2023年11月17日、シンガーソングライターのKANさんが、61歳で亡くなっていたことが分かりました。

代表曲である『愛は勝つ』をはじめ、さまざまな楽曲を届けてきた、KANさん。日本ではほとんど症例のないメッケル憩室がんを患っており、同年3月から闘病生活を送っていたといいます。

KANさんはミュージシャンとしてだけでなく、優れた人柄で、1人の人間として親しまれていた模様。訃報を受け、多くのミュージシャンが偲ぶメッセージを送っています。

KANさんの訃報受け、つんく♂が無名時代の思い出明かす

音楽プロデューサーの、つんく♂さんも、KANさんに人として好意を抱いていた1人。

逝去が明かされた同年11月17日、尊敬する先輩の1人であるKANさんにまつわる思い出を、ブログにつづりました。

つんく♂さんはデビュー時に、KANさんと同じプロダクションに所属していたのだとか。そのため、レコーディングスタジオや事務所でよく顔を合わせる機会があったといいます。

まだ無名の僕に「元気?最近どうなの?」なんて声をかけていただくんですが、どっからそんな発想でこんな話が出てくるんだろう・・・ってぐらい冗談しか言わないのがKANさんでした。

音楽のこと、歌詞についてなどの会話はまったくしませんでしたね。

そういう意味で音楽論等、何かを直接具体的に教わったわけではないですが、レコーディングをしている姿や、KANさんの作品を通じて、本当にたくさんいろいろなことを教わりました。

「メロディとは何か」「歌詞とは何か」「音楽とは何か」、ということだけでなく、スタッフへの接し方、レコーディングへの姿勢、コンサートの準備、後輩や先輩との距離感などなど、KANさんの後輩でよかったと思う事ばかりです。

つんく♂オフィシャルブログ ーより引用

つんく♂さんは、バンド『シャ乱Q』のボーカルや、『ハロー!プロジェクト』のプロデューサーとして、今や日本を代表するミュージシャンの1人ですが、いわゆる『無名時代』もありました。

まだ新人だった頃、気軽に声をかけてくれたのが、先輩であるKANさん。きっと、緊張をほぐそうとしてくれたのでしょう。音楽についての話ではなく、笑わせてくれるような声掛けをしてくれたといいます。

KANさんの立派な背中を見て、音楽業界で働く人として、つんく♂さんはさまざまなことを学んだのだとか。

タレントの後藤真希さんの楽曲である『スッピンと涙。』は、つんく♂さんが作詞を担当し、KANさんが作曲を担当した合作。つんく♂さんは、「一緒に作った『スッピンと涙。』、これからも大切にします」と想いを明かしています。

KANさんのミュージシャンとしての魂は、きっとつんく♂さんら多くの人に受け継がれていくのでしょう。


[文・構成/grape編集部]

出典
つんく♂オフィシャルブログ