老後の病気として代表的な「がん」。日本で根強く残る「不治の病」というイメージから、治療中に精神的に不安定になる人は少なくありません。なかには、がんへの恐怖から科学的根拠のない高額民間療法へ散財してしまう人もいると、株式会社ライフヴィジョン代表取締役のCFP谷藤淳一氏はいいます。本記事では、がん患者の平田正二さん(仮名)の事例とともに、がん治療をめぐる問題について解説します。

前立腺がん罹患の69歳男性に医師から告げられた「治療方法」

千葉県市川市在住、年金生活者で69歳男性の平田正二さん(仮名)。家族はふたつ年下の妻と長男、次男の4人家族。平田さんは現役時代、地方銀行に勤務し65才で引退。その後は妻と2人、現役時代に購入した一戸建て住宅でセカンドライフを過ごしていました。

2人の子供はともに大学を卒業して就職し、現在は2人とも結婚して東京、大阪で家族と暮らしています。2人の子供の学費や住宅ローンの支払いは現役時代にすべて終え、平田さんの退職時には3,500万円の貯蓄も確保。65歳の年金生活開始時、夫婦の老齢年金は毎月あたり手取りで26万円ほど。家計的に特に不安はない状況でした。

特に大きなアクシデントもなく過ごしていたのですが、1年前の健康診断の血液検査の項目で要精密検査の指摘があり、検査を受診したところ平田さんに前立腺がんが見つかってしまいました。前立腺がんは現在日本人男性に最も多いがんですが、比較的進行が遅いがんともいわれています。

一般的にがんが見つかると手術や抗がん剤治療などがイメージされますが、平田さんは主治医から『監視療法』といういわゆる経過観察で様子を見ていくことを提案されました。『監視療法』は定期的に検査を行い悪化が見られたら治療を検討するという方針です。がんが体の中にあるのに早いうちにそれを取り除かないことに一抹の不安を感じつつも、平田さんはひとまず主治医の提案を受け入れました。

ところが、がん診断から半年ほど経過していくなかで、がんを患った人のコラムやSNSでの発信を目にしてがんが進行していったときの症状などを知り、だんだんと恐怖感が増していきました。

やはり自分の体の中にがんがあり、それが今後悪化して苦痛を伴いながら最悪の場合死に至るかもしれないという極度の不安から、平田さんはインターネットでがんのことを調べ始めました。するとインターネット上にはすさまじい数のがん治療などの情報があり、がんに効くという水、食品、サプリメントや、末期がんが消えたという免疫療法などさまざまな手段があることに気づきました。

どれも主治医からは話題にもならなかったもので、なぜこういった情報提供をしてくれなかったのかと不信感が湧いてきました。平田さんはさっそく水やサプリメントなど手軽にできるものから購入して試してみることにしました。

始めてみるとそれらが自分のがんに対し効いているのかもしれないという思いが湧いてきて、ほかの商品もインターネットの通販で購入し試すようになりました。あまりにたくさん届く品々に妻は不安を感じ、平田さんに一度病院の先生に相談したほうがよいのではと伝えたのですが、平田さんは自分のやっていることにケチをつけられたと思い、不機嫌になり妻の言葉を一蹴してしまいました。

がんによるストレスから家族にあたるようになり…

夏休みに2人の子供も家に集まり平田さんのがんの話題になったときに、子供たちからも注意喚起を受けましたが耳を貸そうとしませんでした。それどころか子供から意見されたことに腹を立て「余計なお世話だ。口出しをするな!」と怒鳴ってしまい、以降子供たちは実家に来ることもなくなってしまいました。

その後あるときテーブルの上にがんの免疫療法のパンフレットが置いてあることに妻が気づき平田さんにそのことを尋ねると、後日無料の相談会に行って詳しく話を聞きに行くとのこと。費用は自由診療のため1クールで350万円もかかるようです。

平田さんがさまざまな療法にはまっていっている気がして不安を覚えた妻は、平田さんがかかっている病院に設置されている『がん相談支援センター』に平田さんのこれまでの取り組みやいままさに検討している免疫療法に関して相談へ行きました。

するとそこで対応してくれたスタッフから、サプリメントなどの民間療法や自由診療で行われる免疫療法は科学的根拠に乏しいもので、特に免疫療法では高額の治療費がかかったにもかかわらずがんが悪化するなどのトラブルも発生しているものもあるということを伝えられました。どうしてもなにか試したい場合にはまずは主治医に相談してから決めることを勧められました。

妻は帰宅後病院で相談してきたことを伝え、一度主治医にも相談してみたほうがよいのではと伝えてきたのですが、人から意見をされるのが好きではない平田さんはがんに対する恐怖心やストレスを感じていたこともあり、ついカッとなって「うるさい! 知らないところで勝手なことをするな。俺が自分の金でやっているんだから横から口を出すな!」と暴言を吐いてしまいました。

その日以降妻はなにもいわなくなり夫婦で会話もほとんどなく過ごしていましたが、最終的に平田さんは東京都内の一等地にあるクリニックに免疫療法の無料相談会に行き独断で治療を受けることを決めました。妻にも「来週からこの治療を受ける」と伝えましたが、もはやそのときには妻からはなにも言葉はありませんでした。

がん治療中に家族と財産を失う悲劇

がんが体の中にあることに精神的に耐えられなかった平田さんは、副作用が少なく末期がんが消えるという免疫療法の治療を開始しました。その後も妻はなにもいわなかったので平田さんは妻も認めてくれているものと思っていました。

ところが初めて治療を受けて夕方に帰宅したところ、家の中に妻の姿がありません。買い物にでも出ているのかと思いましたが、夜になっても妻は戻りません。結局なんの連絡もないまま一晩をひとりで過ごし、心配が増してきた翌日の午前中に妻から連絡が入り、平田さんは衝撃を受けます。

離婚の申し出と財産分割の要求

妻から出てきたのはまさかの離婚の申し出、そしてそれにあわせて財産分割の要求がありました。これ以上は平田さんについていけないこと、すでに決心は固まっているので話し合いをする余地はないことを通告されました。

財産分割に関しては弁護士に相談済みで、法律上の権利の部分を資料作成してもらったのでそれに目を通し承諾することを求められました。

突然の話で事態を受け止めることができず、まったく納得できなかった平田さんですが、妻からは対応してくれない場合には裁判に訴える旨とそれに備えてすでに弁護士に相談し、必要に応じて依頼をするということです。

まさかのアパートでのひとり暮らし生活へ

それからしばらくの時間が経過したものの平田さんはどうしても納得できませんでしたが、最終的に妻とは離婚をすることになりそれに応じて財産も分割することになりました。預貯金や住宅などすべて自分の名義で、財産は自分のもので自分の年金収入と資産で妻を養っているという感覚であった平田さんは、財産の分割ということにとまどいを隠せません。

しかし弁護士からの法律上の見解を受け、法律上は自分が誤認をしていたことを知り、もはやなす術をなくしました。長年住んできた自宅も売却して現金化し、資産の約半分は妻へ渡すことになりました。

そして平田さんが驚いたのが、自分の厚生年金まで分割されたこと。年金が分割対象になることを知らなかった平田さん、預貯金だけでなく毎月の年金収入も月当たり手取り14万円程度と大きく減ってしまいました。

そして自宅を処分したので、近隣でアパートを借り20代のころ以来のアパートひとり暮らし。そしておそらくそれが生涯続くことになります。その家賃が7万円と年金収入の約半分で、生活もかなり厳しくなりそうです。妻だけでなく子供2人とも疎遠になってしまっていて、お金以外にも今後がんが悪化して体調が悪くなった場合にも、頼れる人がいなくなってしまいました。

収入と預貯金が激減したため、開始したばかりの免疫療法も結局中止することになり、がんへの不安やストレスから家族の意見に耳を貸さず、独りよがりの行動をしてきた結果、家族、財産、そしてがん治療も失うことに。平田さんは6畳1間のアパートでひとり、涙しました。

増える熟年離婚と老後破産のリスク

以前と比べると熟年離婚という言葉を耳にする機会が増えたように思います。実際、厚生労働省の人口動態統計によると2020年に離婚した夫婦のうち、20年以上同居したいわゆる「熟年離婚」の割合が21.5%と過去最高になっています。

もちろん離婚の原因はその夫婦それぞれの事情によるものなので、それを避けるべきかどうかは一概にいえませんが、ひとついえることは熟年離婚をした場合には経済的にかなり厳しくなる可能性があるということです。

以下でその理由と、今回の事例における離婚の引き金となったものについて見ていきたいと思います。

夫婦の財産は共有の財産

今回の事例の平田さんは自宅や預貯金は自分名義で所有権はすべて自分にあるため、離婚により財産を分割して妻に渡す必要があるとは思っていませんでした。そして何より年金収入まで分割対象ということに大きな驚きを感じました。

離婚時に財産を分けることを一般的に財産分与といわれていますが、これは結婚後に築かれた財産が対象となります。夫婦共有での財産と実質的な共有財産(名義は夫であるが実質的には婚姻中夫婦の協力によって形成された財産)で、具体的には現金預金や不動産などが代表例です。

そして2007年4月からは、婚姻期間中の年金保険料納付実績が年金分割の対象となる「年金分割制度」も始まりました。こういった理由で、離婚をすることにより財産が半分になりさらに年金収入も下がってしまいます。

そして住宅ローンを完済し、家賃がなかった状態から、賃貸アパート暮らしとなり毎月家賃が発生することになります。今回の事例では、年金収入が月当たり14万円程度になってしまったにもかかわらず、そのうち約半分をアパートの賃料にあてなければなりません。

夫婦2人での生活から1人暮らしになり人数が半分になりますが、生活費は半分に減ることはありません。離婚による財産分与や年金分割は想像以上に経済的な影響が大きく、夫婦でゆとりあるセカンドライフから一転、毎月の暮らしに困窮する可能性があることを知っておく必要があります。

熟年離婚の引き金となった「がんの特殊性」

今回の事例では家族の言葉に耳を傾けず、自分の独断でさまざまながんの民間療法に散財し、最終的に家族に対し暴言を吐きそれが最終的な離婚への引き金となってしまいました。もちろん離婚に至るにはそれ以外にもそこに至るまでの積み重ねられた原因があると思いますが、がんという病気の特殊性もその原因のひとつであった可能性があります。

国立がん研究センターによると、男性のがん5年生存率はがん種類全体で約60%、前立腺がんに至っては90%を大きく超え100%に近い数字になっています。

ところが日本ではいまだにがんは不治の病で『がん=死』というイメージが根強く残っている印象があります。ですから体の中にがんがあるという事実により、精神的に不安定となり支えてくれている家族に対して不適切な対応をして家族関係を壊してしまう可能性があります。

今回の事例においてもがんが体内にあっても、特に症状がなく経過観察で済んでいる状態にもかかわらず、主治医を信頼できずに独自でさまざまな民間療法に散在するという行動につながってしまいましたが、そのように冷静な判断をできなくさせてしまうことががんという病気の特殊性といえるかもしれません。

「老後の備え」はお金の話だけではない

夫婦のあり方はそれぞれではありますが、一般的に60代や70代になってからの熟年離婚はその後の経済状況を不安定化させ、老後破産を招くリスクがあります。また経済面以外でも離婚により病気などなにかアクシデントが発生した場合に支えてもらうパートナーを失うことにもなります。

老後の備えというと老後資産(お金)を作ることばかりに意識が向く可能性がありますが、長い期間をかけて夫婦間の信頼関係を醸成していくことや老後の病気の代表であるがんの実態を若いうちから学んでおくといったことも、セカンドライフを安心して過ごしていくための準備といえるのだと思います。

谷藤 淳一

株式会社ライフヴィジョン

代表取締役/CFP

(※写真はイメージです/PIXTA)