昨年6月よりスタートした、20周年アニバーサリーツアー「素晴らしい世界」。【前篇】【中篇】【後篇】と3つのスタイルで一〇〇本を完走し、一〇一本目の追加公演ではすべてのスタイルを融合させた4時間のライブを見事にやり切った。後日、話を聞くために会った森山直太朗の表情は清々しかった。ひとりの表現者としての自負と、ひとりの生活者としての実感を束ねて語る直太朗の言葉には、光と闇の両方が等分に存在し、混じりあっていた。今、直太朗がいる季節を訪ねて――。

言ってしまえば、追加公演も含めてこの長いツアーは、感覚を共有できる仲間づくりの一貫だったんだなと思いました

――一〇〇本ツアー、そして追加公演と、おつかれさまでした。

ありがとうございます。

――追加公演は、一〇〇本ツアーで行ってきた“それぞれの季節”、つまり、弾き語りの【前篇】、ブルーグラス・バンドの【中篇】、そしてフルバンドの【後篇】をミックスしてひとつのショーにするというものでした。まずはこの追加公演の振り返りから行いたいのですが、簡単なライブではないなというのはイメージした段階からあったと思います。最初に感じた難しさはどのあたりですか?

十分な準備ができるのか、ということですね。いくらイメージがあっても準備がきちんとできなければ、結果平面的なステージになったりすることは容易に想像できますから。だからその準備の部分を徹底してやれたので、満足のいくものにはなったんですけど、ただそうするとそのぶんエネルギーを使うことになるので、やっぱり心身ともに相当追い込まれました。

――いくらその前に一〇〇本やってきた経験値があったと言っても。

その貯金だけではどうにもならないものでした。だから3日前でしたね。うん、3日前だ。(前篇・中篇・後篇が)つながったのは。ただつなげただけでは意味がないので。3日前にようやく“あ、こういうことだったんだ”って理解ができたんですよ。だからこういう選曲になっているし、こういう構成、編成になっていたのかって。つまり、それぞれの季節を振り返りながらやればいいんだっていうことに気づいたんですよね。その振り返った実感に伴って舞台が進行していけば、きっといいものになるだろうっていう感覚を得られました。

――おそらくたどり着いた場所はものすごくシンプルなところだと思うんですけど、それは答えを知っているからそう思えるだけなんでしょうね。

イメージというか、景色から入るんですよ、まずは。で、その景色の根底にあるもの――心の動きとかアイデンティティとかっていうものを理解して形にしていくんですけど、作りながら答え合わせをしていくしかないんですよね。それは1曲作るのでも舞台をひとつ作るのでも同じなんですけど。そのすべての答え合わせが開演に間に合うかどうかのせめぎ合いですね。だから本当に地道な作業の積み重ねじゃないと辿り着けないんですよね、結局。「僕らは死んでゆくのだけれど」という曲を【中篇】でやったんですけど、ブルーノートなどのジャズクラブを回ったツアーでは、1曲目だったんですよ。でもそれを追加公演では最後に持ってきたんです。自分が振り返るという意識の流れにおいて、その方が自然だったし、【前篇】〜【中篇】という流れがあることで、この曲が根底に持っている明るさをより開放できると思ったんですよね。ただ単につなげたらいいというものではない、というのはそういうことで、逆に言えば、3つをつなげることでしか成立しない選曲や構成というものがあって、その正解をひとつずつ見つけていく――その連続でしたね。

――特に場所の違いは大きかったのではないかと思いました。【前篇】はライブハウスや離島のホールなどで行いましたし、【中篇】はおっしゃったようにジャズクラブでのショーでした。

そうなんですよね。その場その場で出来上がったみんなとの関係性が、【前篇】と【中篇】はより特殊なものでしたからね。それがNHKホールでひとつになったときに、果たしてどこまで伝わるんだろうかっていうのは、正直一か八かみたいなところはありましたね。

――あと、ショー全体の長さというものもツアーにはない難しさとしてあったのではないでしょうか?

30曲で4時間ですからね。本当にここだけの話、4時間のライブって長いですよ(笑)。連れて来られた人だったら途中で飽きちゃうでしょ。舞台がいくら非日常を体感できるものだとしても、そこにずっとはいられないじゃないですか。それはあくまで日常という振りが一方で効いているからこそ楽しめるのであって。延々続く非日常はもはや非日常ではなくなりますからね。だからこのコンサートがただの自己満足で長いだけのものにならないためにはどうしたらいいのかっていうのはものすごく考えました。

――どのようにアプローチしていったのでしょうか?

やっぱり丁寧なグラデーションをつけていくことが大事だなって思ったんですよね。いきなり照明が暗転してライブの世界、つまり非日常にパチンと切り替えられても、人の集中力はそんなに続かない。せいぜい1時間かそこら。4時間という長さからしたら、出落ちみたいになっちゃう(笑)。だから客電がついたまま始めて、気づいたらあたりが暗くなっててお客さん一人ひとりの時間になっていたっていう状況を作らないといけないなと思ったんですよね。要するにそれは、お客さんに能動的な参加を促すことがこのライブにおいては重要になると思ったんです。明るいなかで僕がギターケースを抱えて出て行って、それを置いてそのままアカペラで歌い出す。ちょっとざわつきますよね。あの人何やってるんだろうって思いますよね。どうなるんだろう?って。それで気づいたら明かりが消えていて、演者とお客さんとの一対一の関係が出来上がっている。さらにそこから、限りなく自然な形で【中篇】のメンバーが徐々に加わっていく。そうやって、まずは少しずつ日常と非日常が混じり出して非日常になっていき、その非日常の色合いや形もまただんだん変わっていく――最初はここに何もなかったんだよっていうところから始めることで生まれる、みんなと一緒に作っているっていう主体性こそが、追加公演の鍵になると思いましたし、それまでの100本と決定的に違うのはそこでしたよね。

――なるほど。

はじめての試みだったので、果たして自分がどこまでできたのかというと、実はもっとできたという思いがあるんですよ。だけど一方で、お客さんと作ったものだったから、それでよかったんだっていう思いもあるんです。特に弾き語りのパートでは、お客さんの集中力に圧倒されましたね。

――この闇に自分も含まれているという感覚が確かにありました。

ああ、そういうことですよね。その【前篇】【中篇】の第一部があった上での【後篇】の第二部というのは、ツアーと同じことをやっているんですけど、それまでとはまったく違う感覚がありましたね。よく、キャッチコピーなんかでも“独りじゃない”っていうような言葉を見かけますけど、正確に言えば、こういうことだと思うんです。みんな独りである。その条件においてはみな同じなんだ。だから独りじゃないんだと。誰もが孤独や悲しみを抱えていて、それを埋め合うように寄り添ったり離れたりを繰り返す。人生ってそういうことなんじゃないのかなって思うんですよね。

――それはまさに今回の一〇〇本ツアー、そして追加公演そのものでもありますよね。それで言うと、この追加公演の流れで本編最後に「どこもかしこも駐車場」を聴けたことで、あの歌の意味が自分なりにようやくわかったんですよね。ものすごく好きな歌で、でも歌われている情報量としてはそんなに多くはないし、鋭い言葉があるわけでもない。でもそれがメロディーとともに表現されると、きちんと自分の心の奥深くに届く感覚があって、その理由がわからなかったんです。でも、まるで人生のような第一部と第二部を通過してたどり着いた「どこもかしこも駐車場」っていう何の変哲もない光景が、自分のものだけではない気がしたんですよね。それは誰もが思い描けるもので、だから独りじゃないんだと。そして“駐車場”が象徴する空虚さが一人ひとりの抱える孤独を浮かび上がらせる。

ごく個人的で無意識に感じているものっていうのは、実は共通しているものなんですよね。ただそれを言葉にしないだけで。僕が音楽をやっている意味はそこしかないと思っているんですよ。だって世の中には星の数ほどの名曲があって、もう僕たちの世代が歌えることって駐車場くらいしかないんじゃないかなって(笑)。コンビニの店員さんが中国の人だな、とか。みんなそれ、思ってるけど、わざわざ言葉にはしないですよね。でもそれって共通言語というか、確かにおっしゃったように何も変わり映えしない空白みたいな情景ではあるんですけど、だからこそそこに含まれているものってあるような気がするんですよね。でもその感覚を共有できるまでには、ある程度時間がかかるのかもしれませんね。だから今回100本やったことはとても大きかったなと思いますね。言ってしまえば、追加公演も含めてこの長いツアーは、感覚を共有できる仲間づくりの一貫だったんだなと、今こうやってお話をしながら思いました。

――ああ。

ものすごく大胆な自分と、こんなことやっちゃっていいの!?っていうすごく保守的な自分の両方がいて、普通に考えたら、20周年のアニバーサリーツアー本編の最後を飾る曲が「どこもかしこも駐車場」って、どうなんだろう?って思うし(笑)、保守的な自分はやめとけって言うんですけど、今回はこれで本編を終わるのが正解なんだって押し切れたんですよね。わかってくれるはずだって思えたというか。信じられたというか。それはここ5年くらいで僕自身の環境とか人間関係も変わって、失うものなどない……というか、そもそも失うものなどなかったんだっていう感覚があったことも大きいと思いますね。このツアーが、例えば僕以外にイニシアチブを執る人がいて、というならまた話は違っていたんでしょうけど、大勢のスタッフに支えられながら、あくまで自分の意思で、自分のやりたいことをやっているのだから、ブレーキを踏んでしまったら意味がなくなってしまう。もしかしたらそこが一番のチャレンジだったのかもしれませんね。

トラウマでもコンプレックスでも、そうしたものを手放せたときに、ようやく人生って始まるような気がするんですよね

――そもそもなんですけど、どうして「一〇〇本」だったんですか?

単純に、ずっとやってみたかったんですよね。ぼんやりと僕に見えている景色があったんです。その原風景は、子供の頃まで遡るんですけど。母や母と同世代のフォークシンガーの方達は年間100本、120本は当たり前というなかで音楽をやっていたんです。それを僕は子供の頃から目の当たりにしているから。ただ、彼らがやっていたのは、いわゆるリサイタルなんですよね。身ひとつか、そこに少数のメンバーを加えて成り立つもの。でも僕のやってきたこと――今まで御徒町(凧)と作ってきた舞台は、わりと演劇的な要素が強かったんですよね。みっちり稽古して、ロングランでやったとしても2カ月という刹那的なものをやってきましたから、それを100本やるっていうのは思想として合わなかったんです。でも僕のなかには、先ほど言ったライブツアーっていうものの原風景があったんですよね。母が離島なんかでライブをすると、軽トラックに母の写真を模写した、よほど上手とはいえない絵が描かれた看板を積んで、町中を回ってるんですよ。今なら原宿あたりをラッピングしたトラックが走ってますけど、あれの軽トラ&手作り版ですよね(笑)。トラメガから、「このあと18時より、◯◯会館にて」みたいな案内を流しながら。それを見ていたから、僕にとってのツアーの原型っていうのはそういうものではあったんですよね。だから10年くらい前から近しいスタッフには相談していたんです。でも、スタッフはわかってるんですよ。僕が当時やっていた舞台と、イメージしているツアーの中身が合わないっていうことを。そんなものを100本はできないって。とは言え、それでも60本くらいはやってたんですけどね。ただ、100本ってこれの倍か……って思うと、やっぱり無理だなってなるんですよね。だけどあの景色が見てみたい。母親が――言い方はあれですけど――子育てさえある意味手放してまで見ていた景色ってどんなものなんだろうって。一緒にいない時間が長かったんです。だからそれは、音楽人というよりは人間としての欲求という方が強いんですけどね。やっぱり寂しかったんで。ほぼ家に母はいなかったし、帰ってきても夜中だったし。当然僕は寝てたし。だからある意味で分断してたんですよね。母の時間と僕の時間というふうに。

それで僕は、母の時間にコミットしたいって思ってたんです。二十歳の頃に、母のツアーに同行したことがあったんですよ。ただついて行っただけだったんですけど、1曲くらい歌わせてもらったのかな。でも僕としては母がやっているライブをただ見に行っているという感覚でした。ついでに駅前で歌うとかはやってましたけどね。ある日、ライブが終わった後に母がホテルの部屋で化粧を落としているところを見たんですよ。それが、彼女の闇のようなものを見た瞬間だったんですよね。自分の衝動と宿命に誘われて、ただ煌びやかな場所で光を浴びてただけじゃなかったんだなこの人は。きちんと、というか、彼女なりの闇を背負っていたんだなっていうことがはじめてわかったんですよ。その時鏡越しに母と目があって、言われたんですよ。こんなにちゃんとしたホテルに泊まれることなんて普通のことじゃないのよって。つまり、我々のやっている商売は、ちょっとでも期待を裏切るようなことがあれば、こんな環境なんてあっという間になくなってしまう――おそらくそういうことを彼女は経験したんでしょうね。僕の立場からすれば、自分が寂しい思いをしていた時間に、この人はこんな不安と戦っていたのかっていうことをそこで知ったんです。で、僕も同じような仕事をして、多少なりとも母の気持ちがわかるようにはなったんですけど、でもどこかであの人は100本やってたんだよなっていうことがずっとしこりとして残り続けてたんですよ。それで20周年のタイミングで、生活としての音楽――その向こうに生活がある音楽、とっても日常的で、その土地の空気に触れ、それを感じながらやる音楽、それをやりたいと思ったんです。そういう形じゃないと100本は無理だと思ったんですよ。今までと同じような感じでやってたら75本くらいで終わってたんじゃないかなって思います。あまりにも非日常の部分が多くなって、たぶんですけど、自分が嘘をついているような後ろめたさに耐えきれなくなるんじゃないかなと想像しますね。

――一〇〇本ツアーを完走して、感じたことは何ですか?

子供の頃って、例えば夏休みにちょっとした冒険をしたとか、虫捕りに行ったとか、先生に怒られたとか、普通に生活しているだけで得られる共有体験というものがあったじゃないですか。部活に入ったら朝5時半から10キロ走らされたとか、怖い先輩にビビったとか(笑)。でも僕らの年代になると、ここから共有体験、その向こうにある共通言語を持つことって至難の技ですよね。ただ、100本やると、それができるんですよ(笑)。100本やり切った自信っていうのはプロとして当然だと思ってるんですけど、共通言語を獲得できたことが何より大切なことだなと思いました。そこにはもちろんオーディエンスの皆さんも含まれますからね。本当にスタッフみんなで言ってたんですけど、75本過ぎないとわからない境地ってあるんですよ(笑)。それは、僕だけじゃなくて、スタッフも同じなんですよね。ただし、どれだけ足取りが重くなろうとも、僕の信念がへこたれたことは一度もなかった。でも100本もやると、それだけでは済まされないいろんなことが出てきちゃうんですよ。それはやっぱりチームでやってることだから。40本くらいなら目をつぶって乗り切れるんですけど、80本にもなるとやっぱりそうはいかない。繰り返しになるかもなんですけど、それは本当に人生と一緒だなってつくづく思いましたよ。今日ちゃんと歌うために自分がどのようなスタンスを取らなければいけないか、とか、自分の弱さをいかに切り離すか、とか。決して一定ではないですからね。自分も周りも。でもそうやって乗り越えていくと、また新たな循環というか、景色が見え出すんです。だから80回目以降、同じことをやっているんだけど、自分の人生において課題だと思っていたことが溶解していく瞬間に立ち会えるようになるんですよね。母のこと、父のこと、仲間のこと……。解決はしないんですけどね。でも自分が変わっていくと人って変わるじゃないですか。だから『素晴らしい世界』ツアーって、アナザーストーリーがいっぱいあって。僕は決して人に胸を張れるような順風満帆な家庭環境に育っているわけじゃないから、いろんなわだかまっている気持ちとか、全然自立できていない部分もあるんですよ。そういうものを引きずりながら今まで生きてきたんだけど、例えば恨みって、恨んで恨んで恨んでいくと、あるときそれが感謝に変わったりする瞬間があるんですよね。そういうことがこのツアーをやりながらいろんな人との間で起こっていったんです。僕がこれまでくくりつけてきた重りや足かせが違う形で昇華されていって、舞台上がどんどん自由になっていったんです。やっぱり、数ってすごいですね(笑)。人間関係も、どれだけの数を築いたか、酸いも甘いもどれだけの数を経験したかによって得られるものっていうのは確実にありますね。

――ただ、それでも許せないものもあるにはある。

もちろんそうです。それは自分が人格形成していくなかで得た自意識だったりコンプレックスだったりになるんですけど、そこが作品の根元になっていくんですよね。また母親の話になっちゃいますけど、十分な愛情を与えられてなかったっていうことにとってもコンプレックスがあったし、授業参観みたいなものだけに来る母親になんとも言えない憤りを感じていたし、それよりも毎日お弁当を作ってくれるおばあちゃんの方がリアルだったし。だけど……だから僕はこうやって音楽ができているし。自己肯定感が低い、というのが今、よく言われますよね。それって、信じられるものがないからだと思うんです。母の愛情の代わりになるものって信仰心だと思うんですけど、現代の日本ではなかなか持ちづらいものですよね。不確かな今と未来のなかで、それでも社会にコミットする生き方ばかりを求められる。そうじゃないとはじき出されてしまう。何も持っていないことでどこにも居場所がなくなる。僕も同じような経験をしたから、そういう人たちの目線は感じられるんです。だからこそ言わせていただければ、人生ってもっと大きくて相対的なものなんですよ。母と僕の場合で言えば、親子の関係ではペケなんでしょうけど、そこに音楽を置けばマルになるんです。だからいみじくも、この20周年の長いツアーで僕はようやく成人式を迎えられたんです(笑)。これから僕、ようやく社会に出るので(笑)。

――ここから長いですね(笑)。

そうなんですよ(笑)。今までとはちょっと意味合いの違う歩みになると思いますね。だから、一〇〇本ツアーに対して全然ロスの感覚はないんですよ。ただただ清々しい(笑)。バンジージャンプが終わった後みたいな。

――まさに通過儀礼ですね(笑)。

そうそう(笑)。振り返れば、なんで舞台中なのにちょっと涙ぐんだりしてたんだろうって不思議に思いますよ。たぶん、自分のなかのわだかまりみたいなものに小さなサヨナラをしてたんでしょうね。だって、47にもなって母親の話なんてしたくないですよ(笑)。でも避けて通れないんですもん。避けてたら一生手放せないじゃないですか。自分の抱えたトラウマでもコンプレックスでも、そうしたものを手放せたときに、ようやく人生って始まるような気がするんですよね。結局このツアーっていうのは、そういう過程というか歩みの縮図みたいなものでしたね。

――アンコールの最後が「さくら」のアカペラというのが、今のお話を聞いてよくわかりました。自分が抱えていたものを手放した痕跡がきちんと見えるパフォーマンスでした。

苦しかったですけどね。「さくら」のアカペラはできる限りやり続けましたね。

――番外篇も決まっています。今からとても楽しみです。

たぶん、まっさらにしますから。どんな光が射して、どんな言葉やメロディがそこに立ち上がるんだろうっていうのは、本当にワクワクしますね。でも、何もない舞台に何かが立ち上がって、また何もなくなるっていう思想やフィロソフィーは変わらないので。そうした時間や空間の経過を共に感じられるようなものにできたらいいなと思いますね。

Text:谷岡正浩 Photo:鳥居洋介

<ライブ情報>
森山直太朗 20thアニバーサリーツアー『素晴らしい世界』<番外篇> in 両国国技館

2024年3月16日(土) 東京・両国国技館
開場17:00/開演18:00

【チケット代金】
アリーナ席12,000円、升席12,000円、2F指定席12,000円、2F指定席8,800円
※アリーナ席、升席は限定お土産付き、2F指定席は限定お土産選択式

11月20日(月)23:59まで[オフィシャル先行]実施中
▷受付URL
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森山直太朗