令和5年12月31日までは、子や孫の住宅資金の贈与を1,000万円まで非課税とする制度を活用することができます。これを利用し、多くの親世代が子や孫の住宅購入のために贈与を行っていますが、事前によく考えておかなければ、あとになって後悔するケースというも……。本記事では、Aさんの事例とともに、住宅資金の贈与の注意点について、株式会社アイポス代表の森拓哉CFPが解説します。

親が子へ住宅資金1,000万円を非課税でサポートできる制度

住宅購入は一生のなかでも大きな買い物のひとつです。

ある民間調査のアンケート結果によると、住宅の購入動機の約50%は「結婚して家族ができたから」だそうです。30代の夫婦が、子どもが生まれたことを機にマイホームの購入を検討するということも、想像しやすいのではないでしょうか。

一方、30代の夫婦となると、住宅資金に加えて、子育てなどのさまざまなことにお金がかかる時期でもあります。マイホーム購入の予算確保は簡単なことではありません。そこで、親を頼りにするというケースも少なくありません。

総務省日本銀行の資料をもとにした日本経済新聞社の試算によると、日本国民の金融資産のうち、約63%は60歳以上が所有しており、60歳以上だけで約1,200兆円にもわたる金融資産を有していると推計されています。

この金融資産を活用した景気対策は政府も力を入れているところで、親や祖父母から子や孫が住宅を取得する資金の贈与を、一定枠まで非課税とする措置も取られています。少しずつ姿を変えていますが、一定の要件を満たしたうえで令和5年12月31日までであれば、最大1,000万円までを非課税で贈与することができます。

国税庁の統計資料によると、令和3年の住宅取得等資金の非課税の申告状況は約7万件にもおよび、金額にして6,689億円もの資金が住宅取得のために活用されています。比較的預貯金に余裕のある世代が、子や孫の将来のために活用しやすい魅力ある制度だと言えるのです。この制度は、まとまった資金を一括贈与することで、相続税負担を軽減できる制度としても活用できます。

一方で、一部とは言え、この贈与を活用したあとになって後悔をしてしまう父母や祖父母がいる事実も、知っておいたほうがいいでしょう。一体、どのようなケースで後悔が残る形になってしまうのでしょうか?

一人息子が結婚、初孫の誕生に大喜び

Aさんは69歳です。1つ年下の妻と老後の生活を始めていました。Aさんは上場企業に勤めあげ、預貯金が4,500万円ほどあるうえ、2人あわせた年金は月30万円で、老後の暮らしとしては何不自由ない安泰なものだと思っていました。

Aさん夫妻には一人息子Bさんがいました。Aさんが65歳のとき、息子Bさんは29歳で結婚。結婚3年目には子宝にも恵まれ、徐々にマイホームの購入を検討し始めます。

しかし、Bさんには懸念点がありました。約1年前に転職をしたのです。自分のやりたいことを叶えるためとはいえ、転職により、年収は500万円から450万円に下がりました。転職してまだ1年少しということもあって、住宅購入のための十分な借り入れができるか不安を抱えています。

一方、孫が生まれてたいそう喜んでいたAさん。息子Bさんからマイホームの計画を聞き、親心がくすぐられます。そこでAさんは妻に相談をします。

「私たちの老後は年金暮らしで大体大丈夫だし、一人息子のマイホームを応援してあげようか」

相談を受けた妻も、かわいい一人息子と孫に対するサポートに異論はありませんでした。ただ、Aさん夫妻からBさんにマイホーム取得の支援を伝える際に、妻は一言リクエストを付け加えます。

「私たちもそれなりに歳を重ねたし、これからのことも考えて、ごはんの冷めない距離くらいに住んで欲しいわ」と。

Bさんは一人息子ということもあり、両親の気持ちを受け止めました。

父さん母さんありがとう。僕も実家のあるあたりは愛着もあるし、あまり距離の離れていない範囲で家を探すよ」と返事をしました。

こうして、Aさん夫婦は、Bさんのマイホームのために1,000万円の資金を贈与することを決めたのでした。

幸せな暮らしのはずが…1年後、まさかの展開に

Bさん夫妻は両親の気持ちを汲み取って、Aさん夫妻の近くでマイホームを購入することを決め、2,900万円の住宅ローンを組みました。金融機関の審査も無事に通り、夢のマイホームを持つことになったのです。

ところが、マイホームで暮らし始めて1年後、幸せな暮らしが一瞬で終わってしまうことが発覚します。一人息子であるBさんに、突然の病魔が襲いかかったのです。

食欲がなくなり、背中の痛みや腹痛を訴え始めたBさん。原因のはっきりとわからない日々が1ヵ月ほど過ぎ、辛い日々を送っていましたが……精密検査を経て出された診断名は「膵臓がん」。余命6ヵ月という残酷なものでした。

Bさんはもちろん、なんとか治療する道を探しました。しかし、ほとんど治療も受けることができず、あっという間に旅立ってしまいます。

30代で亡くなる可能性は決して高いものではありませんが、侮れるほど低くもありません。令和4年厚生労働省の人口動態統計によると、30代~40代で命を落とす人の数は年間2万8,335人、そのうち悪性新生物によるものが約3割を占めています。

少し古いデータになりますが、平成26年厚生労働省の患者調査および簡易生命表のデータをもとに算出すると、35歳の男性が、その後の20年以内に死亡する確率は26.8人に1人、3大疾病になる確率は11.3人に1人と決して低くはありません。

筆者の回りでもここ数年のあいだに、若くして突然にがんなどの病気で他界する方が数名おり、他人ごとではないと感じます。ある日突然、30代~40代の働き盛りの世代がこの世を去るのは珍しいことではないのです。

Aさん夫妻にとっても、Bさんの突然の他界は晴天の霹靂でした。一人息子であるBさんを失ったことの悲しみに暮れるなか、Aさん夫妻に追い打ちをかけるような事態が起こります。

1,000万円もの資金を贈与して建てたBさんのマイホームですが、Bさんの法定相続人はBさんの妻と生まれたばかりの孫の2人でした。Aさん夫妻には相続する権利がないため、Bさんのマイホームの名義はBさんの妻のものとなります。

住宅ローンには団体信用生命保険がかけられていたため、Bさんの妻は、ご自分の預貯金は一切使うことなく、無借金のマイホームを手にしました。

不測の事態への備えとしては、Bさんの妻にとっては、不幸中の幸いといえる状況ですが、Aさん夫妻からすると大切な息子に加えて、想いをこめた1,000万円が手元から離れて複雑な気持ちになってしまったのでした。

これだけでも辛いことなのですが、Bさんを失ってからというもの、Aさん夫妻はBさん宅に行きづらくなってしまいました。

そうかといって、Bさんの妻がAさん夫妻を気にかけて、孫を連れて訪れてくれるかというと、死後数年のうちこそ年に数回訪れることはあったものの、徐々にその頻度は少くなり、近ごろはBさん宅に来てくれることもなくなりました。

それどころか、Aさん夫妻はBさん宅に入っていく、30代~40代と思われる見知らぬ男性の姿を度々見かけるように。複雑な境地はますます深まるのですが、なにができるかというと、ただ寂しさを堪えて暮らしていくのみです。

「あの男と嫁が再婚したら……」

これからの老後を考えて、Bさんたち息子夫婦にも老後の生活を支えてもらいたいと贈与した1,000万円。近くで暮らし始めてくれたところまではよかったのですが、その後の不幸によって、本当にその選択が正しかったのかどうか、Aさん夫妻はわからなくなってしまったのでした。

Aさん夫妻はどうすればよかったのか?

絶対的な答えはないのですが、贈与というものは一旦あげたら戻ってくることはない片道切符という性質があります。あげたものである以上、その権利は贈与を受け取った方のものとなり、その後、万が一のことがあった際は、法定相続人のものになります。Bさんのように妻子がいる場合は、親が一旦あげたものがまたもとに戻ってくることはありません。

贈与したあとにどのようなことが起きたとしても、贈与した事実を覆すことはできません。どのようなことがあったとしてもその贈与に悔いが残らないのか、贈与する側はよく考えたうえで決定したほうがよいでしょう。

話が少しそれますが、筆者のもとへ相続の相談にやってきた親御さんから「息子のお嫁さんは家のこともしないし、私たち親のことも考えてくれない。息子や孫には相続させたいが、お嫁さんには少しも残したくない」という声を聴くことがあります。そう思う背景には感情のもつれがあり、気持ちとしてはわからなくはありません。遺言書などの生前の対策で親御さんの気持ちを一定叶える方法が、まったくないわけではありません。

しかし、その気持ちに執着しすぎて落としどころを見失ってしまってもいけません。法定相続人が持つ権利がどういうものかを理解して、気持ちの落としどころを見出すのは時間がかかる作業でもあります。だからこそ、相続対策は早い段階から開始しておくことが肝心です。

※本記事は、実際にあった出来事をベースにしたものですが、登場人物や設定などはプライバシーの観点から変更している部分があります。また、実際の相続の現場は、論点が複雑に入り組むことが多々あり、すべての脈絡を盛り込むことは話の流れがわかりにくくなります。このため、現実に起こった出来事のなかで、見落とされた論点に焦点を当てて一部脚色を加えて記事化しています。

森 拓哉

株式会社アイポス 繋ぐ相続サロン

代表取締役

(※写真はイメージです/PIXTA)