弁護士になるための関門・司法試験には2つのルートがある。近年、受験者が増え続けているのが、最低2年通う法科大学院(ロースクール)を経ずに最短合格を狙う「予備試験」だ。

合格者の多くは学生で、なかには大学在学中に突破する猛者もいる。界隈では「予備試組」は優秀さの表れともなり、裁判所や大手事務所が熱視線を送っている。

東京都内に事務所を構える清水健午弁護士(51歳)も予備試組の一人だが、社会人をしながら43歳で受かったという“レアキャラ”。かつて旧司法試験に4敗、司法書士試験にも2敗している苦労人だ。何度転んでも起き上がる執念はどこからくるのか。

●「働きながら勉強」は予想以上に大変

青山学院大の法学部出身。同級生で法曹を目指すのは数人しかいない環境だった。新卒で就職した輸入品販売会社が倒産し、その後転職した建設会社も多忙だった。29歳のころ、働き方を変えたいと思い、弁護士を目指した。

「このままだったら会社と家の往復で終わるのか、と思ったんですね。『そういえば小学生の時に弁護士を夢見たことがあったな。予備校に行ってみよう』と思い立った」

当時は旧司法試験のみ。20時ごろまで働きながら勉強したが4回目の不合格で、司法書士に目標を移す。せっかく勉強した法律知識を生かした仕事をしたい。しかし、ここでも合格したのは3回目だった。不動産管理会社に勤めながらの勉強は負担も大きかったという。

司法書士として独立後は、充実した仕事が待っていた。金融機関や行政とのやりとりが多くなり、人脈も広がった。普通だったら、ここで安泰のはずだった。

しかし、2011年、予備試験制度が始まる。

「それなりに勉強して肩の力を抜いて受けてみたら択一に通っちゃったんですよ」。また「働きながら試験勉強人」の火がついた。そして予備試験に挑戦して3回目、ついにその時がきた。弁護士登録したのは45歳の時だった。

修習中に集まりがあり、予備試験に現役社会人で受かった人は希少だと知った。経営者や官庁出身者などがいたという。

●1200通りの回答つめこんでもダメ

合格した時は、喜びというよりも安心感のほうが強かった。大学受験について、10代の時に第一志望に受かった仲間と比べて、希望の進路に進めなかったことに「ずっと『やり残した感』を抱えていたのかもしれない」と清水弁護士は振り返る。また「会社勤務ではない働き方をしたいとも思っていました」。

「働きながら合格」にこだわって自由に仕事できる立場を得られた今、「司法試験は資格をとるためのものではなく、結局はどう生きたいかを決めることだった」と説明する。

「落ちまくったからこそ、何をしたら落ちるかが分かります。問題文との向き合い方から当日の臨み方まで、研究し尽くしました。旧試の時は200通りの論文の回答を6科目分=1200通り、暗記して歩きながら言えるくらいでしたが、詰め込みじゃ勝てません」

試験会場では「ツナマヨと鳥五目のおにぎり2個とお茶しか摂らない」「知り合いに会ってもしゃべらない」を徹底。模試でも同じルーティンを繰り返した。「模試を本番のように受けようと思っていました。違うことをしたら興奮してしまい、本来の力が出せません」

輸入品販売から始まり、通信、不動産、建設などあらゆる業界を経験した。他職種の目には「弁護士」がどう映るか、自分だからこそ分かる。相続や登記などは、司法書士や宅地建物取引主任者の資格もあるのでワンストップで対応できる強みがあるが、弁護士としてはまだ6年目。独立してから幅広い案件を取り扱い、実務を学んでいる。

弁護士に必要なものは精神力という「諦めない男」は、今も、働きながら勉強し続けている。

“勤め人合格”にこだわり続け、45歳で弁護士に 「落ちまくったからこそ見える世界がある」