日々時間に追われ一生懸命働いていると、「老後は優雅に暮らしたい」と考えている人も多いのではないでしょうか。しかし、理想の老後を手に入れるためには、あらかじめいくらお金がかかるのか試算しておくことが重要です。しかし、その試算内容に“見落とし”があると、「理想の老後」が一転、破産危機に陥る可能性があると、FP Office株式会社の中山梨沙FPはいいます。具体的な事例を交えて詳しくみていきましょう。

“退職金や年金があるから大丈夫”…老後の油断が引き起こす「悲劇」

日本では一般的に、「60~65歳」を定年と設定している会社が多い。しかし、医療の発達や栄養状態・衛生環境の改善などによって平均寿命は伸び続け、いまや「人生100年時代」に突入している。

つまり、60歳で定年退職する場合、残り40年分の生活費を確保しておいたほうがいいということだ。

時間に余裕ができれば当然、旅行や趣味に打ち込む時間が増えるだろう。そうなれば生活費+αのお金がかかる。また、健康面や介護の必要性などを考えると、自宅を出て老人ホームに入居する可能性も高い。ある相談事例から、“理想の老後”を過ごすために注意したいポイントについてみていこう。

“退職後はウチでゆっくり過ごしませんか”?…Bさんに誘われ、「自立型老人ホーム」への入居を決めたAさん

Aさんは現役時代、大手銀行に勤めていた。結婚後、33歳のときにひとり息子が誕生。しかし病気がちだった妻は、Aさん48歳、息子15歳のころに亡くなった。Aさんはそれ以来、息子を男手ひとつで育てた苦労人だ。

そんな状況にあっても、働きぶりが認められたAさんは55歳まで役職に就き、60歳で定年退職した。

ある日、定年退職にともない取引先への挨拶まわりをしていたところ、Bさんから声をかけられた。Bさんは自立型自立型老人ホームを営んでおり、「退職後はウチのホームで悠々自適なセカンドライフを過ごしませんか?」という。

最初は笑って受け流していたAさんだったが、息子はすでに独り立ちしているし、老後を1人きりで過ごすことには寂しさと不安を感じる。AさんはBさんが経営する施設について、後日調べてみることにした。

すると、Bさんの施設は都心にあり立地もよく、充実した設備が整っている。息子からも「老後は好きに過ごしなよ」と言われたAさんはますますこの施設が気になり、入居するための収支を計算することにした。

パンフレットを見ると、施設の費用は、「入居費2,000万円、月額利用料金40万円」と、なかなか高い料金設定となっている。ただ、Aさんには退職金が2,500万円あり、加えて自宅を売却すると2,000万円ほどになることから、少し安易に考えていた。

「預貯金や運用している金融商品を解約したら、さらに1,800万円くらいはかき集められる。年金は65歳まで出ないが、かき集めたお金と退職金の一部を使えば、5年間くらいは月額40万円を賄えるだろう」

Aさんの簡単な試算結果のメモは下記のとおり。

<60~64歳(見込み)>

・自宅売却資金:2,000万円

……入居一時金2,000万円 相殺

・退職金:2,500万円、預貯金等:2,300万円

……60歳時点の手元資金はあわせて4,800万円。60~64歳(年金受給前)の生活費は40万円×12ヵ月×5年間=2,400万円なので、65歳時点で手元に残る資金は4,800万円-2,400万円=2,400万円となる。

また、65歳以降についても、

「65歳以降は、公的年金と企業年金を合わせればだいたい34万円くらいの収入になる。残りの足りない分は手元の資金を切り崩せば、90歳くらいまでは暮らしていけるはず。苦労して働いてきたんだ、老後は贅沢に過ごそう」

<65歳以降(見込み)>

・公的年金受給額:月額34万円(公的年金21万円+企業年金13万円)

……施設の利用料は月40万円なので、1ヵ月あたりの不足額は34万円-40万円=▲6万円

→90歳までの不足額合計:▲6万円×12ヵ月×25年間=▲1,800万円

→90歳時点で余剰として残る金額:2,400万円-1,800万円=600万円

試算を終え、不足金額も手元の資金を切り崩せば賄えると判断したAさんは、Bさんの自立型老人ホームへの入居を決断した。

入居から15年…Aさんの身に起こった“まさかの事態”

いざ住んでみると、予想どおり部屋は綺麗でスタッフも優しく、食事もおいしい。施設内のプールやジムでは元気な仲間も見つかり、幸せな日々がスタートしたはずだった。

しかし……。Aさんは入居してすぐ、“重大な見落とし”をしていたことが判明した。試算で前提としていた利用料の月額40万円はあくまで基本料金であり、施設内のサービスを利用するには追加で料金が発生するというのだ。

とはいえ、楽しい生活を手放したくないAさん。「まあ、どうにかなるだろう」と高をくくった。

またしばらくして、ひとり息子から久しぶりに連絡が入った。「おれ、結婚することになって……。実はもうすぐ子どもも生まれるんだよね」

苦労して育てた息子の結婚と孫の誕生に、感慨もひとしお。Aさんは喜んで、結婚資金200万円と孫のための資金として100万円を援助した。

75歳になり、予想以上に残高が減ってきたことに焦りを感じたAさんは、「ちょっとまずいかもしれない」と試算し直してみた。すると、衝撃の事実が発覚した。

<65歳以降(実態)>

・施設内のサービスを利用するために、基本料金+毎月6万円の追加料金が発生。

……月額不足額:34万円-46万円=▲12万円

→▲12万円×12ヵ月×10年(65歳~74歳まで)=▲1,440万円

+息子結婚資金200万円、孫への援助資金100万円

・75歳時点の手元資金:2,400万円-1,440万円-200万円-100万円=660万円

⇒これからも月額46万円(年金▲12万円)を続けるとすると、5年もたない。

90歳まではこのまま暮らしていけるだろうと予測していたものの、なんと、80歳までに資金が枯渇することが判明。

しかし、施設での悠々自適な暮らしに慣れてしまったAさんは、ここから離れることを決断できなかった。さらに、オーナーが知り合いであることも、転居を決断できない理由のひとつだった。困り果てたAさんは苦肉の策として、夜間警備のアルバイトを始めることにしたという。

いざはじめてみると、予想はしていたが75歳の体力で続けるのには無理がある。周りには「老化防止のため」と強がっていたものの、アルバイトへ行くたびヘトヘトに。休日は体力回復のため、日課のジムスペースにも通わなくなった。

「俺はいったいなんのために働いているんだ……こんなことなら身の丈に合った施設に入っておけばよかった。あぁ、自宅が恋しい。売るんじゃなかった」

アルバイトをはじめて数ヵ月後、Aさんはついに息子へ相談したという。

一度定着した生活水準を落とすことは、想像以上に難しい。では、Aさんがこのような事態に陥らないためには、どうすればよかったのだろうか。

老後生活のシミュレーションでもっとも大切なこと

試算には必ず「予備費」を加えて

まず、入居を検討する段階での「試算」に問題があったといえる。

好立地の自立型老人ホームは、自由度も高く悠々自適な生活が待っている反面、まとまった一時金と、その後発生する月額利用料金などその分多額のお金がかかる。

長期間の入居を想定のうえ試算する場合、あらかじめ「予備費」を加えて多めに設定することが重要だ。また、子の結婚資金等、想定しうる支出を洗い出すことも忘れてはならない。

場合によっては、年金が受給できる65歳まで週数日でも働き、備えることもできた。運用商品を60歳のタイミングで全額現金化せずとも、一部運用を継続し、運用益を享受することもできただろう。

「生活費は少し多めに考え、生活費以外の支出も洗い出す」のが、大きな買い物をする際のキーワードであることを覚えておきたい。

Aさんに救済策はある?

平均余命を考えると、Aさんが息子へ話したように、もらえる年金の範囲内で生活できる施設へ移ることが賢明だろう。

民間施設のなかでも、一般的に「サービス付き高齢者施設(サ高住)」は、有料老人ホームより費用が安いといわれる。ただ、重度の介護状態になると住み続けられない可能性もあるため、注意が必要だ。また、公的施設のほうが費用は抑えられるが、人気のため入居待ち時間が長い。

ただし、施設を移るとなると高齢での引っ越しとなるため、家族との相談は必須だ。場合によっては専門家に相談のうえ、今後のプランを立て直すことが重要だ。

結局、Aさんは息子の説得により退去を決断。現在は息子の家に住まわせてもらいながら、息子の家に近いエリアで新たな施設を探しているという。

中山 梨沙

FP Office株式会社

ファイナンシャルプランナー  

(※写真はイメージです/PIXTA)