所と専属契約を結んでいた。ところが2001年、エージー社長らが法人税法違反容疑(2億5000万円の脱税)で逮捕されたことを理由に、鈴木の両親が独立と移籍を求め、事務所を相手取って契約終了の確認を東京地裁に訴えたのである。

「代理人によれば、社長の逮捕で彼女のイメージが著しくダウンしたこと、さらに彼女が精神的苦痛を受けたことが訴訟の理由でした。エージーはいわば、小室のファミリー企業。つまりこの訴訟は、彼女の育ての親である小室との関係をも断ち切ることを意味していました」(当時取材したスポーツ紙記者)

 その結果、レギュラー出演中の番組は、3月いっぱいで終了。4月から放送予定だった「新・星の金貨」(日本テレビ系)も途中降板し、ファンクラブは解散。3月8日付の一部スポーツ紙には「引退」の大見出しが躍り、彼女の姿がテレビから消えることになった。

 ところが、そんな彼女がレコード会社ではなく、出版社からCDを発売するというウルトラCで奇跡の復活を遂げたのが、2004年である。翌日に文藝春秋から発売する新曲シングルと写真集「強いキズナ」を手に、4月21日に都内で記者会見に臨んだ。詰めかけた報道陣は約150人。公の場への登場は3年半ぶりとあって、緊張した面持ちでこう語った。

「ずいぶん長い間、皆さんにご心配をかけしてしまったんですが、ようやく音楽を再開することになりました。この企画は1年前に出ていたのですが、裁判中ということもあり、1年延びてしまいました。(久々にフラッシュを浴びて)本当は宇宙に飛びそうなくらいの気持ちでいるんですが、今は気持ちを抑えています」

 当然ながら、全ての要因となっている裁判についても言及。

「父が金銭トラブルで裁判が起きたという報道もありましたが、それは事実でなく、事務所と私の意見の食い違いです」

 休養中に家族旅行したとされる滝沢秀明との関係についても「付き合っていません」と笑顔で否定した。業界関係者100人中が100人「復帰は無理」と口を揃える中での、起死回生の復帰劇だったのである。

(山川敦司)

1962年生まれ。テレビ制作会社を経て「女性自身」記者に。その後「週刊女性」「女性セブン」記者を経てフリーランスに。芸能、事件、皇室等、これまで8000以上の記者会見を取材した。「東方神起の涙」「ユノの流儀」(共にイースト・プレス)「幸せのきずな」(リーブル出版)ほか、著書多数。

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